単極誘導モーターの特徴について

ちょっと面白いことに気付きました。先般からのコメントのやりとりの中で、「回りに何もない空間に2個の物体AとBがあるとき、AあるいはBのどちらが運動エネルギーを持っているかを決める方法はない。」unndou図1

enundou図2   説明は右リンク「自然科学から弧理論へ」の中段「8.運動の相対性とエネルギーの相対性」にあります。

「これが運動の相対性だ。」と記しました。 そして、宇宙空間に居なくても地上で運動の相対性を直接見られるのが単極誘導の現象だ」と記しました。

このことについては、各種単極誘導に関する実験の結果、何となく気付いていたことでした。 そのことを上記コメントにてほぼ意識したのですけれど、本日漸く理解することができました。 本記事では書きませんけれど、まとめ次第掲載しようと思います。

この過程が岡潔の云う「情 知 意」なのだと思いますし、「シラス・ウシハク」の「シラス」の元の言葉である「シル:知る」であるように感じます。 でも時間がかかります。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
カテゴリー: 雑感 パーマリンク

単極誘導モーターの特徴について への4件のフィードバック

  1. 佐々木 のコメント:

    図2の視点は惑星3自身でも、あるいは惑星2でも良いですよね。
    時間とは何か?、すなわち、距離とは何なのか? ネガはなぜ言語でなく図で伝えられたのか。

    ベアデン関連の、コンデンサでの電力増幅やスカラ電磁気のサイトだったと記憶しています。「回路を閉じ、電圧がかかって、電流が流れる前に、回路を閉じる」という論がありました。なんだこれは?電気力線は進行方向に伝搬速度を持つのか?という話です。
    小学校の理科で豆電球の点灯実験をやります。そこで何が起きているのか、実は我々はよくわかっていないのだと思います。導線の接続・非接続が点灯のトリガであることは確かですが、そのプロセスはどこまで明確になっているのか。導線を接続していても、断線していたり、電球フィラメントが壊れていれば点灯しませんし、非接続でも電池は大気を回路として放電します。
    エネルギーフローとして、「回す」は高抵抗、「回る」は低抵抗という印象です。

    最近医学に興味がありまして、そこから来たイメージです。
    人体構造では、心臓より血管の抵抗が低く、毛細血管はさらに低抵抗。そうでないと血液は流れない。これを原子に当てはめると、心臓=原子核、血液=電子、血管=磁気経路です。
    全体の循環を成立させるには動脈と静脈に相当する往路・還路を構成する必要がある。よって、開放系の(望むべき)動力回路は、低抵抗→高抵抗のエネルギー吸収する往路、高抵抗→低抵抗のエネルギー排出する還路を同時に構成する。
    低E→高Mと高M→低Eのフローです。高抵抗のものが位置基準・固定子になります。

    実験4のグラフ(W形状)で、磁石中央と極付近では力の発現プロセスが若干違う(基本法則は同じ)と考えます。いずれも接点は磁気回路への分岐ですので、局所的なE←→Mの経路ができます。それこそ力学的力の発生箇所です。磁石単体では磁気経路に圧力差が無いので、E←→Mの経路ができない。また、おそらくは、放電が起きない=電流経路は高抵抗なので、E←→Mのフローが絞られるでしょう。
    単極誘導モータの原子核・電子の機能をトポロジー的に入れ替えると、例の磁気モータの構造になるんじゃないでしょうか。

    かなりわかりにくいと思います。すみません。
    上記だけでも、現行の教科書的学問からはかなり外れています。意図して外していくのだけど。
    科学なのに、この領域は共通言語が全く無いですよね。

    • Φ のコメント:

      弧理論の考え方の基本は、投影により「位置と質量」が決まる、これだけです。位置はもちろん恐らくは質量も相対的です。位置の変化が速度。これが運動。だからエネルギーも相対的。総量は保存しない。無始無終無辺。固定点が無いところにどうやったら回転がえられるかが問題です。投影のシステムそのものに回転が仕組まれているという考えです。その基本が斥力にあるだろうということです。
      ベアデンの研究資料Tom_Bearden_file’sの中に単極誘導関連はなさそうです。テスラの死後FBIが持ち去った資料の中に単極誘導関連があったのではないかと想像しています。遺されたcolorado springs notesにもありませんでした。
      >心臓より血管の抵抗が低く、毛細血管はさらに低抵抗。そうでないと血液は流れない。
      確かに面白いですね。
      自然科学は、岡潔の云うように何が何だかわからないまま役に立っているということです。ここ1年、探求してきた縄文哲学のような心の仕組みを置き去りにしてきたから何もわからないのだと感じます。分かるの語源は分けるです。五感で分かることしか分けて分かることはできません。五感で分かる両端に来たら立ち往生です。
      そも原子力の主立った利用法に核融合と核分裂しかないのはおかしいとおもいます。
      どうも、本質は無茶苦茶簡単で、中学生にもわかることのような気がします。
      >学問からはかなり外れています。意図して外していく
      いや、正解があることが予め分かっている問題の正解にどれだけ速く飛びつくかを習い性にした人になってはいけないと感じます。ただ闇雲でもだめなのも確かですけれど。
      >領域は共通言語が全く無い
      武田邦彦氏は動画で、「暗闇研究=先駆的研究」は、専門用語がまだないから他人から見たら幼稚に見えると述べています。先般の記事において本居宣長は「もののあはれ」について、「万事にわたりて、何事にも其事(そのこと)其事につきて有物(あるもの)也」と述べています。私は直感的に「動画」のことを述べているのかと理解しました。そのころの言葉ではこのようにしか云えなかったのではないかと思います。

      • 佐々木 のコメント:

        >専門用語がまだないから他人から見たら幼稚に見える
        参考になります。震災の時、原子力と放射能に関して御用学者と違って、ちゃんと伝えようとしている人も居るのだと武田氏のことを知りました。ただ、どうしても怪しさが拭えなかったので、おかげでいろいろな資料を読んで、自分で理解していくようにはなりました。仰々しい報道に踊らされては判断を誤る、と。私も自分が興味を持っているのはどんな領域のことなのかを自覚せねばなりません。

        最新記事を読みました。これまたとんでもない(凄まじい)ことを言っている。水銀Aと水銀Bはそれぞれ互いの観測者・影響者たり得るか、に触れていないのは意図的なんでしょう。

        製造業界でも科学分野と同じ事が起きています。十数年前に最先端だったものは、今では一万円で釣りがくるくらい安価で買えます。それを使えるから、設計できると言う若い人も出てきています。ところが、実装基板を見て、ICの足や抵抗のハンダに「色っぽさ」を感じると言っても通じないんですね。良くできているモノほど艶やかで、そそるのですが。これが伝わらないと技術伝承にならないんじゃないかな。私が古いタイプなのかも知れませんが。

        • Φ のコメント:

          >仰々しい報道に踊らされて
          まったくその通りです。どれもこれも紋切り型で、しかも思考をぶつ切りにします。これは「考えることを放棄させる」効果があります。例え教育番組でも同じです。如何にもらしいことを述べているのに、大事なことは触れないか、嘘をつく。武田氏は「視聴者自身で考えて欲しい」という姿勢を持っています。これはG・アダムスキーなどの資料から感じるものと同じです。彼がコンタクトした宇宙人の教育方針だと思います。思考停止こそがどこかの誰かの望むところです。
          >水銀Aと水銀Bはそれぞれ互いの観測者・影響者たり得るか、に触れていないのは意図的なんでしょう。
          お見込みのとおり。三重反転ならば可能になると踏んでいます。あたかも階段を上り下りするように。アランの云うとおり「気付く」可能性があったのを放置したというくだりに相当すると思います。トム・ベアデンの主張に重なります。過去記事に取り上げた「ディファレンシャル・アキュムレーター」は、これに類するものと判断します。
          好きなことをしているので苦しくはないですが、胸突き八丁にさしかかっているらしいと感じます。本質は滅茶かんたんで理解が容易だと感じます。アランの云う分岐点はこの辺りで間違いありません。ニュートンにまで遡るということになります。ここにミクサタカラ(タマ、カガミ、ツルギ)のツルギに相当する物質科学の元がありそうです。
          >良くできているモノほど艶やかで、そそる
          シャープの最薄液晶電卓は金色でした。工芸品のように感じたものです。いまなら萌えが適正なことばでしょうか。

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