本年2月2日の記事にて、縄文哲学と宇宙哲学の融合について記しました。その時点では、縄文哲学とG・アダムスキーによる宇宙哲学がとても似ていることから「融合」すべきと云う考えを述べました。 漢字が日本に伝わる以前に固有の文字があったらしいことに気付いた昨年よりの考察を先日の記事にてまとめてきましたが、詰まるところ「融合」ではなくて、「同一」であるとの結論に達しました。
(1)ヲシテ文献とは、ホツマツタヱ等の写本のことです。原本は失われています。発見されている写本の一番古いものは、江戸時代中期18世紀頃のもので和紙に墨書されたものです。例えば
写真1 「ヲシテ?・・・なあに?(古文書ヲシテ文献)」改訂版」より出典
のようなものです。 管理人も滋賀県高島市にある藤樹記念館を訪ねて「和仁估安聡本 ホツマツタヱ 秀真政伝記」の印影版を拝見しました。ホツマ文字にカタカナ読みを付し、漢字翻訳を添えたものでした。当然のこと、ホツマ文字に濁点、外濁点、ハネなどが付されている上に、特殊文字が多く使われています。どれが失われた原本当時からのものか、写筆者の癖なのか、理解不足によるものなのか、あるいは写本を繰り返す過程で変形したものかを判断するのは非常に困難です。
そんな中、発見者の松本善之助氏の塾生何名かの人たちは、ホツマ文字を
図1 四十八音図表 日本ヲシテ研究所池田満(C) 出典:池田満氏のサイトより
の様に、48音のヲシテ文字について母音と子音を「態たい」と「相そう」に分けて考えておられます。 写真1と比べれば分かりますように、図1の「イキヒニミチリシyi」の縦列は、写真1の墨書において、例えば漢字の「風」の「かぜかんむり」の様に書かれています。このよな違いを超えて図1の発想に達したことが好手であったということです。
その他の研究者は「ホツマ文字→カタカナ→現代日本語(漢字+かな)」と解釈されています。池田氏たちの図1によるアプローチによる、彼ら研究者の求めるものをまとめますと、次のようになります。
図2
原資料として(ヲシテ文献の写本)があります。図1のアプローチにより「ヨソヤコヱ:48音」を分解して理解することにより「現代日本語(ヤマトコトバ)」に翻訳します。更に翻訳したものを、より分かり易く解説することにより、現存しないヲシテ文献の「原作者達が考えていたであろう哲学(図1の左下部分)」を再構成したのが縄文哲学なのです。多少の過程の違いはあろうかと存じますけれど、概ねの過程は上記の通りだと考えます。 このようなアプローチがなければトコヨクニ建国の理念や当時の宇宙観を読み解くことは到底不可能だったと思います。 図1の手法により初めて「知」=気(キ)付くことが出来た(図1の太い破線)のであって、文献から直接読み取れる、即ち「分けることにより分かる」(図1の細い破線)ことと併せて翻訳ができたのだと考えます。
(2)管理人は、随分以前から電気磁気現象に興味を持っていました。電気と磁気が直交で現れることについて、
写真2
の様に、電場(透明の輪)と磁場(ピンクの輪)の両方にクロスする第3の輪(茶色の輪)を考えますと、電気磁気の現象がうまく一つの何かとして説明可能です。 言い換えますと、「一つの何かが違って見えることで、電気と磁気の現象として現れている」のだと理解していました。 それが20年くらい前から、何となくG・アダムスキーによる
図3
紡錘図形のヒゲの部分ではないか?と思うようになりました。(赤い四角の部分) それが今日、弧理論の考え方の基本としている
図4
左図でした。この考え方を井出治さんの超効率インバータ「デゴイチ」のエネルギー源に関して考察した結果得たのが
図5
右の発散トーラスでした。また、図4左を図4右のように変形した上で、2種類のE軸上の実体を重ねたのが
図6
右でした。
池田満氏の翻訳文並びに解説を読むことにより縄文哲学を学んでいく中で、図6右は、図1左下図2左下に描いたモトアケ「アウワ」に酷似していることに気付きました。(字句を訂正2017/02/7) そして最終的に池田満氏による「カミ」の解説
カミとは、「つながり、もたらし、生じさせる」
を上記「弧理論」の観点から補足したのが
カミとは、「ア」と「ワ」は、つながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。
でした。だから
写真3 ヒトハ アノモノ 池田氏書
「ヒトハ アノモノ」であり 「ヒトハ ウナリ」です。 ※「ヒトハ ウナリ」は管理人の創作です。 図6右を見ますと、「ウ」とは紡錘図形ですし、弧理論による原子模型です。 だから「ヒトハ ウナリ」なのです。また、「ウ」こそが、「弧Ark」なのです。 {実際の所、写真や足跡からまだ見ぬ「弧Ark」を思い描いている段階です。}
2017/02/7追記 縄文哲学において、「カミ」とは宇宙の仕組みを説明する語だったのです。
これほどに弧理論の考え方による「宇宙観」あるいはヒトの成り立ちが縄文哲学に似ているというのは、まさに二つは同一であると言い切ってよいと判断しました。
ここで、問題はいつも引用するある科学者の言葉です。 彼は、タマ・カガミ・ツルギ=精神科学・社会科学・物質科学について次のように述べています。
宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するならば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえないんだ。
まさに、縄文哲学には、精神科学と社会科学が含まれています。しかし、ここには「物質科学」は含まれていません。 恐らくは1950年代の初め、G・アダムスキーとダニエル・フライのコンタクトは「物質科学」の種を撒く過程の一つだったのではないかと考えます。まだまだスタートラインにさえ立っていません。
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浅野信という方が考案した文法が
ヲシテ文献と大和言葉を理解する上で
非常に重要になるらしいです。
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/page12.htm
通りすがり改めΠです。
Φさんはカタカムナに関してはどうお考えでしょうか。
よくわかりません。いくつかの神代文字と同じかと思います。静電三法を読んでも意味がわかりません。恐らく資料の出処が異なっても同じ事の異なる表現になろうかと思います。
アラゴーの円盤の現象の原因は
「電磁誘導」であるとされていますが、
果たしてそうでしょうか。
言い換えれば、
アラゴーの円盤に生じる力に
磁束密度(磁力線)が
関係していないのか、
関係しているのか、
アラゴーの円盤に生じる力の原因は
磁石内の陽子(原子核)なのか、
磁石内の電子(殻電子)なのか、
アラゴーの円盤に生じる力は
陽子(原子核)と電子(自由電子)の間の現象なのか、
電子(殻電子)と電子(自由電子)の間の現象なのか、
ということです。
アラゴーの円盤の現象を参考にして、
マイケルファラデーが
発電機を発明したらしいのですが、
それにもかかわらず、
アラゴーの円盤の現象は、
単極誘導以上に情報量が少ないようです。
それと、
単極誘導と同様に
納得のいく説明が足りないように見えます。
あ、過去の記事にちゃんと載ってました。
https://www.arktheory.com/wp-ark/?paged=22
既出済みません。
電磁誘導が
殻電子と自由電子の間の現象であると
断言できるのは何故でしょうか?
磁石が
全体として電気的に中性
(磁石内の陽子の数=
磁石内の殻電子の数)
なのですから、
陽子(原子核)と自由電子の間の現象と
見ても良いはずだと思います。
まあこれは「近接作用」と「遠隔作用」の
どちらを選ぶかという問題であり、
どちらを選ぶかと言われたら、
「コイルの運動」や「誘導起電流」
の強さから見て、
「近接作用」を選ぶだろうというのは
分かりますけど。
永久磁石は原子の向きが揃った結晶(磁区)の寄り集まりです。物質が強磁性常磁性反磁性を持つことについて、
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1128551671
に説明があります。(外部リンクを貼るとスパム扱いされます。)