だから 時間 を用いて組み立てられた理論はゴミです。ことに量子力学が成立する頃からの理論は悉くゴミです。
数学者岡潔は、講演録「自然科学は間違っている」の中で 時間 について次の趣旨のことを述べています。
- 数は量のかげ
- 時間は物質の運動から作る。
- 物質は人の五感でわかるものでなければならない。
人の五感でわかるのは、物質の「大雑把な量」です。量をきっちり把握するためにモノサシを用います。そうして量を「数」に置き換えます。その数にはメートルやキログラムなどといった単位がつきます。
時間は物質の運動から作りますが、運動そのものではありません。当サイトに掲載した「時間とは何か」より一部コピーします。
長さや重さの基準(モノサシ)に対する「数」である。だからおおよその目分量でしかわからない「量」をモノサシと比較することによって数に置き換えることができる。 これが岡潔の言う「数は量のかげ」である。 そして、基準(モノサシ)を用いることによって量や嵩(かさ)のうちに見いだした「数」にはメートルやキログラムといった単位がつく。これを物理量という。
ここで、アナログ時計を用いて、電車がA市からB市へ移動する場合における時間の性質を考える。
図3
距離(長さ)を計るには長さの基準となるモノサシが必要である。 ある長さの変わらない物の2箇所に印を付ける。位置と位置の隔たりが「長さ」である。これをモノサシに使う。(図3下) するとA市と隔たった位置にあるB市までの距離がわかる。
図4 図5
外周に1~12の数字を配した円板の中心に針を取り付けたアナログ時計を用意する。図4では短針が7の位置にある。これをA市からの出発時間とする。 図5では短針が10の位置にある。これをB市への到着時間とする。電車はA市からB市へ移動するにおよそ3時間かかるということである。
アナログ時計を用いた数直線を以下に考える。
図6
図4と図5について、短針を下に直線に接するように置く。(図6)すると時の経過とともに円板は、右から左へ直線に接しながら転がって左に到達する。その間に図3に示した電車はA市からB市へ移動する。
図6の直線を眺めるとわかるように、時刻は「位置」に過ぎない。位置はA市、B市と同じく住所地番に等しい。住所どうしを差し引くことはあり得ない。例え位置を数字に置き換えて計算は可能だとしても10から7を差し引いた「3」は、量ではない。 運動から時間を作るが、運動そのものではない。2つの位置を数字に置き換えて差し引きしているに過ぎない。つまり、物理的な時間は物理量ではない。
時間は位置であって、差し引きできる物ではありません。にもかかわらず「単位」を付けた物理量の振りをしています。 古典的範囲においては、「運動は時間に比例している」としてよいでしょう。けれども、五感でわかる範囲を越える量子力学ができるころからの理論はダメです。如何に精密に組み立てられた理論であっても時間を用いた理論はゴミです。
まさか小学校低学年の時に学習した「さんすうとけい」に誤魔化しがあったとは、気付きませんでした。
写真1
たぶん200年ほど前には、このことに気付いていた学者がいただろうと感じます。しかし、現在まで誰もこのことを指摘した者はいません。唯一の例外が岡潔でした。しかし、岡潔といえども立場上、物理学者を切り捨てることはできなかったのだろうと推測します。
管理人が時間について追求し始めたきっかけはヒッグス粒子に関する記事でした。(the-manuscript-of-survival-part68日本語文.pdf) 以下、一部引用します。
この物理学の聖杯探しには、正当な理由もなく、多額のお金がつぎこまれてきました。実際のところ、それは、非常に多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている、上手に組み立てた誤魔化しのプロジェクトなのです。
スイスの欧州原子核研究機構(CERN)にある大型ハドロン衝突型加速器(LHC)という『超巨大プロジェクトのどこに「誤魔化し」があるのだろうか?』というのが最初の疑問でした。
写真2 出典:ジュネーブの地下に建造されたLHC(大型ハドロン衝突型加速器)は、東京のJR・山手線ほどもある巨大な実験施設
これら物理学における巨大プロジェクトは、一大産業となっています。 2014年1月27日の記事「物の理(ことわり)とは五感でわかること」を参照ください。
管理人は、「神は細部に宿る」という格言を概ね信じていました。しかし、追求するうちに、本当は誰も疑わない自明と考えられていることにこそ、嘘が紛れているのだと確信するようになりました。(それも意図的に!) お金も「量は伴わないのに単位を持つ、無意味な数字」に過ぎません。 皆が信じているから成り立っているに過ぎないのです。 信用創造という胡散臭い言葉遊びに嫌悪があります。
岡潔は、「(自然科学者は)原始人的無知」だと述べました。天才中の天才だから許されるのですけれど、失うものが何もない凡なる管理人も極端な言い方を真似てみました。 昔ならば、ジョルダーノ・ブルーノのように火炙りになっていたのかも知れません。日本に生まれただけで丸儲けです。
9/20追記 酷い書き方をしましたけれども、「上手に組み立てた誤魔化しのプロジェクト」の中身がわかりました。その上で、「多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている」ことの責任をとるべき人たちは別に居るはずです。ナントカ委員会かナントカ会議の連中かは知りませんけれども、意図してねじ曲げた責任は彼らにあります。
それと、2011年12月に始めたブログkodenjiki.comからarktheory.comまでの通算で、本記事で500本に達しました。この間いろいろわかってきました。素直に嬉しいです。実験のための銅ブロックの加工がまだできてきません。
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