縄文哲学におけるタマ+シヰの「シヰ」は、欲しい欲しいの「シヰ」で生命維持の欲求です。
これまでの考察により「シヰ」の特性は、
図1 注:G偶像の欄に「時計」が抜けています。
下部に示した曲線を示すと結論しました。 図の「T タマシヰの均衡」は、破線で示したタマと実線で示したシヰの曲線の合成によります。 シヰは感覚器官が受ける刺激によります。より強い刺激を求めると説明しました。
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数学者岡潔は、著書「日本民族の危機―葦牙よ萌えあがれ!」の中で次のように述べているとのことです。岡潔講演録(3)「一滴の涙」から、【3】情緒とは何かの(※解説4)に引用されていますので、そこから引用します。 「感覚と情緒」の対比のこと。
「情緒と感覚とどう違うかというと、今の印象でもわかるでしょう。もっと、はっきり言うと、例えば、フランスは緯度が高いですから夏が愉快である。それで夏は愉快だが、冬は陰惨だという。これは好き嫌いと同じで、夏は好きだが冬は嫌いだというのです。晴れた日は好きだが、雨の日は嫌いだ。こんなふうになる。
日本人はそうではない。日本人は情緒の世界に住んでいるから、四季それぞれ良い。晴れた日、曇った日、雨の日、風の日、みなとりどりに趣きがあって良い。こんなふうで全て良いとする。
もっと違っているのは、感覚ですと、はじめは素晴らしい景色だと思っても、二度目はそれ程だとも思わず、三度目は何とも思わない。こうなっていく。感覚は刺激であって、刺激は同じ効果を得るためには、だんだん強くしていかなければならなくなります。」
こういう風に岡はいっている。この「刺激を追い求める」ということが、まさしく我々の日常生活のみならず現代文明の危険極りないところでして、次から次へと刺激を追い求めることを「進歩」だと称して、文明の目標としているところにその危うさがあります。
(強調は管理人による)
後半の黒字の部分は解説者によります。 岡潔の感覚についての解説は、図1によるシヰの説明と全く同じだと気付きます。 解説者は、『より強い刺激を求めることを「進歩」だと称して、文明の目標としているところにその危うさがある』としています。
この文明の危うさが、存在しない「お金」の特性によくマッチして、人々の目標の強い動機付けになっているということになります。
止まれば死ぬ資本主義経済は、地球資源を食いつぶし終いには全てを消費し尽くす(純消費)=戦争として結末を迎えます。
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管理人には、どうしてもロシアで40年に渡って行われた
写真1 出典 40年の研究からペットギツネが誕生
養殖キツネの実験(ペットキツネの実験)と重なります。エリートキツネと闘牛士を参照ください。
犬も猫もミカンもトマトもすべて品種改良により生み出されます。 ペットキツネによる実験の結果は、人に適用できない理由はありません。そして人に飼い主はいません。ですから
人は自らの意志により、「生まれながらに貪欲な人」の割合を幾世代にも渡り高めてきました。行き着く先は、地球の全損です。
引用文の解説にある「文明の危うさ」という認識より現実は、遙かに厳しいと感じます。 誰も「お金と時間」という存在しないものに振り回されている現状を変えようとしないことが最も危険であると確信しています。 赤や青、民族、主義・主張、政治信条や宗教、 あるいは陰謀論の有無、恐怖を煽る爬虫類型宇宙人などどうでもよいことです。対立軸(二項対立)そのものが目くらましであることは確実です。フリーメーソンもイルミナティもどうでもよい。 縄文哲学のタマとシヰの仕組みと働きを理解すればよいことです。私たちは一歩先に行くだけです。
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