数学者の岡潔は、自然科学は間違っていると述べました。一部引用します。
引用開始
『自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。 時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。
人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。
時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。 が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。』
引用終了 注)下線は管理者
自然科学者は、運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものが存在すると思っています。岡潔は、あるのは「時」であると、存在するのは「今」であると述べています。運動の規則性(振り子の等時性など)を使って「時と時の間」を時間と定義できると考えており、運動が時間に比例して起こると決め付けている訳です。
ところで、アインシュタインの特殊相対性理論では、「真空中の光速度cを用いて時間を定義」しています。 相対論物理学者に捧ぐ その4を参照。
速度は、速度=[距離]/[時間]として定義されるものであり、光速度cには[時間]が含まれています。そもそも時間が分からないのに時間を定義に含んでいることになり、特殊相対論は循環論であるということになりますし、特殊相対論を組み込んだ理論はすべて循環論ということになります。
一方、お金(通貨)は、単なる数学上の概念です。一説には、世界中の通貨発行総額は何京ドルにもなるそうです。 この通貨は非兌換ですし、ネットワーク上を瞬時に駆けめぐり実体経済を振り回しています。 天文学的な数字は、実質ゼロに等しい。無意味な訳です。お金は本質的に価値がゼロであるということです。現実世界が有限であるのに唯一、貨幣には制限がありません。
さて、本題。 ドイツの児童文学の作家であるミヒャエル・エンデの作品に「モモ」があります。「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれるという話です。
エンデが世の中に訴えたかったことは、「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的でした。
「時は金なりTime is money.」とは、「時間はお金と同様に貴重なものだから、無駄にしてはいけない。」と理解していますけれど、時間(時)は実在しないし、金(通貨)も価値はありません。
結局 「時は金なり」という言葉は、「時間=通貨」であり、言葉の本当の意味は、ゼロ=ゼロであった訳です。
確かに、「光陰矢のごとし」であり、私たちに与えられた時間は限られているけれど、お金のために、時間を奪われていることは事実です。あくせく働くのは、少しでも楽をしたい(楽な時間を過ごしたい)からであり、そのためにはお金が欲しいけれど、お金のために時間を奪われているという。ここにも循環論があることになります。 その「時」を個々人が有意義に過ごすべきということは勿論ですが。
で、エネルギー保存の法則という科学上の足枷をはめたのは、事実上無限の力を持つお金(通貨)の仕組みを温存したい連中(科学者たちのパトロン)でしょうけれど。 こんな巧妙な仕組みを考えついたのは誰なのでしょう? 本当に簡単。あまりに易し過ぎて、ほとんど気付きません。
未だ、仕組みは、はっきりしませんけれど、よりよい選択肢は、弧理論(Ark Theory)であると考えています。 弧理論は、エネルギー・空間・質量・運動を要素に持っています。横軸に空間をとり、縦軸にエネルギーを複素数でとります。この考えは、リーマン予想のゼータ関数によく似ています。 第3起電力のエネルギー源について(考察)のp73補遺1を参照ください。補遺1の考え方(12進法)をもってすれば、空間についての理解が容易になると思います。 弧理論の考え方によれば、要素から二次的に時間が決まると思われます。 前記事にあるように、私たちはエネルギーの量を正しく求める方法を知る必要があります。
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