これまで数学者岡潔の言葉について、いろいろ考えてきました。自然科学の一番大きな問題である「時間」については、概ね理解できました。 次に問題なのは、「五感で分かる」という点でした。これについても理解できました。 管理人の得た結論は、「自然科学は近似である」というものでした。「五感でわかるもの以外は、無いとしか思えない(唯物主義)」なのですから当然のことです。自然科学は古典的範囲において正しいといえそうです。 五感の限界が自然科学の限界だったのです。それをムリに補完したのが「時間」でした。 ただ過去記事にあるように何十年か前に自然科学は唯物主義を捨てていることも事実です。 以下に、少し補足します。
肉体に備わった
図1
「五感」は、基本粒子である「陽子、中性子、電子」で構成されています。極大の世界である宇宙は、距離がありますので、五感でわかる範囲が限られているのは、当然のことです。表1の右側。
表1
問題は、極小の世界についてです。人の持つ感覚器官は「陽子、中性子、電子=原子」で構成されていますから、基本粒子(原子)より小さな素粒子等は五感で分かるはずありません。感覚器官でとらえられるものではありません。 放射線は無味無臭で直接的には見えません。考えてみたら当たり前のことです。
ただし、電荷を持つ粒子は原子と相互作用をします。ですから、そのような場合において「五感で分かる」のは、火傷であったり、ガンを発症したりといったものになります。基本粒子未満の素粒子等は、五感を基本とする人の身体にとって有害であると考えられます。 ここに、例えば物理学理論と人の五感との間に乖離があります。
では、自然科学から岡潔の思想はどのように見えるかについて考えます。 岡潔の言葉を講演録「2つの心」より抜き書きます。
- 「意識を通す」「言葉で云える」・・浅い心(有)
- 「意識を通さない」「言葉で書けない」・・深い心(無)
1.の浅い心が自然科学の対象とするところです。 自然科学者は2.の深い心について、「無いとしか思えない」のです。岡潔によれば、「ないと云っているのではない。ないとしか思えない。だから何も考えちゃいない。」ということです。
当サイトに於ける考察の過程において、人の就寝中における「寝返り」について、その原因やメカニズムについて、自然科学では【分からない】あるいは、【扱えない】だろうと予想していました。
ところで、先日ある脳科学者に質問できる機会がありました。 そこで「人が就寝中になぜ寝返りを打つのか。脳のどの部分がどのように働くのか教えて欲しい」と、その脳科学者に質問しました。 幾らかの説明がありました(ここでは省略)が、結論は「分からない」という予想どおりのお応えでした。 その際のやりとりで質問者である管理人が何をしている者なのか聴かれましたけれど答えに窮していると、彼は「あっち系か。」と云われました。
カテゴリの異なる対象を、直接明言せずに指し示す用語です。
自分の属するカテゴリ以外を指し示すときに用います。
この用語を用いて会話が成り立つかどうかはそのときしだいです。
とありました。また、
(マジョリティーにとっての)マイノリティーを指す隠語。一般人にとってのオタク、異性愛者にとっての同性愛者などが対象となることが多い。「そっち系」とほぼ同義。
とあり、「そっち系」でいえば、
自身とは違う考えの持ち主に対して用いられる隠語。イデオロギーにとらわれている人が、違うイデオロギーを持っていると思われる人間に対して使われる。
とあります。
具体的に、脳科学者がこちらをどのようなカテゴリと捉えたのかは、定かでありませんけれど、管理人が考えるのは、以下だろうと思います。
- スピリチュアル
- オカルト
- 都市伝説?
- 宗教
- 何かのカルト?
他にもあるでしょうけれど、1.の「意識を通す」「言葉で云える」・・浅い心(有)以外は思いつかない故に、あっち系だと思われたようです。
管理人は、(理想として)「あるべき理論」は、スピ系も都市伝説も悪魔崇拝も、はたまた人々による「お金・時間」への自覚のない信仰も、人の(ほとんど)全てを説明できるはずだとの思いがあります。 それが、岡潔の云う2.「意識を通さない」「言葉で書けない」・・深い心(無)に含まれていると考えます。 対して自然科学者は、1.しか知りませんので、上記をあっち系として一括りにするのだと思います。 岡潔は、人のすべてを分け隔て無く思考の対象に挙げてくる凄さを持っていることがわかります。
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http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-24-00.html
2017年2月18日に公開された岡潔講演録の「情の発見」です。
少しずつ読んでみます。一度に読んでも消化できません。時間についてだけでも3年ほどかかっています。「情」は、縄文哲学のナサケヱダやアワレヱダと関連しているはずです。
岡潔の「情」を英訳するには
どの英単語が適当なんでしょうかね。
ずっと考えてるんですけど
答えが全然出ません。
岡潔は、ギリシャなどいくら調べても無かったと述べています。西洋には無いのですから、しようがありません。興味を持ってもらって日本語のまま飲み込んでもらうがよいと思います。
それちょっと考えていたんですが、
何か違和感感じるんですよ。
「五感」や「首から下」が共通してるんですから、ギリシャ西洋東洋日本の違いはあるにしても、岡潔が言うような絶望的な違いなのかと疑問に思います。「五感」や「首から下」が共通してなければ国際結婚も海外旅行も衛星放送もインターネットも出来ませんから。
岡潔の時代は国際結婚も海外旅行も衛星放送も
極稀で、岡潔はそういった要素を重要視しなかっただけなのではと思います。
ここのコメント欄での上記のようなレスをした上でこんなこと言うのはずうずうしいんですが、岡潔の「情」をズバリ言い当てるような言葉が欧米や東洋に存在しないだけかと思います。「五感」や「首から下」が共通してるんですから、言葉を尽くして説明すればある程度までは翻訳出来るはずです。
私から見ると
岡潔の発想は
「首から下」的なものとは何かを
「首から上」で考えたり、
「首から上」の暴走をどう抑えるのかを
「首から上」で考えているだけであって、「首から下」そのものを
無視してるように見えます。
そこはやはり大学教授という職業としての限界だと思います。
大学教授は「首から上」を酷使する知識労働者ですから。
http://web.archive.org/web/20160316131005/http://members3.jcom.home.ne.jp/shishoukaku/07sk/160627fabrication/fabrication.html
上のURLはインターネットアーカイブ上に残ってる紫霄閣のアーカイブですね。
ありがとうございます。この前にはInternet Archivesに見当たりませんでした。
紫霄閣のページのサーバーである
J:COM NET加入者向けWebSpaceサービスが
2017年1月31日に終了したので、
現在、紫霄閣にアクセス出来ないみたいです。
Twitter上に紫霄閣の内容をコピペしたアカウントがあるようですので、
URLを張っておきます。
https://twitter.com/shishoukaku
こういったウェブサイトのサービス終了やページの削除が時々あるので、
コピーやアーカイブを取っておく方が無難かと思われます。