これまで、縄文哲学と宇宙哲学を融合させるべきだと述べてきました。 何故なら自然科学の思想は「五感でわかる」ことを「分ける」事からはじまりました。自ずと限界があるからです。
表1 五感で分かる範囲
限界を超えるには縄文哲学(と宇宙哲学)の<シル:知る>を学ばねばならないということです。
では、自然科学は、縄文哲学との間にどのような関係にあるのでしょうか。
これまでの考察から、(五感で)
分ける→分かる→理解する→物の理(ことわり)を解する→字面のとおり「物理」のこと→自然科学
でした。 では、「分ける」はどこからかと考えますと、どうも「契約」からきているように思われます。 言わずと知れた「神<ヤハウェ>との契約」のことです。
契約の成立には、両者の合意が必要です。 まず、「両者」を分ける必要があります。 すると
自と他を分ける → 更に「他」を分ける となります。 {己と他を分ける。すると「他」には、神とモーセ率いる民衆がある}となります。 平たく言えば「物心がつく=世の中のいろいろなことがなんとなく分かる」ということです。
で、契約とは
- 誰と誰が(ヤハウェとモーセ他が)
- 何を(十戒などを)
- いつから(モーセが神に会ったときから)
- いつまで
- どうする(2.を守る)
ということです。 4.については、後ほど問題になります。
ですから、ヤハウェとモーセ率いる彼らは、十戒を象徴とする諸々の「倫理、道徳、規律、規範」を「守る」ことに合意した訳です。 当然のこと、律法・憲法などによりモーセと彼らの間でのみ「秩序」が保たれることになります。
裏を返せば、契約外の人たちには、彼らの規範を適用する必要がないということです。 契約の内には、自然科学の発達とともに選民思想と差別意識や契約外の者には侵略・簒奪してもよいという考えを内包しているとみてよいようです。
地球人口約70億人の半分にあたる人たちはアブラハムの宗教を信じています。3つの宗教の間には、差別や紛争が続いています。 分けることにより互いに争うのです。 実際は、これらを利用している者たちがおりますが割愛します。
上記の契約を刻んだ石版とモーセの兄が持つアロンの杖、そして出エジプト後に砂漠をさまよう間、彼らに食料を供給した不思議なマナの壺を
図2
納めたのが
写真1
契約の箱(Ark of the Covenant)です。 箱に収めた三種の神器の内、石版はヤハウェとの契約を象徴しています。 アロンの杖は、エジプト脱出時にモーセが杖をかざすと海が割れたといわれています。また、マナの壺は前述の通りです。
結局、契約の箱には、象徴的な意味において「倫理道徳的規範となるもの」並びに暗喩として「自然科学発達の萌芽となるもの」が含まれていたことになります。 アロンの杖とマナの壺は、具体的な行為(杖を掲げる、食料を供給する)に使われたので象徴的な意味はないと判断します。
ところで、石版に刻まれた内容は、我々日本人にとってはわざわざ「神と契約しなければ守れない」内容だと思われません。失礼ながら姦淫、略奪はダメですし、殺人もダメです。しかも、契約外の人たちにはOKというのも理解できません。
多くの国は法治国家ですけれど、頭の中で何を考えようと自由なのは当然ながら、見つからなければ何をやってもよいはずがありません。
まとめますと、契約の箱(Ark of the Covenant)には、最小限の倫理道徳と、自然科学の基底となる考え方の2つが入っていたといえそうです。
自然科学は、人の世の生活を善くすることに役立ってきたことは、事実です。ですから、ミクサタカラのツルギに相当すると認められます。 草薙の剣は、草を薙ぎ払い人々の生活を拓く道具です。同時に、使う人たちの精神に応じた働きをします。 契約外の人たちを、草を薙ぎ払わずに殺す道具に使うのは許されないことです。
縄文哲学のミクサタカラは、タマ(精神科学)とカガミ(社会科学)並びにツルギ(物質科学)でした。それぞれの象徴を持っていました。
ツルギは物質科学を象徴しており、縄文哲学と宇宙哲学が適正に融合されるならば、弧理論(Ark Theory)が新しい物理モデルとして物質科学、つまり新しいツルギになり得るだろうと述べました。
過去記事に
図3
弧理論によるE-M軸平面において、古典電磁気学は、①の下半分を削り、②と③は本来非対称であろうと思われるのに、②を削ってしまったと記しました。(実際には、電磁気学は赤い線分のみ) 電磁気学に限っていえば、弧理論から見て古典電磁気学は、恐らく6分の1~8分の1を占めるくらいだと考えられます。
ここに、契約の箱(Ark of the Covenant)の Ark と 弧理論(Ark Theory)の Ark は、同一です。 ですから、冒頭、ヤハウェとの契約の要件である 「4.いつまで」というのは、
縄文哲学と宇宙哲学が適正に融合されることによりタマとカガミが整備され、その後、宇宙自然の構造が弧理論の考え方によるE-M軸に近い、あるいは等しいということが示されれば、契約は満了すると考えます。 これからの時代に必要なミクサタカラができあがるだろうということです。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。