これまでの考察により、お金も時間も存在しないことを理解しました。
写真1
と
写真2
のどちらに価値がありますか。 【仮にオレンジ1個70円として、3個で210円。赤ワイン1杯600円として2杯で1200円。プラス税。ならば写真2である。】と答える方が多いと思われます。 しかし、そこにあるのは「抽象化」です。 どちらも食物であり飲料ですから。そこには「物」としての実物しか存在しません。人にとって価値は計れるものではないはずです。当然のことです。
紙幣や
硬貨は、神頼みの
形代(かたしろ)と同じ偶像です。 お金は単なる数字に単位が付いたものに過ぎません。(通貨発行権)
また、時間とは、「過ぎ行く運動の記憶、あるいは記録である」と理解しました。 そこにあるのは
水晶振動子の往復運動や
テンプの運動です。 存在するのは、観測者と時計(内部の部品)の運動と対比する(例えば)通勤電車の運行(運動)だけです。 どこにも時間など存在しません。 私たちの五感で分かるのは、物体あるいは物質の運動だけです。
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時計も
カレンダーも上記の形代(かたしろ)と同じ偶像に過ぎません。
お金は伸縮します。分かり易いのは為替です。あるいは、お金は「需要と供給」のもと物価の上下により伸縮します。こうして(支配者は)皆から物(もの)が持っている真の価値を掠め取るのです。
真の価値は、「物(もの)と事(こと)」にあることは確かです。
物(もの)とは物体であり物質です。それぞれが運動しており、ときどきの物(もの)の状態が事(こと)です。 それらが謂わば第1次産業・第2次産業・第3次産業として生産される物事です。 我々の働き(運動)が時間に比例するという考えを受け入れているから(時間給・日給・月給・報酬・報償)が成り立ちます。
お金∝時間∝労働(運動)
こそが詐欺なのです。存在しないものに全てを預けています。 写真1と写真2(に写っているもの)の価値は本来比較できません。
抽象化により本質が分かると思い込んでいることが問題の本質です。
皆がお金や時間が存在しないと気付いて、紙幣(硬貨)や時計(カレンダー)に形代(かたしろ)としての力がなくなっては困るのです。 どこかに居る支配者や皆も含めて全員が困るのです。 ですから、管理人は自然科学も「抽象化によって物事の本質が分かる」という方向付けが成されているのだろうと考えています。 学問の方向が誤っているのです。
表の左右両端は、抽象化の極致です。ほとんど誰にも理解できない抽象化の極致であることを否定する方は居られないでしょう。 科学の発達により「もっと混沌としてきている」と感じるのは管理人だけでしょうか? 先の記事にも書きましたように、既にこの文明には、「退化プログラム」が発動しているように思います。
追記
物事の本質は、抽象化した概念より具体的なことの中にあるように感じます。特に空間は、角度を基本とした数字そのものにあるようです。12進数の素数こそ本命だと思います。
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「時は金なり」を検索してみると、ベンジャミン・フランクリンが出典でした。当時の世相は今と結構違うように感じます。
ここ数年の展示会を見ていると凄まじいです。誰もが持っている携帯端末は既に二昔前のスパコンクラスです。5千円で小型PCが組めて、一般人でもほぼ何でもできます。これがIoTとしてすべてネットワークに接続され、ビッグデータの要素となります。さらに今ではAI囲碁などの深層学習技術。特定の目的を与えると、人間より遙かに速く大量のデータを分析して、その複雑な全容を読み解いてしまう。しかも人間には簡単には理解できない表現になる。これも変動する統計値を基礎に組み立てていくので、偶像化しかねない。
>科学の発達により「もっと混沌としてきている」
同感です。機械仕掛けの神は既にあるのではないでしょうか。お金や時間というマスターキーとして。
「世にお金が無かったら」は子供の時になぜか考えたテーマです。手塚治虫が『地球を呑む』で描いてましたね。
Raspberry Piは1台持ってます。うまく使いこなせてないです。凄い時代です。
>AI囲碁などの深層学習技術。特定の目的を与えると
ご存知のように力業です。特定の目的というのがミソですね。昔、オセロのゲーム機にさえ負けてました。
>偶像化しかねない。
確かに、人を越えると信じる人が多くなるように感じます。「分かる」部分において人は、AIに勝てないのかも知れません。
ttps://www.youtube.com/watch?v=WFR3lOm_xhE