ある科学者は次のように述べています。
どんな愛や慈悲や知恵がある前にまず、”理解”がなければならないんだ。君(地球)の人類と文明と社会に最も必要なものはかんたんで、人と人との間、国と国との間、すべての人々と自然を制御している偉大なる力と英知の間の基本的な”理解”なんだ。”理解”が君の人類が生き残るための鍵だ。もし人々の間に理解がなかったら、政府間の協定、協約や保証などにおける価値は全く少ないことになる。
私たちの間にはまず理解が必要です。何に対する理解かというと「すべての人々と自然を制御している力」への理解です。でないと、互いの協定や条約などほとんど役に立ちません。 付け加えるならば「宗教」も役にはたちません。宗教は愛や慈悲を説くだけですから。
ある科学者は3つの科学が等しく発達する必要があると述べていました。「精神科学・社会科学・物質科学」です。 管理人にはこの3つの科学が縄文哲学における核である「トノヲシテ ロノヲシテ」を象徴する「タマ・カガミ・ツルギ」と完全にダブります。 何故人々は、三種の神器を神格化するのでしょうか?管理人には理解できません。三種の神器は、ただの遺物でしかありません。
人類に最も必要なものは「トノヲシテ ロノヲシテ」であって、それを象徴するのが「タマ・カガミ・ツルギ」です。具体的には「精神科学・社会科学・物質科学」なのです。これらへの等しい理解が必要だということです。
図1
は、これら3つの象徴を3つの科学とともに配置したものです。3つの間をつなぐのが想念です。これを私たちが理解しやすいヤマトコトバに置き換えたのが「知る」「分ける」「分け与える」です。 因みに「知る」について、一人称で「知」は、過去形しかあり得ません。意味深です。岡潔が「知る」と云わずに「知」と云った慎重さが際立ちます。
ここに云う「知る」の意味は、例えば「○○さんからメールで××されることを知った」というのとは、まったく違います。 一番近い言葉で云えば「気付く」です。 岡潔の云う「意識を通さず」「言葉で言えない」なんとなく{「趣おもむき」あるいは「情じょう」がわかる}ということです。それは、たった今産まれたばかりの新生児にも備わったものです。
古く縄文時代には、集団組織を維持するだけでも大変でした。皆が一致協力して(分かつ)生活をせざるをえませんでした。 いつか定住し、木の実のなる樹木を栽培して、集団が大きくなるとともに、やがて集団内に「持てる人と持てない人」、権力が生じます。権力闘争とともに、やがて
図2 出典 ホツマ縄文日本のたからp13(池田満著展望社)
精神性高い文化は衰退し、神頼み=シャーマニズム=想念の経路② の時代へと移り変わってきたのです。 想念の経路②とは、「五感で分かる」の延長上にあります。 欲しい欲しいの「シヰ」の支配下にあります。これが現代へと続く、お金と時間への「信仰の時代」です。 今も私たちは、無自覚に信仰しています。いかなる宗教に帰依しているにかかわらずにです。 恐らく世界の紛争の真の原因は宗教ではありません。自己の内の信仰心に「無自覚の信仰」があれば、それが争いの原因です。
それに対して、 「カミの仕組み」を理解している人々の世界とは、「神話の世界」ではありません。文字通り「カミの仕組み」を理解し実践する人たちの世界を「カミノヨ」と云ったのです。
図3
これが、ある科学者の述べた”理解”のある世界です。今の世界から見ますととても貧しいですけれど、心の豊かな世界です。
カミとは何か。カミの仕組みについては、前回の記事にあります。
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