長く考察を続けて、そろそろ 素粒子物理 学は間違っていると結論してもよいと考えます。
最近、幾つか組木パズルを購入しました。最初の目的は、言葉の本質について説明するためでした。 これまでの説明に「匙(さじ)とスプーン」の例えを用いてきましたけれども、しっくりきませんでした。 過去記事、「唯物主義者は要素還元の「終点」に気づけない」あるいは「「分ける」ことにより「分かる」のは、物と事の関係性であり、行き着くところは統合失調(分裂)である」を参照ください。
写真1 さじ
写真2 スプーン
そこで思いついたのが組木パズルでした。
写真3 6ピースと5ピースのパズル
組木パズルは、言葉同様に互いに定義し合っています。1個のピースに意味はありません。 購入した動機とは異なりますが、このパズルで説明します。
パズルは、組んだりばらしたりを楽しむものです。 パズルの(楽しみ)の「本質がピースにあるかも」として、ピースをカッターで切ったりなどしません。
写真4
以下の説明は、組木パズルとピースの関係を念頭にお読みください。
素粒子群が物質的自然の仕組み・本質とずれた位置にあるだろうと考える根拠は幾つかあります。
- クオークが単独で取り出せないこと。
- 陽子・中性子について、「崩壊→素粒子生成」と「消滅→素粒子発生」を実験で区別できないこと。
- 上の1と2により、陽子・中性子がクオークという内部構造を持つことを証明できていない。
- 「素」であるはずの粒子が100種類以上あること。
- 不安定な素粒子が存在することから、自然は存在ではない。一部は映像であると考えられる。むしろ、上の2についても(陽子・中性子が)映像だと考えることの方に合理性がある。
- 素粒子群を積み重ねても、例えば水(H2O)の特性を説明できない、あるいは固体の結晶格子を持つことに素粒子との関連を見いだせない。古典物理との間に乖離があるし、古典物理も本質を表していると思えない。固体物理で云えば、物質がなぜ結晶格子を持つのか理由を説明しない。
- 僅かな専門家にしか理解し得ない理論に次なる発展が望めない。何より、素粒子物理学の到達点が見えない。
物質的自然にある我々の基本は原子(陽子・中性子・電子)にあります。我々の持つ感覚の基本は原子に由来します。ですから原子より小さな素粒子や放射能は無味無臭ですし、視覚を大きく越えた宇宙の地平線の向こうに意味を見いだせません。(恐らく。)
原子(陽子・中性子・電子)は、組木パズルのピースに相当します。ピース(原子)は、それらの状態の変化と組み合わせによって全てができています。原子を分解して、素粒子が出てきてもそこに本質があろうはずありません。
表1
これまでの考察により、岡潔の云う物質的自然は、「別の次元軸にある実体の投影による映像」だろうと仮説しています。この仮説を弧理論といいます。
岡潔が述べたように時間は物質(天体や原子)の運動から作ります。自然科学は時間を用いて観測対象の運動を定義しますし、その内の相対性理論は時間を光速度に置き換えた上で、時間と空間を定義し直しています。まったくの循環論です。何も説明していないに等しいです。 極論すれば、物質的自然は組木パズルと本質的に同じです。どう考えても自然科学は間違っています。どこまでいっても割り切れない近似です。
図1
もっと別な方法(投影による映像)があるはずです。ピース(原子)や破片に過ぎない素粒子群や大規模構造が投影による映像として説明できるだろうと考えます。 自然科学の一番の問題は、エネルギーの本質を誤解していることです。
追記 もし我々が住む感覚の世界の基本が素粒子にあるならば、素粒子時計があってもよさそうです。
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