ある科学者は 数学 を使う物理学者たちについて、次のように述べています。
たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。
下線は管理人による。
数学を使う目的は、物理現象に関する新しい知見を得るためです。 数学を用いるときの心の働きと、新しい知見あるいはアイディアを得ようとするときの心の働きを以下に示します。
- 数学するとき、人の心は「緊張と集中」の状態にある。
- 新しい知見やアイディアを得るとき、人の心は「弛緩と関心」の状態にある。
数学者や物理学者、その他の数学を扱う学者たちの目的は、2.です。にもかかわらず彼らの心の働きは1.の状態にあります。明らかに相反する状態です。 これでは、数学を用いることによって、目的を達することはとても困難です。
数学者岡潔は、「人には心が2つある」として、「西洋人は第1の心のあることしか知らない」と述べています。(岡潔思想研究会の「一滴の涙」より。)
数学をするときに働く心は、岡の云う「第1の心」です。西洋人は第1の心しか知りませんので、「電磁気学による電磁波の予言」という数学的勝利に疑いを持たず、以後、この手法でやってきました。 (どうも最近は、電磁気学の大成功という歴史もちょっと疑問に思いかけてます。) 仮にリラックスした状態にあるときに、アイディアを得たとしても自己のアイディアが得られた仕組みについて無頓着です。今までにその仕組みについて考察されたことは無いのではないかと思います。
ここで云いたいのは、「アイディアや知見を得る」ことそのものではありません。人の心の働きの仕組みに気付くことです。我々の心がどのように働き、その結果得られるものと失うものが何かを考え、心の働きの仕組みを科学することが精神科学です。 とにかく学者の大多数は、途轍もなく非効率な方法で取り組んでいるようです。 大事なのは1.と2.のバランスだと考えます。
精神科学とはどのようなものなのか、これまで何度か書いてきました。分かり辛いものですけれど、真面目に考えてみる必要があると感じます。 過去記事を参照ください。「宇宙を探求するに最適な道具は数学だというならば、ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか」「弧理論による精神科学とは、唯一、数学者岡潔の第2の心に近い」
ついでながら、リンク先である思想研究会「一滴の涙」にある(※解説1)の文章が興味深いので引用しておきます。
岡がよく引き合いに出すのが哲学者カントの言葉でして、カントは「時間空間は先験観念であって、自分はこれらなしには考えられない」といっていますが、既にカントの理性にはこの「妄性」が色濃く入っている。
カントのみならず西洋の哲学者や科学者は、この「妄智型理性」しか使えないから、だから多くの未知なる根本問題が未解決のまま残されていることにも気づかないし、まして真の生命現象などわかるはずはないのだと、岡はいうのです。
強調と下線は管理人による。 全同意です。学問体系間がブツ切りなのに、何も疑問に思わないのは致命的です。例えば、
- 素粒子物理学の素粒子群と固体物理学の結晶格子の間には、何の関係も見いだせない。
- 水は4℃で密度最大。素粒子群との間には、何の関係も見いだせない。
- 水は凍ると6角形になる。素粒子群・固体物理学との間には、何の関係も見いだせない。
よく考えると間に位置する現象でわからないこといろいろがあります。それぞれの分野は(それなりに)正しい。しかし、全体は何が何だかわからない。
何某の「専門家」などというのはインチキだとしか思えません。 地球上に精神科学はほぼ存在しないと考えます。でなければ、こんな非効率なことを続けてくるはずありません。
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久しぶりに書き込みをさせていただきます。いきなりですが量子論が出現してから、アインシュタインの特殊相対論などを含め、彼の理論は破綻しているように思えます。
弧電磁気論では時間を捨てようとしているようですが、それは量子論を考えるとき必然のように思えます。最近エイリアンインタビューなる書籍を読んだのですが、時間はこの広大な宇宙では意味をなさない、あるいは多次元論があるとするなら時間という概念は、人間が作り出した想像の産物に過ぎないと解釈できます。それと精神科学あるいは精神論的なものは、やはり人間が作り出した産物に過ぎず、我々人類の進化を阻もうとする勢力の策略としか思えません。
お久しぶりです。井口氏によれば、専門家たちは相対論を無視しているとのことです。光ジャイロを考えればわかります。重力レンズは別の次元軸を考える切っ掛けになると思います。リサ・ランドールは時間を肯定した上でのことですから的外れです。
>時間を捨てよう
研究当初は考えていませんでした。時間の本質は岡潔の言葉に尽くされています。
>多次元論があるとするなら
無根拠に別次元を考えている訳ではありません。
>精神科学あるいは精神論的なものは、やはり人間が作り出した産物
それは言い過ぎです。一部AIに置き換えられるけれども心の働きと仕組みはAIとは別です。でなければ、岡潔や山崎弁栄上人が同じ意見になるはずなく、観測事実をして映像だと考えると腑に落ちる訳でして、ましてや縄文哲学と紡錘図形との間に整合がとれるなどあり得ません。単独のこれこれの理由を全面に受け入れて根拠としないです。
>進化を阻もうとする勢力の策略
わかりませんが、本を注文しました。二項対立などから出たものなら警戒します。危機を脱するにどうすればよいのかであって、何処か何かを悪にすればことが治まるわけではありません。どうしてもどこかに肩入れしたくなるのはわかります。そうすると侃々諤々の終いに疲れ果てて思考停止になります。陰謀論・暴露論は(二項対立により思考停止させる)によいテーマです。社会科学の切っ掛けにもなりそうです。たぶん岡潔が「間違った思想の洪水」と云ったのはこういう(二項対立に持ち込む考え方の)ことだと理解します。小泉八雲の「かけひき ttps://ja.wikipedia.org/wiki/かけひき」に似ています。