図1 池田満著「ホツマ縄文日本のたから」p13図(展望社)より 加筆修正
は、2015年11月13日の記事現代はシャーマニズム全盛であるに用いた図です。
縄文時代の初期のごく小さな集団から、竪穴式住居+木の実の栽培により定住し、やがて「持てる者と持たざる者の差」ができます。 気候変動などを契機に権力争いが頻発するようになります。こうして精神性の高い縄文時代は終わりを告げてシャーマニズム(神頼み)の時代がやってきます。これが信仰の時代です。
上記の記事を書いた時点では、よく分かってなったこととして、何に対して神頼みなのかということです。現代は、「お金と時間に対する自覚のない信仰の時代」と云ってよいと思います。神頼みは今もより強く続いています。
これまでの考察により
図2
紙幣もコインもプラスティックマネーも預金通帳の記載もお金の偶像に過ぎず、単なる数字であり、お金は存在しません。 また、
時計も電子素子の運動を表示しているに過ぎず、そこに時間は存在しません。時計は時間の偶像です。
図1を見ると縄文時代初期、初代クニトコタチさんから12代ウカヤフキアワセズまでは、
図3
「カミノヨ」です。 それ以降は、人皇初代タケヒト(神武天皇)となっており、ヒトの世となっています。
「カミノヨ」とは神話の世界ではありません。研究者の池田満氏によれば、縄文哲学においてカミとは、「つながり、もたらし、生じさせる」でした。過去記事を参照ください。
縄文哲学に弧理論の考え方を併せますと
図4
より
図5
右を経て、以下のように読み下せます。 カミの定義として
「ア」と「ワ」はつながり、「ウ」をもたらし、「ヒト」を生じさせる。 「ヒト」は「ア」のもの であり、「ヒト」は「ウ」でもある。
ウとは弧理論の考え方における原子模型(紡錘図形)でした。 どう見ても「カミ」とは宇宙の仕組みを指しています。
図1 再掲
つまり、「カミノヨ」とは、初代クニトコタチさんから12代ウカヤフキアワセズさんまでの期間、「カミの仕組みが分かり(実践)していた人たちの時代」のことです。 そして、人皇初代神武天皇、それ以降は「カミの仕組みを忘れてしまった人たちの時代」だということです。これを「人の世」といいます。 そして、精神性の衰退とともにシャーマニズム(神頼み)の時代へと移っていったことが図1から読み取れます。 その契機が軍事にあったということです。 軍事の目的は、富の掌握です。現代で云えばお金です。
-・-
人の世、つまり、自覚なき信仰の時代とは、どのようなものか考えてみます。図5右の「アウワ」の元となる図4左を基本として、次の図を作成します。
図6
は、数学者岡潔の心の働き「情 知 意」や「浅い心」並びに「深い心」などと縄文哲学の核心部分を弧理論の考え方である「E-M軸平面」に重ね合わせた図です。 これまでの考察により、現代人は概ね{五感により受ける外界の刺激を「分ける」ことにより「分かる=理解」すること}によって成り立っていると感じています。大方の人がそうです。 岡潔はこれを「浅い心」と呼びました。どうもE-M軸平面に「想念は位置を持たない」というのを重ね合わせますと、想念の経路は2種類あることに気付きます。
岡潔の「浅い心」とは、経路②のことであるとわかります。 つまり、想念の経路②は、「意識を通す」し、「言葉で言える」ということです。 一方の「深い心」とは、「意識を通さない」し、「言葉で言えない」というものです。 これを岡潔は「情じょう」といいました。 情とは何となく趣おもむきがわかるというものです。 図1では、想念の経路①にあたります。 岡潔は、深い心(第1の心)について、「一滴の涙」の【1】人には心が二つあるにおいて、次のように述べています。
人には心が二つある。大脳生理学とか、それから心理学とかが対象としている心を第1の心と呼ぶことにします。この心は大脳前頭葉に宿っている。この心は私と云うものを入れなければ動かない。その有様は、私は愛する、私は憎む、私はうれしい、私は悲しい、私は意欲する、それともう一つ私は理性する。この理性と云う知力は自から輝いている知力ではなくて、私は理性する、つまり人がボタンを押さなければその人に向って輝かない知力です。だから私は理性するとなる。これ非常に大事なことです。それからこの心のわかり方は必ず意識を通す。
ギリシャ人や欧米人、主としてギリシャ人や欧米人を指して西洋人と云うことにしますが、西洋人は、ギリシャや欧米の文献をどんなに調べてみても、第1の心以外を知ったと云う痕跡は見当らない。だから西洋人は第1の心のあることしか知らないのだと思う。
岡潔は、「どんなに調べてみても、西洋人には浅い心以外を知ったという痕跡が見当たらない」と記しています。 対して東洋人は何となく「深い心」が分かっているとも記しています。 ですから、彼ら西洋人の支配の根底には想念の経路②に基づくものしかあり得ないのです。
大戦後の日本の支配には、GHQにより3S政策というものがとられたことが知られています。3Sとは、Screen(スクリーン=映画)、Sport(スポーツ=プロスポーツ)、Sex(セックス=性産業)のことです。この3Sを用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策であった訳です。一説によれば、これは現在も「マスコミ・学者など」により続いているといいます。 因みにビートたけしは、ある番組において「本当のことを知っていても言わない」と述べていました。
この3Sは、いずれも{五感により受ける外界の刺激を「分ける」ことにより「分かる=理解」すること}に基づいていることが理解できます。 想念の経路②に基づいているということです。 「意識を通し、言葉で言える」ことを「繰り返し、繰り返し」人々に与え続けることにより、「自分の知っている事以外」は、「無い」と思わせているのです。 もっともwikiによる「大衆の関心を政治に向けさせない」は、誤りです。 政治制度によって「自覚のないお金への信仰」を解くことは不可能だからです。
図1の注釈6において、想念の経路①は縄文哲学の「トノヲシテ」の「ト」であり、想念の経路②が「ロノヲシテ」の「ロ」であるようです。 カミノヨの頃は、「ト」「深い心」と「ロ」「浅い心」の両方を知っており、かつバランスのとれた(トとロを実践する)状態だったということです。 それが人の世の頃になると「浅い心」しか知らず、権力闘争に明け暮れるようになったということです。しかも「ロノヲシテ」には、「分かつ、皆に分け与える」ことが含まれているのに、「分けて、収奪する」状態に落ちています。下図を参照ください。
図7
特性として、五感は次第に麻痺します。 昔のCMは「より良い、商品を差別化して買うよう仕向ける」という内容でしたけれど、現在のCMは、「買わないと不健康になる、商品を脅迫して買わせる」という内容になっています。 矢鱈と健康不安を煽るバラエティ番組でもそうです。 見ていて不快です。作成自身が不健康だからです。
これまで当ブログでご紹介してきた図や解説について、岡潔の言葉や、縄文哲学の核になる部分、あるいはG・アダムスキーやダニエル・フライのコンタクトなどを統合することにより作成してきました。 ここにヲシテ文献研究の第一人者である池田満氏による研究成果を引用させていただくにあたり、管理人の統合作業によって、池田氏の見解と異なってくる場合があります。しかしながら、氏の研究を貶める意図はありません。 失われたヲシテ文献(原資料)の作成者が何を考えていたかを知り縄文哲学を再構築(復元?)する為には、岡潔他の資料と抱き合わせて統合して考えることにより、より真実に近づけるだろうことと信じています。当ブログをお読みの方には、ご理解賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
追記 そういえばG・アダムスキーや久保田八郎氏は、想念観察を勧めていました。想念観察に熱心であれば、想念の経路②の他に経路①に気(キ)付く道が開けてくるはずです。
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基本的に、
自分の身体は一つです。
どれだけ
目の前の物事が
正しかったり、素晴らしかったり、
間違ってたり、駄目でも、
目の前の物事は
自分の身体でも
自分のものでもありません。
自分の身体以外に
自分の身体は存在しませんから。
Φさんも
弧理論に
固執しないように
気を付けてください。
目の前の状況に左右されずに、
五感そのものを観察する必要がありますね。
基本的に、
お金、時間、暴力、
仕事、効率主義、成果主義などが絡むと
命や健康といった
非常に大切な要素が
通りにくくなります。
西洋人の文化に近いほど、
目、耳、色、光、音への依存度が高まると思います。
目、耳、色、光、音への依存度が高まれば高まるほど、
心への依存が少なくなり、心が浅くなると思います。
日本で言えば、
大都市圏(特に東京)に近付けば近付くほど
目、耳、色、光、音への依存度が高まり、
心への依存が少なくなり、
心が浅くなるということです。
東京は世界随一の大都市圏であるらしいですから、
岡潔、縄文哲学、宇宙哲学の観点から見ると、
東京は最悪の場所だと言えると思います。
鉄道、高速道路、自動車、
地下鉄、建造物、
電子機器、LEDライト、蛍光灯は、
五感にとっては本当に害毒です。
東京にはこういった
五感への害毒となる
「文明の利器」が溢れかえっています。
現代は
「やった者勝ち」「やらせた者勝ち」
「見た者勝ち」「見せた者勝ち」
「聞いた者勝ち」「聞かせた者勝ち」
「言った者勝ち」「言わせた者勝ち」
「読んだ者勝ち」「読ませた者勝ち」
「書いた者勝ち」「書かせた者勝ち」
「描いた者勝ち」「描かせた者勝ち」
「稼いだ者勝ち」「稼がせた者勝ち」
の時代です。
言動にはっきりとした検証が無いのです。
現代は
はっきりとした検証が行われないまま
状況、事態、状態だけが
ズルズルと加速度的に進んでいます。
ブレーキもハンドルも存在していません。
お金や時間への無自覚な信仰を無くす為には、
お金、時間に関する物事を
自分たちが出来る限り一切見聞きしないこと、
お金、時間に関する物事を
出来る限り一切見聞きしないように
書き続ける、言い続けるしかありません。
お金、時間、
教育、メディア、
政治、軍事、シャーマニズムなどの
支配者の常套手段は、
ほぼ全部
「視聴覚」中心の「刺激」です。
「視聴覚」中心の「刺激」は
生活を維持できる範囲内だったら、
実は一向に無視しても構わないものです。
でも支配者が一番嫌なのは、
大多数の人間に無視されることです。
ですから、
声を大にして、武力や経済力を携えて、
大多数の人間の目や耳、視聴覚に
働きかけていくのです。
そうやって、
支配者は大多数の人間を
支配しようとするわけですね。
でも
人間の目や耳にとっては、
強い刺激は害毒です。
欲望、快楽、情欲、うつ病、
病気、老化などの
マイナスの現象の原因となります。