2016年2月に書いた記事、お金という偶像の持つ想念の「幅」と「チャンネル」という記事にあげた
図1
において、下段の右端「シヰ」が持つ特性(曲線)について、作図段階でデシベルのイメージを持っていました。 お金という偶像に対応する想念のチャンネルはシヰからの影響が大きい訳で、そのため人が持つお金に対する感覚は、デシベルとよくマッチすると思っていました。
例えば、1万円を所持する人を基準にすると
倍率 | デシベル | |
ほぼ所持金なし | 0.00001 | -100 |
ほぼ所持金なし | 0.00010 | -80 |
ほぼ所持金なし | 0.00100 | -60 |
ほぼ所持金なし | 0.01000 | -40 |
0.10000 | -20 | |
0.30000 | -10 | |
1万円(基準) | 1 | 0 |
3.16 | 10 | |
10 | 20 | |
100 | 40 | |
1,000 | 60 | |
1億円 | 10,000 | 80 |
10億円 | 100,000 | 100 |
表の様になります。 借金がある人の場合は、少し異なりますが、1億円を所有している人の五感にかかる満足度は1万円を所持する人の10万倍かというと、せいぜい100倍程度(100dB)であるというのが管理人の意見です。
デシベルについて調べていて、こちらのサイトで知ったことですけれど、「人間の持つ感覚量は刺激量の対数に比例する」という法則があるようで、ヴェーバー‐フェヒナーの法則というようです。
これをもじって上表について、
人間が持つお金の感覚量は所持金の対数に比例する
という法則を提唱します。 ・・・というのは冗談ですけれど、
ジンバブエでの超激しいインフレの状況を見ても人々のお金に対する五感が持つ特性は、「対数」的ではあります。 普段我々は、お金は「線形」的だと見なしていますけれど、何かを「欲シヰ」となったときには、相当なムリをして手に入れようとします。 上表には、所持金ゼロまでしかありませんけれど、所持金マイナスの場合も似たような特性を持っています。つまり、借金に慣れると借金の金額の多少に鈍感になるようです。
もう一つ大事なのは、人間の五感には
明らかな限界があるということです。 人の肉体に備わった五感で「分かる」範囲は、上表の赤い括弧で括った内側です。 人は、右端の極大については望遠鏡を使い、左の極小については顕微鏡や加速器を使います。これらの行為は左右両端の五感では分からない範囲の現象を赤い括弧の領域に行き寄せる行為に他なりません。 この境界を五感の地平線と呼びます。
我々がヘッドフォンやスピーカーを通して大音響で聴いたり、ジェットコースターでスリルを感じる感覚量はすぐに麻痺します。(難聴や気分を悪くする。) 上表の両端はどう考えても「五感で分かる」範囲を越えているというのが実感です。 述べたいのは、
人の五感で分かることを「分ける」ことにより「分かる(理解する)」のは、限界がある。
ということです。 言い換えると自然科学は限界に来ているということです。
本来、お金は「単なる数字」です。純粋に「線形」です。ところが人の偶像たるお金にかかる想念は、欲シヰ、欲シヰの「シヰ」に引きずられて人々は強欲かつ貪欲になっています。 そうしてお金はとんでもない現象を引き起こしています。 存在しないお金に振り回されているのです。 有りもしない時間とお金の間に
お金∝時間
という考えを認めている内は、仕組みを支配する連中に搾取され続けるだけです。「抽象的な概念の中に宇宙の本質が潜む」との考えは誤りだと思います。恐らく本質は、「具体的で、ベタな」「誰にでも理解できる」ことの中に在ると思います。学問の方向が抽象に向かっているのは、上記の単純な搾取のカラクリに気付かれないためのようです。
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