2015年5月9日の記事で、自然科学は終わったと記しました。 研究開始当初からの疑問に対して、漸進的に研究が進むにつれ、次第に分かってきたことを改めて記します。
1.人の肉体に備わった五感で分かるのは、「運動」だけである。 熱も光も音も匂いもすべては、物や波の運動である。この運動を5つの感覚器官は感じ取れる。
2.極小あるいは極大領域に至るにつれて、次第に五感で捉えられなくなる。 物理現象を「五感で分かること」と定義するならば、物理現象には、極小と極大の両はしに終端がある。 自ずと限界がある。 五感で分からないものは「無いとしか思えない」のが唯物主義であり、自然科学はこの範囲を対象としている。五感で分かるもの
3.時間とは、過ぎ行く運動の記憶である。 人は時(とき:現在・過去・未来)の中に住む。 過ぎ去った運動の記憶を観念化したのが時間である。従って物理学でいう時間の次元軸は存在しない。時間とは何か
4.運動が時間に比例して起きるかどうかは分からない。 人類は、未だ「運動/時間」の比率を直接に決定したことはない。 時間は過ぎ去った運動の記憶だから、「時間」が時の今と未来に適用できるかどうか分からない。 恐らく五感で分かる範囲内においては「時間」を適用できるが、 2.に示した極小極大の領域では、「運動/時間」の比は変化するようだ。
5.自然科学は恐らく近似だろう。 自然科学は、五感で分かる範囲(古典的範囲)には適用できるが、極小極大領域では適用できないのではないか。
6.在るのは、物と物の運動だけである。 物の位置は相対的である。位置の変化が運動であり、運動は相対的である。宇宙は開放系である。
7.従ってエネルギー[ML^2T^(-2)]は、相対的である。
8.総量は保存しないし、孤立系では保存する。
9.五感で「分かるもののみ」を「分ける事」により「分かる:理解する」のだから自然科学には限界がある。 2.に等しい。
前々回の記事に示した様に、ファラデーの単極誘導モーターによる実験から得られた結果をまとめることにより、通常では、風に吹かれるヨットなどの自然現象や宇宙空間でしか体感できない運動の相対性を二重反転、三重反転の装置によって実現できることを示しました。 実験の手法、結果の判断あるいは管理人の理解不足や誤解があるかも知れませんけれど、それでもマイケル・ファラデーが単極誘導の現象を発見してから二百年以上に渡り、ほぼ無視されてきたことの重要性と理由を認識できました。
よく考えてみたら「当たり前」のことを「隠す」ために、文明にありとあらゆるウソを織り込む必要があったようです。 皆に気付かれたら不味いのです。 「紙幣、硬貨」を偶像とする「お金」の無限性を打ち消されるのが怖いのです。同様に有りもしない「時間」をあるかのように扱う必要があったのです。 この宇宙で、「減価しない・消滅しない」のは「お金」だけです。何故なら最初から存在しないからです。皆が「ある」と思っているから「ある」のです。
どうも、本当に自然科学は終わったようです。
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これからは、ミクサタカラ(タマ、カガミ、ツルギ)に象徴される精神科学、社会科学と物質科学を大切にすべきだと強く感じます。 目には見えませんし、触れることもできませんけれど、人の源となる仕組みを深く理解する必要を感じます。
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中島勝行です. nsw495kpr8アットマークkodenjiki.com にメールを送ったのですが戻ってきました。
もう使われていないのでしょうか
ありがとうございます。届いております。