昨日はレンタルサーバーがダウンしていました。メールも送受信できないし、FTPでの接続も出来ないため焦りました。
宇宙哲学と縄文哲学を比較しています。いろいろ気付いた中で最大の疑問は、宇宙哲学において最大の特徴である「想念」に相当する言葉、あるいは想念観察に相当する行為が縄文哲学にはないのです。
宇宙哲学は、想念観察から自己の成り立ちを理解するとともに、自己の想念をより宇宙的なものに仕向けるという手法をとっています。 ところが縄文哲学には想念に相当する言葉や観察に相当する行為(を示す言葉)が見当たりません。
縄文哲学の核心部分は次の通りです。
宇宙の中心(アモト)からくるタマと地上にあるシヰは、親からのタマノヲにより結ばれることにより、タマシヰとなります。このシヰに物質が集まってヒトになります。このタマ+シヰをさらにわけるとヰクラ(五つのクラ)となります。
ヰクラは、
・タマ → 1.ココロバ と 2.ミヤビ に
・ミヤビ → アワレヱダ と ナサケヱダ に
・シヰ → 3.タマノヲ と 4.ハ(シム) と 5.ネ(シヰ) にわけられます。
ココロバは、良心(真心)、アワレヱダは哀れを知る心、ナサケヱダは情けを知る心を示すようで、す。 アワレヱダとナサケヱダを合わせたミヤビは、人の社会性を示す心の働きをいうようです。
1.~5.のことをヰクラといいます。 タマノヲ、ハ(シム)、ネ(シヰ) は、今のところ何を意味しているのか理解できません。 シヰは、生命維持の欲求ですので、タマノヲを別にして、ハ(シム)とネ(シヰ)は、人の欲望の根幹であるわけです。 (ホツマ辞典、池田満著、展望社の「ヰクラムワタヲ」を参照しました。)
問題は、宇宙哲学の想念観察による手法がないと縄文哲学における心の「ヰクラ+ヲ」の構造に気付きようがないのです。ヰクラは目に見えませんから。
いろいろ探しましたところ、「ネコヱ」と「アメノミチ」の2つに想念に関する何かを含むかとも思えます。 さらに調べてみますとネコヱにはいくつも解釈がありまして、代表的には「音+声」あるいは「根+声」がありました。 前者はまさに音声ですから、臓器の一つである声帯から発する音(空気の振動)を意味します。想念を表していません。
ホトマツタエ キツノナトホムシサルアヤ の前半部分に
アワノウタ カタカキウチテ
ヒキウタフ オノツトコヱモ
アキラカニ ヰクラムワタヲ
ネコヱワケ フソヨニカヨヒ
ヨソヤコヱ コレミノウチノ
メクリヨク ヤマヒアラネハ
ナカラエリ
とあります。概略の意味はこちらを参照ください。ただし、五臓六腑はまったく誤訳です。 その他、ヲシテ文献には上記を含めて「ネコヱ」の用例が10カ所あるようです。(ねこえ) いずれも、ネコヱに想念あるいは想念観察に相当する用法は見当たりませんでした。(難しい。) 「根+声」は、最もそれらしいのですが、10の用例には、そのよう(想念+観察)に解釈出来そうにはありません。
管理人の意見として、縄文の人はどちらかというと内観的です。 当時、罪人をホコ(ツルギ)で斬るにしても亡骸を腑分けして臓器の配置や機能を知ろうとしたように思えません。 ご存じのとおり「腑分け」は、江戸時代末期のことです。 縄文の人たちは、今でいう「内科」的な観察によって「ムワタ」を考えたのだと思います。ですから決して五臓六腑とは思えません。 当然のこと、「ムワタ」に声帯も含まれると考えますし、思考そのものもムワタにあると考えたように思えます。
また、すべてを調べた訳でありませんけれど「アメノミチ」は、「人が暮らす上で守るべき大事なこと」を示しているようです。現在の言葉でいえば、倫理観や道徳にあたりそうです。 ただ、それ以上の大事なものが含まれている様です。
アマテルカミさんの母方祖父であるトヨケさんの崩御の際に、トヨケさんはアマテルさんを呼んで、アメノミチにかかる奥義を進講されたとあります。 この奥義が何かは示されていないようですけれど、「トのヲシテ」の「ト」の字義を考えますと想念に関する何かであろうと思います。案外かんたんなことのように思えます。(池田満著「ホツマ縄文日本のたから」展望社p46、ホツマツタエ6 ヒノカミソフキサキノアヤを参考に) それにしても縄文の人は、どのようにしてヰクラムワタヲに気付いたのか謎です。
「トのヲシテ」も「ロのヲシテ」も想念を念頭に字義を考えますと凄く腑に落ちます。ヲシテ文献を理解するに漢字やカタカナではダメです。
京都御所にある清涼殿の東南の隅に「石灰の壇」(いしばいのだん)があり、そこで歴代天皇は毎朝祈られてきたとのことです。 「トのヲシテ」が今も続いているだろうと考えています。もしかして形骸化してるかも知れませんけれど。
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