ここ2年ほど数学者岡潔の講演録、特に「(4)自然科学は間違っている」の【2】自然科学者の時間空間、【3】五感で分かるもの、【5】自然科学の無知を中心に自然科学の問題点について考えてきました。
考察の流れは、次の通りです。
- 自然(宇宙あるいは物理現象)は、人に備わった五感で分かるものでなければならない。
- 五感で分かるのは運動だけである。直接、時間はわからない。
- 時間を知ろうとすると運動を使う。
- しかし、運動が時間に比例して起きるかどうか誰も確かめていない。
- 時計を使い時間を知ろうとする行為は、時計の機構が持つ運動と他の運動とを比較する行為に過ぎない。
- 従って時間は存在しない。
- あえて定義するならば、「時間とは、過ぎ行く運動の記憶」である。
箇条書きの7.について補足します。 「時間」を知るために時計を見ます。 時計を見て「今、何時何分と知った」という過去形でしか表現できません。 時間を知る行為は必ず過去形になります。 つまり「時間とは、既に過ぎた去った運動の記憶」です。 ですから「時間」を知るため、時計を見る行為に現在形と未来形はないということです。時間とは、過ぎ去った運動の記憶を観念化したものといえます。時間は存在しません。
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宇宙の
写真1 出典 はこちら
大きさは「光年」で表します。距離を「時間」に置き換えています。
また、素粒子等の質量について、
図1 出典はこちら
の単位はg:㌘になっていますけれど、素粒子等の質量は電子ボルト(eV)で表されます。 E=mc^2 ですから、m=E/c^2 です。電子ボルトは、c^2(光速度の二乗)が省略されています。ここでも「時間」を基準にしています。(注:さらにEにも時間が含まれています。)
表1
の極大、極小の世界を求めるに「時間」を基準にしているということです。自然科学は終わったと書いてから1年が過ぎました。 今、当時よりはっきり分かります。
自然科学は、もしかしたら「間違っていない」かも知れないが、とてもじゃないけれど「正しいといえない」。
五感で分からないものをいくら重ねても「五感で分かるもの」に至らないだろう。
上記の補足です。放射能を持つ物質は、無味無臭です。放射線を多量に浴びることにより、五感で「分かる」のは火傷や癌になってからです。さらに小さな素粒子を大量に浴びて(もし)五感で分かるとしたら、たぶん火傷だろうと思います。
人を文系、理系に分けるならば、岡潔の言葉について前者は哲学的に解釈しているだろうことは理解できます。しかし後者はどのように理解しているのでしょうか? どうも管理人には、岡潔の言葉が十分に理解されているように思えません。 自然科学は自ら瓦解する要素を十分に持っています。岡潔の言葉どおり、全部やり直しです。
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