ボールベアリングモータ らしき面白い実験動画がありましたのでメモします。
動画1 【大発見】アルミホイル玉に電気を流すと無限に転がり続ける / 米村でんじろう[公式]/science experiments
どうも管理人には ベアリングモータ ーのように見えます。(参考資料)
動画2
のコメントにもありますように、ベアリングモーターは「ローレンツ力」で回転可能のようです。ということは、動画1のアルミ玉の回転もローレンツ力で説明が可能かも知れません。 動画1のアルミ玉もボールベアリングモーターと同じ特徴を持っているかどうか気になります。
ベアリングモーターは、電流方向が同じとして初動の回転方向へどちら向きでも回ります。 動画1のアルミ玉は、どうなんでしょう? 動画1に疑問をコメントしておきました。回答があればありがたいです。
似た動画「単極誘導モータ」を挙げておきます。
動画3
管理人は、動画3に似ているものを試したことがあります。 真鍮の棒2本をレールのように平行に置いて、棒の間に電圧をかけます。棒磁石をレールの上を転がるように動く単極誘導モーターです。電流は、棒→磁石→棒の順で流れます。 →1989
動画3は「単極誘導モーター」ですから、動画1や動画2とは特性が異なります。転がる方向は電流の向きにより決まります。
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アルミホイル玉を無くし、二重の金属ボウルに高電圧をかけると、バンソン特許の二重回転リングですね。
動電気と静電気、あるいは電流とその周囲に何が起きているのか、横断している学問はあるのでしょうか。ローレンツ力は質点-剛体の発想ですし、弾性流体や分布、群として見た場合は同じ記述にはならないはず。どうも、個と全の関係性を分離している前提があって、それを忘れているから話がややこしくなっているように感じます。
このアルミホイル玉、ボウルに接触している下部は主に電流経路になる。上部も電磁気的に何も起きていないはずはなく、電圧がかかっている。帯電している?個の状態としては不均一になっている。アルミホイル玉に力が発生して転がる、その説明もアリだけど、力が便宜的表現とすれば、周囲の環境によってそれは転がされている、という説明も成立する。
アダムスキーの新全集6巻3章にある起電機の説明「静電気の推力」「力学的な関係なし」にひっかかる。Φさんの実験4-2は接触しない方が移動量が大きい。あれは静電気の推力なのかもしれない。
宇宙船と重力という3章はたった11ページですが、必要十分らしい。1章から通して読むと、個と全の関係性について述べている。というか、彼の本は一貫して個と全の関係について繰り返し触れていて、それが宇宙船製造の根幹のように思われます。UFO・宇宙人好きの一部の人達が仰々しいことばかり言うから敬遠しがちなだけで、情報のデータパターンが常に同じであることを考えると、工学応用まで可能な、これが思考の柱になっている。
>バンソン特許
ですね。記事にはしてませんが、以前作ったことがあります。
>ローレンツ力
最近、ローレンツ力は見かけ上の力なのではないかとの疑念を持っています。本質は「回る:単極誘導」なのに発想を「回す」に置き換えているような。
>個と全の関係性を分離
難しく言えばそうですね。概念化抽象化が理解の最適だとは思わないです。
ベアリングモーターもアルミホイル玉の回転も実際のところ、現象が複雑すぎてよく分からないです。
>アダムスキーの新全集6巻3章
弧理論の考え方が分かってきてから読むと印象が異なってきます。静電気・磁気・磁場という言葉は電磁気学そのままのつもりで読むと意味不明です。どうも発散トーラスと理解すると比較的読めます。楕円磁場は発散トーラスそのものです。p39「銀河系をも結んでいる・・・・原子の極微の磁場のあいだにも存在する。」モロそのままです。実験4-2で1.跳ね方と2.火花放電の有無の違いは未だ謎のままです。電磁誘導とローレンツ力として説明されますが、ローレンツ力という説明が怪しいです。座標変換という方向へ持っていったのは間違いだと思います。第一、実験4-2の説明がつかないままです。接点で生じているのか、電流経路に生じているのかの違いは数式では分かりません。電磁気現象の力学特性を確かめようと思った切っ掛けです。
近頃、原子の構造と発散トーラスの関係を考察し続けています。ベアデンが云ったように、複数の発散トーラスが相殺しているらしいです。原子の構造は2つの「渦とサイホン:未発表」に例えられます。未発表ですので説明は略します。
どうも、磁気あるいは磁場というのは2種類あるようです。表(M軸)と裏(E軸とM軸の関係)です。裏はE軸上の実体とM軸上の発散トーラスの組み合わせによってできています。アダムスキーが述べている静電気・磁気・磁場というのはすべて裏でのことです。裏の磁場はすべて相殺して表には差分だけが出ている。そう感じます。バランスを崩すだけなのに、その仕組みが分からない。単極誘導モーターの応用であることは間違いないです。
>宇宙船と重力
電磁気現象の観測者に対する座標系の話から相対論へという話は信用できません。行き着くところが「重力の原因は質量による空間の歪み」というのは変です。空間てなに?光速度不変からくる?意味がわからない。やはり時間そのものが問題。 重力レンズは、別の次元軸を想定して説明した方がよほどすっきりする。現に空間を2次元平面として縦軸方向に歪む説明をよく見かけます。アルミホイルと一円玉の実験そのままです。当然重力には斥力もあることになる。
ローレンツ力だとアルミホイル玉の中心をベクトル始点とするのかどうか。そうだとすれば玉は滑るように動く。でも、転がっているのだから、矢印は中心を射貫かない。これは公転と自転のモデル。公転現象だけを取り出すとローレンツ力の表現になるのかもしれません。二重ボウル=レールの軌跡が惑星上にジェット気流として現れるイメージが浮かびました。
p40。電気交流だと転がらない。
p42。重力場を発生とは”個”の単位を変えることと思う。船体に電磁気操作を施して、惑星に対して船体を1つの個に見せる。
p43。個(円盤)が全(惑星)に同化する。だから力学的な関係が無い。
p44-46。より溶け込んで見えなくなる。
p46-47。では宇宙船はどう造るべきか。
そのまま読めば良いようです。宇宙船の記述をたまに読み返しますが、ようやくまとまってきました。見えなくなることは今日の大きな発見でした。
惑星は太陽に溶け込み、太陽系は超太陽系の1つとして溶け込んでいる。これが延々と続く。つまり、夜空に恒星が見えるということは、すべてが溶け込んだ1つの宇宙があるということなんだ。
(私的すぎてまるで電波。説明しにくいものですね。)
>矢印は中心を射貫かない
アルミホイル玉に流れる電流により、磁場が生じることと関係する?ベアリングモーターに関して、熊谷氏が詳しく考察しておられるようです。よくわかりません。
>そのまま読めば良い
どちらかといえば反対の意見です。用いられている電気磁気という語を古典電磁気学の用語として読むと理解不能です。トム・ベアデンの手紙によれば、電磁気学はルードヴィッヒ・ローレンツにより非対称部分を切り捨てられたものです。電磁気学の矛盾から派生した相対論は勿論のこと、原子を波動関数による確率的存在とする量子力学とそれを基礎とした素粒子物理学(という理解の仕方を)全部切り捨てます。電磁気現象を別の次元軸からの投影による映像だと理解するならば、非対称な電磁気現象として理解できると思います。
これまでの考察によれば、どうも磁石のNとSは「対」では無いようです。もっと対称性の高いものです。ことに単極誘導の現象は別物です。ttp://www.tsukuba.ac.jp/attention-research/201709061400.html とね日記にも取り上げられた問題(ローレンツ力)も非対称な発散トーラスの組み合わせによる差分ではないかとの結論を得ています。これはベアデンが指摘したヘビサイドが発見したという回転性電磁気エネルギー流そのものです。互いに相反して打ち消し合うことで、僅かばかりの現象として単極誘導は現れます。
弧理論の考え方による原子模型はボーアによるようなものより、古典的な長岡半太郎の原子模型に近いです。すべての物質の運動、それはE軸上の実体が静止状態に戻ろうとするが故に、M軸上の物質は運動P_せざるを得ないことに起因します。M軸上の物質は本質的に運動せざるを得ません。それは投影の仕組みにおいては回転として現れます。殻電子は運動P_を放出して原子核に落ち込みません。どうも電子は、陽子の運動P_と相殺しているらしいです。ただし、中性子を介して。原子をして、非慣性系として座標変換して観測者に対して不変な数式にするという「拘り」は捨てて良いと考えます。原子の内部に(回転として)異なる運動P_が混在しているということです。これはうまく工夫すれば外部に運動P_を取り出せることを意味します。 とても文章ですべてを表しきれるものではありません。
>すべてが溶け込んだ1つの宇宙があるということ
全同意です。過去記事に「鐘が鳴るのか撞木が鳴るか」としました。
たまたまNHK cool Japanを観ていて、荒俣宏氏が「尺八は楽器じゃない。修行僧が吹く。自然の風音のようにも聞こえる尺八の音は、自分か尺八かどちらからかと問われて修行僧は考える。で、自分(僧)は風になる。」と述べていました。「分けることによりわかる」では無いのです。自然は映像だとわかれば全ての道が拓けます。
>>そのまま読めば良い >どちらかといえば反対の意見
まあ、通じませんよね。私のは子供の疑問のやり方です。それで自分が何を感じるかに注目する。答えはそのうちイメージで得ます。ア氏は電磁気学者ではないですが、それでも十分に理解している科学者だとは思う。彼の本は外部知識ではなく、内部知識を参照すると読める。
この方法を十年以上続けていて、世で求められる方法とは真逆なことがわかりました。そんなことしてないで点を取れ、仕事しろ。それがあまりに多いです。本が無かったら?ネットが無かったら?純粋な疑問を発して堂々といることは今や難しいのかもしれません。自分が何を疑問に思っているかさえわからなくなったりしないのか。金澤氏も最近似たようなことに触れてました。
子供は専門用語を使わずただ疑問を持ちます。あくまで自分が主役で質問者です。専門用語が”私”に取って代わることは無い。
>子供の疑問のやり方
「各自が各自の方法でやっていること」の内に何か普遍的なものがあるはず、と考えます。岡潔が何十年も調べて考え続けたのは、その普遍を見つけようとする作業だったと考えます。その一つが精神科学・社会科学ですし、縄文哲学に通じるものです。己の何たるかを考えずに自然科学のブラックボックスのままでは、児戯に等しいと考えます。ことに脳科学は人とは何か、何も答えられない。
>真逆なこと
同意です。最近、”教育”は人の能力をダメにしてきたと強く感じます。結晶化(教科書)したものを覚えさせることより、過程が大事なのに。しかも、意図して科学を間違った方向へ向けたのに。基礎は必要だけども、疑ってかかる必要があります。
>専門用語が”私”に取って代わることは無い
なるほど面白いですね。”私”は、岡潔曰く第1の心です。『わたくしというものを入れなければ金輪際動かん心です。その代わり、一旦、わたくしというものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、・・・・」と丸で笑いカワセミのようにうるさい』と述べています。 これは、縄文哲学のシヰです。欲しい欲しいのシヰです。そして、弧理論における社会科学に相当します。
>内部知識を参照すると読める。
そうですね。過去記事に「入力がない出力のみのニューロンがあるかも」としました。この部分が精神科学に相当します。精神科学と社会科学の境界は曖昧です。岡潔は大宇宙の本体は「情」だとしました。人の心の内に情があるのですから、外でもあるし内でもあります。想念は位置を持たないとも表現できます。第1も第2の心のいずれも想念が媒介していると考えます。これを想念の縦と横と表現しています。
大宇宙の中心からタマが来て地上のシヰに物質が結びついてタマシヰを持つ人となるそうです。ホツマツタヱの『ヒトハ「ア」ノモノ』の文意はここにあります。「ア」が大宇宙の中心です。もう一つの中心が「ワ」です。アで始まりワで終わる。{ヨソヤコヱ(四十八音)} 聖書のΑでありΩであると同じです。投影されて「アワ」となります。宇宙の大規模構造「泡」に通じます。この辺りが弧理論の核心です。拙著弧電磁気論には、大規模構造を模した図があります。当時は縄文哲学を知りませんでした。よく出来た話しです。