縄文哲学によれば魂は、タマ+シヰです。タマは大宇宙(アモト)の中心から来たりて、シヰと結ばれタマシヰとなる。 シヰは地上の物質と結ばれて、タマシヰを持ったヒトとなります。
シヰは、「欲しい欲しい」のシヰであり、生命維持の欲求です。
このシヰの暴走を
形代(かたしろ)である
.
時間と
お金に支配されることにより強めています。これが、管理人がシャーマニズム(神頼み)の時代だと理解した理由です。
問題なのは、エリートキツネと闘牛士に記しましたように、お金と時間に執着することが何世代も続くことにより、「生まれながらにお金に執着するヒト」の割合が増えてくるということです。
エリートキツネには飼い主がいますけれど、我々には飼い主がいません。支配者たちが最もお金に執着しているのですから、我々自らが方向転換できるはずはありません。 ですから強いショックが必要なのだと理解します。 このショックが
鬼門の祟り神(艮の金神)だろうということです。 およそ否定しにくいお金と時間を全否定することの恐怖こそ祟り以外の何者でもありません。 自然科学を柱とする現代文明は、時間・空間・お金により組み立てられています。その内2つです。 縄文哲学の核心部分は、クニトコタチさんがネコヱをもってシル(知る)に至ったものであることは言うまでもありません。 分けることにより「分かる」の対極です。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。