このところいろいろ考えているのですけれど、なかなか文章にまとめられなくてもがいています。
昨年10月に理解した「縄文哲学≒宇宙哲学」により、目的が何であり、手段はどうすればよいかが分かりました。 しかしながらミクサタカラである「タマ(精神科学)、カガミ(社会科学)、ツルギ(物質科学)」について、3つを等しく考え取り組まねばならないためになかなか先へ進むことができません。
ある科学者は次のように述べています。
目次
どんな愛や慈悲や知恵がある前にます”理解”がなければならないんだ。
君の人類と文明に最も必要なものはかんたんで、人と人との間、国と国との間、すべての人々と自然を制御している偉大なる力と英知の間の基本的な”理解”なんだ。”理解”が君の人類が生き残るための鍵だ。もし人々の間に理解がなかったら、政府間の協定、協約や保証などにおける価値は全く少ないことになる。 (下線及び強調と色は管理人による)
この文章は、当初「世界中の人々の間において、相互理解が必要だ」くらいに理解していました。ところが、
- 縄文哲学と宇宙哲学がとても似通っていること。
- 3つの科学(精神科学・社会科学・物質科学)がミクサタカラ(タマ・カガミ・ツルギ)に等しいこと。
- 弧理論の考え方が3つの科学の構成に合致していること。(紡錘図形が3つの科学の構成を説明しているということ。)
の理由により、上記の
- 「全人類と自然」を制御している偉大な力
- その英知
に関する「理解」とは、上記の1,2,3だろうと考えたのです。
こちらから拝借
G・アダムスキーが残した宇宙哲学は、1950年代のアメリカはカリフォルニアでのことです。縄文哲学は、17世紀頃日本の江戸時代に写本されたヲシテ文献によります。wikiによれば、原書は人皇12代ヲシロワケ(景行天皇)57年だとされます。 ヲシテ文献が真書であるならば、その内容は2000年~5000年以上、距離にして8000kmも離れた場所で起こされた2つがこれほどに似通っている確率はゼロに等しいです。
裏を返せば、これほどに似通っているということは、2つの哲学には「普遍的な何か」を含んでいるからと考えるのが自然だと思います。 すると、
我々人類が生き残る鍵は、すべての人々が上記1,2,3を「理解」することに他ならない。
ということです。過去記事に書きましたように
三種の神器をどこの誰が所有しているかなど、どうでもよいことです。ミクサタカラは、全ての人々に必要な縄文哲学を示しており、三種の神器はこれを象徴しているに過ぎません。
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なぜ縄文哲学を学ばねばならないか? 明確な理由があります。過去記事「エリートキツネと闘牛士」に記したように、一つの行動原理を何世代にも渡ってとり続けると「生まれながらに(その)行動原理をとる」ようになります。 これまでの考察により分かってきたとおり、我々は何世代も「お金」に拘る生活を送ってきました。「既に」我々の何十パーセントかの人たちは「生まれながらに」「金銭に貪欲」であるかも知れません。
タマ+シヰ=魂の「シヰ」は、欲しい欲しい、強いるの「シヰ」であり、生命維持の欲求です。シヰがなければ生きていけません。しかしながら、お金に拘るシヰの暴走により社会が混乱を極めていることは誰も否定できません。 エリートキツネには飼い主がいます。しかし、人には飼い主はいません。
人が人であるからこそ、自らの意志でシヰのままにある自己を抑えることができると信じます。
これがある科学者が述べた人類が生き残るための鍵だと確信します。そのために、縄文哲学その他を学ぶべきなのです。
この主張は、宗教や主義主張あるいは国家や政治信条とはまったく関係ありません。宇宙人やUFOあるいはフリーエネルギーなど、どうでもいいことです。 これまで戦争放棄や人類愛を説いても何も変わらなかったことを思い出してください。 このまま行けば、「貪欲なシヰ」の持ち主たちは、すべてを破壊し尽くすことでしょう。
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