漢字の伝来は5世紀頃(漢字Q&A)とされますが、早くは紀元前1世紀頃には漢字の刻印された貨幣が日本に入ってきていたようです。(漢字はいつごろ日本に伝わったのですか?) また、仏教の伝来は6世紀頃(AD538年が有力)(仏教公伝)とされます。 しかし、渡来人はそれよりかなり早くから日本にやってきていたようです。
以前、ご紹介した紫霄閣(ししょうかく)のサイトにある聖徳太子が封印した日本の優れた古代文化の中から年表部分を引用します。
聖徳太子(574~622) が活躍した頃の歴史を簡単に追ってみる。参考までに、年表には大陸での
興味深い出来事も加えてある。
・BC206 秦滅ぶ
※秦は極めてユダヤ臭が強い
・252(?) 百済王の世子である寄生、倭王旨のために七支刀を製作
※七支刀はユダヤの燭台と同じ形
・552 仏教伝来。 百済聖明王、欽明天皇に仏像・教典を贈呈
・552 中国北方のモンゴル人国家・蠕蠕滅び、西方のカザール地方へ逃れる。
※蠕蠕にユダヤ系がおり、これがカザールの改宗に関与したという説もある。
・562 新羅、任那を併合。任那の日本府滅ぶ
・587 蘇我・物部の争い
・AD6C~AD7C 大乱に伴い、神代文献を徹底して焚書
・662 先代旧事本紀
・663 白村江の戦い。百済滅ぶ。
※日本が外国勢力に大敗したのは、白村江の戦いと第二次大戦の2度のみ。
白村江の戦いは極めて重要な出来事。当時と今日の状況は、極めて類似。
・675 新羅、百済を併合
・712 古事記
・720 日本書紀
・740 カザール国(白人トルコ系遊牧民族)、ユダヤ教に改宗し、アシュケナージ・
ユダヤ人となる。
・807 古語拾遺
・蘇我・物部の争いが、海外勢力を背景にした蘇我家と日本固有勢力の物部家との争いであること
は良く知られている。聖徳太子が生きた時代は、大陸の動乱に伴い、日本が大きく変革せざるを
得ない時代であった。
秦氏は渡来系の人たちです。 ホツマ辞典(池田満著展望社)付録1系図にも渡来系と思われる「カラ・ミマナ」や「シラギ」あるいは「徐福」の名が見られます。 池田氏に直接お聞きましたところホツマツタヱに(徐福)の名が記されている箇所をお教えいただきました。(当然、徐福とは書かれていません。箇所を失念※) wikiによれば徐福は「中国の秦朝(紀元前3世紀頃)の方士」とあります。
※ホツマ辞典付録1系図によれば、徐福の末裔?にあたる人物に「ソロリヨシタケ、ソロリヨスナ(ヒトボシ)」とあり、徐福は「ソロリ」あるいはソロリヨシタケであったようです。1/23追記
年代は特定できませんけれど、かなり早い時期に日本列島に渡来人がいたようです。
図1 出典:ホツマ縄文日本のたからp13(池田満著展望社刊)
は、元図に管理人が一部加筆修正したものです。(人皇10代と11代が誤って入れ替わっています。正しくは、10代ミマキイリヒコ【崇神】、11代イクメイリヒコ【垂仁】が正しいです。訂正します。)
ホツマ縄文日本のたからより引用します。
人皇の時代になってからは長く平穏なときが続いたのでした。 十代のアマキミ天皇(人皇)ミマキリヒコ(崇神天皇)の頃から外国との交流が盛んになります。そして、国内には疾病が流行して大問題となりました。この頃からです、世の中はシャーマニズムに傾いてゆきます。外国との関係の深まり、そして、シャーマニズムの台頭のうちにヲシテ時代が終わりを告げます。そして、次におとずれるのが国字が漢字になってしまう、日本の姿です。
時代の大まかな流れを上図に表してみました。文化と軍事関係そして、シャーマニズムの三本の曲線を、感覚だけで描いてみました。
池田氏は、シャーマニズムのことを「神頼み」と言われます。 管理人は、神頼みは、金頼みであり、拝金主義に繋がると考えてきました。 現代においては信用創造(賭け率)とも通じるものです。 人は無条件に「お金」を受け入れています。現代も「神頼みの時代」です。その源流が縄文時代末期から古墳時代にかけて台頭したシャーマニズムにあると考えています。 日本列島へやってきた人たちが土木技術や硬貨などの文化とともに病気を持ち込んできただろう事は容易に推察できます。
お金の最大の問題は、人の非線形な感覚と合わないことです。そのズレを賭け率(信用創造という言葉が気味悪いです。)にして10倍以上に拡大しているが為、バブルや大恐慌が発生すると考えます。 これが自覚のない信仰の実態です。 余談ながら宇宙を理解するに10進法による数学より12進法の数学が適切だろうと考えます。 また、人の感覚が距離に敏感である為に、大きさに拘る傾向にあります。 空間を等しく分ける【角度】の方がより本質的だろうし、理解が容易だと考えます。
図2 こちらより
カミノヨは、初代クニトコタチから12代ウカワフキアワセズまでです。そこから人皇初代タケヒト(神武天皇)からがヒトノヨです。
書店で購入した日月神示は逆説に満ちている!(内記正時著ヒカルランド)に興味深いことが記されています。
- 「人皇」勢力とは渡りて来た幽界がいこく身魂みたまであった
以下に一部引用します。
「人皇」を立てた勢力は、「途中からの替え身魂」であり、「渡りて来た身魂」であって、その正体は「幽界がいこく身魂」だとありますから、ここからも「人皇」勢力が本来の「てんし様」の霊統ではないことがよくわかります。
この勢力は、歴史的には大陸から日本に来た渡来系民族の一団であり、彼らが土着の豪族などを征服して大和朝廷を打ち立て、やがて全国を統一していったと考えてよいでしょう。
どうも、筆者によれば、渡来系民族により「乗っ取られた」のではなくて、渡来系の人たちの勢力に配慮して、タケヒト(神武天皇)自らが人皇を名乗らざるを得なかったとのことです。
詰まるところ、本当のことは分かりませんけれど、シャーマニズム(神頼み)は、渡来系の人たちにより日本にもたらされたのではないかと考えます。 当時のヤマトクニ(ヒノモト)の人たちは、渡ってきた人たちの持つ技術や文化を受け入れると同時に、激しい競争や今までに無かった病気とシャーマニズム(神頼み)をセットで受け入れざるを得なかったと考えれば納得できます。
ついでながら、ホツマ辞典によれば「ロノヲシテ(ロノヲシヱ)」について、次のように書かれています。「トノヲシテ(トノヲシヱ)」の項目から引用します。
トは他人に対するミヤビ(他人の幸福を望む心)であるのに対し、ロは自分自身の自立を意味する。他人に幸せをもたらすためには、まず自分自身の自主独立の幸せがあってこそであるとする。幸福の共存がトであり、自己犠牲ではない。
とあります。トノヲシテ、ロノヲシテのいずれにも(神頼み)の意味は微塵も含まれていません。
ここから、関連する別題です。
弧理論の考え方からくる
図3 pdf
想念の経路①と②を考慮すると、多少の相違はありますけれど、トノヲシテとロノヲシテは理想として受け入れることができます。 ※辞典のままの意味からは、ミクサタカラ(タマ、カガミ、ツルギ)=(精神科学、社会科学、物質科学)が導けません。
図4 pdf
左部分、辞典にある「トノヲシテ(トノヲシヱ)」の意味と図3左部分(弧理論の考え方による想念の経路)とを比較しますと、「トノヲシテ」に含まれる「わかつ(分けて与える)」はむしろ「ロノヲシテ」に含まれると考えられます。
図5 参考図
これまでの考察により、宇宙の仕組みである「アウワ」と「カミ」の関係、あるいは「トノヲシテ、ロノヲシテ」など想念の仕組みが概ね分かってきました。これらを象徴したのがミクサタカラ(タマ、カガミ、ツルギ)=(精神科学、社会科学、物質科学)です。 仕組みや手順などが分かれば十分だと思うのですが、ならば何故「アメノミチ」が解かれるのかよく分かりません。 もっと基礎的なことが抜けているのかも知れません。 無個性な基本粒子が故に、数や言葉の概念が成り立つ。ならば、路傍の石や草花にも想念は在ることになります。 これがG・アダムスキーから永く離れていた個人的な理由です。何とかしたいです。
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