人の心の状態は、例えば「寝ているとき、起きて活動しているとき」など幾つかの状態があります。 物事を五感に備わった感覚器官で感じることを分けることにより<分かる:理解する>以外の方法が<シラス≒シル=知る>です。
では、<シル・知る>には、どのような状態であればよいのでしょう。 車に例えると「停止」でもなく「アイドリング」でもなく、さりとて「アクセル全開」でもありません。 G・アダムスキーによれば最適な状態とは、「警戒している状態」だとのことです。
寝ている、ぼーっとしている、あるいは全力で集中しているのではありません。それは、禅僧の行う座禅が一番近いようにも思いますが、それとも違うようです。
今、考えようとしているテーマに対して注意を向けている状態です。集中してはいけません。 ある科学者は次のように述べています。
「一般地球人がESP(超感覚的知覚力)といっている現象を試みようとするときに、ほとんどいつもおかしている誤りを君もおかしちるのだ。まず第一に、それは全く超感覚ではないんだ。それは各感覚器官と同様に、肉体の普通の知覚装置の一つと同じなのだ。ただし、地球人はそれを使用しないために、まだ初歩的な発達の段階にある。地球の動物やコン虫の多くは人間よりも高度にこの感覚を発達させているよ。 -略- 精神を集中させてはいけない。テレパシーの精神集中は送信の態度であって、受信にとってはほぼ完全な障害となる。正しく受信するには完全なリラクセーション(心身をゆったりさせること)の状態に達しなければいけない。」
これをG・アダムスキーが「警戒の状態」と呼んだようです。例えば
こちらから拝借
蜘蛛は、蜘蛛の巣にいつ昆虫が引っかかるか常に”警戒”しています。 近くを過ぎる自動車や犬を警戒しているわけではありません。いつかかるか分からない獲物に備えて”全力で集中”しているのでは疲れてしまいます。 蜘蛛は目的以外のことに注意を払っているとは思えません。巣の範囲に限って警戒しています。
私たちが何かについて知りたいとき、精神を集中させるのではなく、また漠然と考えるのでもなく、リラックスしながら、それでいてそれに注意を向けている状態が望ましいようです。
しかしながら、想念が持つチャンネルや想念の仕組み(イメージの幅と事実)あるいはお金という偶像の持つ想念の「幅」と「チャンネル」の記事で記しましたように、想念の出所と内容が事実がどうかは別であることを自覚しておかねばならないと思います。
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