分かり難いお話しを一つメモします。早いもので研究は7年を過ぎて8年目に入ります。
お金について10年近く、時間について2年余り調べて考え続けてきました。当時、研究をやりたいが為に僅かながらの年収を捨てて、この生活に専念し始めました。当時からそう思っていました。 ところが先日ふと、そういえば「研究のための時間をお金で買ったんだ」と気付き、家人に述べたところ「無いもので無いものを買ったんだ。」と言われて、「?!確かに妙だ。」と改めてこのことについて考えました。
お金とは何かを調べる為、10年近く為替のグラフを記録している内に、「人の活動の内で、最も周期の長いものは、経済活動であり」例えていえば、
図1 こちらより
大縄跳びの様なものだと感じました。その周期は長いもので十年余、短いもので数分であり、グラフを見ただけでは横軸のスケールが(月)なのか(日)か、あるいは(数時間)なのか時間の単位はまったくわかりません。ほとんどフラクタル図形に見えます。でもどこか周期的です。(一説には太陽の黒点数の周期に関係あるとされます。)
例えば、ある国政選挙があった際に、投票日の一月ほど前から為替の変動が始まって選挙当日にはいわゆる「織り込み済み」の状態になっていました。選挙日以降は別の変動に移行します。変動が大きければ、賭け率が大きい人はここらあたりで振り落とされます。 しかし、グラフを付けていると、どうも原因と結果は逆ではないかと感じます。つまり「選挙」があるから思惑で「変動」したのではなくて、選挙を理由に「変動」させているようにも見えます。 どこか地球温暖化詐欺の二酸化炭素と気温の関係に似ています。
全員が有無を言わせず「お金」という大縄跳びを強制されます。縄跳びに躓いた本人が社会から脱落するだけで、大縄跳びは続きます。 問題はこうです。 何処かに大縄(経済)を回す連中が居て、その連中の意図する様に大縄の緩急が制御されています。 そして、回している連中も含めて、この世界から抜け出せないのです。 過去記事、2014年2月1日時間のドレイにならないこと並びに2015年9月5日1%未満の支配者と自覚なき奴隷は、いずれも犠牲者であるを参照ください。
過去記事に記しましたとおり、古代ローマにおいて、ローマ市民は
図2 出典はこちら
ローマ市民権において、自由を持っていました。 彼らが持つ自由な時間は、奴隷によって支えられていました。
現代において私たち市民は、「自らの衣食住は自らまかなう奴隷」に過ぎません。
全員が強制される大縄跳びという、どうしようもないジレンマから抜け出すには、自分の自由になる時間を別に買い戻すしか方法がありません。 それが、「時間をお金で買う」ことの意味です。
これまでの考察により、お金も時間も存在しません。 在るのは、人(観測者)と「物あるいは波」とその運動だけです。 本当は、自らの労働により自分の食い扶持が満たされれば、あとは自由に使えるはずなのに、存在しないお金と時間を介在させることによって、何処かの誰かに搾取されています。 その結果、自ら働いて得た「お金」で「自由な時間」を別に買い取らねばならない羽目に陥っているということです。
でも、「学問は自由」などとは幻想に過ぎません。大学教授にありながら学者ではない人が大勢います。まったくの自由に事を進めるには仕方のないことです。情けない話です。
追記1/14 若い頃に詰め込んだ部分を人生の後半に残すというか、時間を買い戻すという感じです。ただし、かつて働いて得たお金の内、恐らく8掛けくらいになろうかと思います。(間に搾取されるため) この場合、人生の後半の時間を使って研究していますので、若い時分より、ネットなどによる知識や余裕、経験値は高いです。
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