自然 という基本を無視してはいけない しかし、自然科学の基礎を鵜呑みにしてもいけない

自然 を基本とすることは大前提です。しかし、自然科学による基礎を鵜呑みにしてはいけません。 数学者岡潔は、「自然科学は間違っている」として、「自然科学は思想」であり、「自然科学は 自然 そのもではなく、簡単な模型だ」と述べました。 岡潔は、自然科学者が考える模型を「物質的自然」と名付けました。 つまり、自然>物質的自然であるわけです。

岡潔の云う自然とはどういうものか調べましたが、よく分かりませんでした。どうも岡潔が考えたかも知れない(物質的自然)以外の自然として「精神的自然」があるように思います。ただ、「岡潔 精神的自然」で検索してもそれらしいものは出てきませんでした。

基本とは、自然から得られる物や事に対する経験です。これを無視してはいけません。

経験は人間の感覚でわかる所謂「物理現象」からしか得られません。

自然科学の素粒子物理学では「単独で取り出せないクオーク」を物質と認めてしまいました。自然という基本から逸脱しているということです。

また自然科学での基礎を鵜呑みにしてはいけません。 例えばエネルギー保存の法則があります。あくまで自然を(思想としての)自然科学として眺めたとき得られる経験則です。 ですから「エネルギー保存の法則があるから○○は不可能だ」という言説は正確ではありません。 これまでの考察によれば自然は映像である可能性が高いからです。自然が映像であるならば開放系だろうし、エネルギーが保存しない場合もあると考えられます。

基本を無視してはいけないし、基礎を鵜呑みにできません。自然科学が誤った方向に進んでしまった直接の原因は、電磁気学の歴史にあると考えます。

わかりにくいので追記

幾つかのフリーエネルギー装置だとされるものを検討したことがあります。例えば、ある動画の装置はスタティックジェネレータに似ていました。

動画を何枚もキャプチャして検討したことがあります。あるいは永久磁石を使ったモーターのデモ動画を検討しました。しかし、何も得るものがありませんでした。動画サイトには多数の装置が示されています。そのどれも基本的な原理が示されていません。フェイクなのかどうかさえ判断できない巧妙な物もありそうです。(勿論、本物もあるでしょう。)

磁石も重力も保存力です。一度取り出したらおしまいです。磁石や重力と云った現象を現象のまま利用しようとする装置は(基本的に)あり得ないと考えます。つまり、経験できる(自然)現象を基本として考える必要があるということです。 同時に(常識とされる)自然科学の基礎を鵜呑みにして「あり得ない」と断言するのもどうかと思います。

自然科学は、人間が自然をどう捉えているかという一つのモデルに過ぎません。そういうモデルに応じた文明ができあがっているに過ぎないのです。これは明白なことです。 自然を異なる見方で捉えるならば、まったく異なる文明を築くことができるはずと考えます。 過去に度々「万華鏡に観る様子と万華鏡の仕組み」の関係に例えてきました。

これまでの考察によれば、多くの物理量の内、基本とされるものは3つに過ぎません。長さ質量時間です。他に電流や熱力学温度、物質量、光度などがあります。それ以外は基本物理量を組み合わせたもので組立物理量と云います。 ここで、時間が物理量として相応しくないことがわかっています。適用に限界があるとわかっています。自然科学の限界は時間の適用限界からきています。

追記 2018/05/21

どうもうまく書けてない。

自然科学は間違っている。 基礎がなければ進めない。しかし、基礎を鵜呑みにしては拓けない。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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