仮に人類が全面戦争によって滅びたとしたらどうでしょうか? 子どもの頃に読んだ手塚治虫の「火の鳥」に(不確かながら)次のような場面があった記憶があります。
写真1 出典:火の鳥2 未来編
『戦争によって唯一生き残った主人公(確か大きな鼻を持った男)は、海の波打ち際に立っていた。一人生き残ったことを嘆きながらも男の死後に期待を持って亡くなる。彼の希望は、自らの身体の内に存在する細菌やバクテリアが海に棲息して、やがては地球に知的生物がうまれて、次なる文明を形成するはずと。』
実は、前々回の記事「地球製UFO は昔から存在する」とドヤ顔されても」を書いてから、宇宙技術(UFO技術)をもった 秘密結社 の連中とは、前回文明が滅びた際に、生き残った連中なのかも知れないと考えました。 荒唐無稽な話であることは理解しています。
いつも引用するある科学者について、いろいろ述べているのですが、これまで判断を保留していたことがあります。少し長いですけど、その部分を引用します。
「前にも言ったとおり、私の直接の先祖は地球の以前に破壊された文明の生き残りの一部なんだ。これは千世代も前の話だが、そのときでさえも現在の文明以上に進んでいた。
彼らは君たちが習慣的にそうするように、他のものと対抗はせず、自然法則の曲面にしたがいこれを使用した。結局、彼らの科学は君たちのものに比べて単純なもので、君たちがやってみようと思っても見ないことすら達成できたんだ。
しかしながら、彼らもまた、その進歩に従って、社会的精神的価値の同様の発達をとげる絶対的な必要性を理解できなかったんだ。この時代の二つの主要な国家の間に政治的社会的な裂け目が生じた。最初の話のときに言ったが、二国間の摩擦は年々増大し戦争へと発展してしまった。勝敗は問題ではなく、単純にお互いを破壊したんだ。生き残りは少なく、地上の放射能レベルは人間の許容値を超えて上がった。
生き残りの人々が放射能ですぐに全滅したということではない。精神的肉体的な機能の低下を促進したということだ。続く世代には望ましくない変化も沢山あり、彼らをそう長くないにしても石器時代レベルにまで落としただろう。
今のチベットの高原の上に、生き残った宇宙船が六台、彼らの乗組員によって着陸したんだ。人類の生き残りを保存するために何をすればよいかを決定するための会議のためだった。結論は他の惑星に行こうというものだった。そのときの宇宙船は宇宙飛行に使用できるもので、時々は数百キロメートルの高さまで上がるのに使用されていたが、惑星間の広い空間を渡る試みはなされおらず、乗務員には成功できるなどということは考えられなかった。
火星として知られている惑星が地球に近く、横切っていくことができそうに思われた。
その頃は火星の温度、大気、水等の表面状態は現在の天文学者が報告しているものよりも人間が生きるのに都合のよいものだった。
採決がなされ、四台の宇宙船の乗組員は少なくとも人類の文化の一部を保存する希望を持ってこの大きなギャンブルにかけたのだった。残りの二台の乗組員は地球に残ることを決定した。彼らは集まった高地の高さでは放射能レベルが比較的低いので彼ら自身や彼らの子孫に肉体的、精神的な退化を起こすことなく生き続けることができると判断したんだ。
私は君の心の中に生じている疑問が理解できる。だから、この人たちは男女を均等配分し、両方ともこの代表としてこの船に同数乗り組んでいたと説明しておこう。
この火星への飛躍をした四台の内三台は彼らの目的地に到着した。四台目の運命は我々の歴史に記録されていない。
下線と強調は管理人による。 これまで気になっていたことがあります。研究対象である紡錘図形には卍が含まれています。
図1
卍について、「あじあのたび:東チベット 卍 と 卐」から引用します。
図2
チベットでは卍はボン教の、卐は仏教のシンボルです。
ボン教はチベットに仏教が流入する以前からあった土着の信仰ですが、仏教が流入して以降、両者は対立した時期もありました。その後仏教が盛んになり、ボン教も仏教に倣って体系化します。一説によると、このときに仏教と区別化するために、仏教の巡礼が右回りなのに対しボン教は左回り、卐に対し卍とされたそうです。
ちなみに日本では卍が仏教寺院の地図記号ですね。中国も韓国も日本と同じで仏教のシンボルは卍らしいのですが、チベットは逆なのが不思議です。
下線は管理人による。 卍本来の意味は吉祥の印です。それもチベットや北欧、北米等の各地民族に古くから伝わるとされます。例外的に悪い印象を与えたのがナチスによるハーケンクロイツです。 ある科学者の云ったチベットに共通点がある訳で、これまで管理人が気にしていた事です。
それに旧約聖書でノアの方舟が高地に辿り着いたという記述も放射能レベルの関係と理解すれば納得できます。注:弧理論(Ark Theory)のArkは”箱形の舟”あるいは”箱”という意味で用いていません。Arkはエネルギー源あるいはエンジン、動力源という意味です。つまり、ノアの方舟のArkとは舟の動力源という意味でした。
ご存知の通り2011年3月11日に起きた東日本大震災のおり、東京電力福島第一原発の事故の際には、爆発した原発から漏れた放射能が低地伝いに拡散したことは記憶に新しいです。
もし仮に、貴方が全面戦争により人類が滅びる中、生き残ったとしたらどういう判断をするでしょうか。 来るべき人類再生のときまで、文明の根幹である宇宙技術を温存するだろうと考えるでしょう。そのためには、地上の放射能によって、「石器時代レベル」まで退化した(他の)生き残りの人々が元のレベル近くに達するまで 秘密結社 として温存するのではないかと考えます。
荒唐無稽な話であることは理解しています。しかしながら、これまでの考察により自然科学がこれほどまで奇妙な発達状態であることがわかった以上、上記のことも頭の片隅に置いておくことが必要だと考えます。
すると前々回にご紹介した矢追純一氏の述べた「シュメール文明の頃から続く人々」という話に合理性が出てきます。 また、世界に多く存在するオーパーツの中には、納得がいくものがでてきそうです。
写真2 出典:世界の「オーパーツ」「謎の物体」25個、世界は謎で満ち溢れている!
ある科学者は、3つの科学(精神科学・社会科学・物質科学)に等しい努力がなされねば人類は発達し続けることができないと述べています。 前文明の人々が、その進歩に従って「社会的精神的価値の同様の発達をとげる絶対的な必要性を理解できなかった」から滅んだのですから、我々も同じ運命を辿ることは必至です。
社会科学の重要性について
互いに規定し合うことによって現れている「物質的自然や言葉(と思考)」に二項対立は必然だった訳で、ですから議論の内に二項対立を煽る人たちの相手をすると「ミイラ取りがミイラになる」のです。 二項対立の仕組みがどのように出来上がっているのか、どういう意味があるのかを理解するところから始めなければならないと強く思います。(ピースがどのようにできているかを考えるべきです。それが物質科学です。) 精神科学・社会科学の重要性はここから出てきます。私たち人類が人工知能と違うのはこの点です。(注↓) 別の次元軸を考える理由がここにもあります。
右でも左でも口角泡を飛ばして議論する人たちに本当の解決の糸口を見いだせるとは思えません。善悪、正義不正義、保守革新などの主義主張をはじめ、ありとあらゆる宗教も同じです。全ての時事、経済、国家間の問題、男女問題、人種、人権・・・の問題の本質は別のところにあるはずです。 例えば、フリーセックス・ウーマンリブ・人種人権問題・男女同権・男女共同参画・・・にそこはかとなく胡散臭さを感じるのは、管理人だけでしょうか?どこかに利権の臭いがします。
(注) 「わけることによりわかる」
図3
とする要素還元主義は、対象が常にブラックボックスです。上図をよく見ると人工知能のニューロネットワークの要素にそっくりです。
図4
つまり、自然科学の要素還元主義で、人工知能は実現できるということです。逆に云えば、人の知能の本質は「脳」には無いということを意味します。どこまでもブラックボックスとして扱う自然科学では人間の本質を捉えられないということでもあります。 でなければ数学者岡潔が何十年もかけて「情じょう」を探求する訳がありません。
当サイトに既出ですが。 岡潔によれば、情とは「生まれながらに、何となく趣おもむきがわかる」ということです。そして情・知・意の順で意識に至るといいます。西洋人は知と意しかわからない。岡潔はこれを第1の心と呼びました。 どうも第2の心である情は別の次元軸からが起源らしいです。縄文哲学で云えば、タマ+シヰのシヰが意識です。シヰは欲しい欲しいのシヰです。強いるのシヰです。下図を参考まで。
ついでながら、縄文哲学の「ト」のヲシテに示す「わかつ」は「わけて」「与える」です。「わけて」が要素還元主義に相当します。皆シヰが強いので、「与える」が存在しない現状であることは云うまでもありません。世界の富の半分を8名が占めています。(この8人の大金持ちは、世界人口の半分と同等の資産を持っている)
更に、どうも強欲・貪欲な1%の人々を強制的に排除すれば、世界は平和になるという人が居るようですけど賛成できません。日月神示に「抱き参らせる」というのがあります。上記のことを考慮するとそういう方向でよいと考えます。
追記 いつも散歩するのですが、今日気付いたこと。
台風が来るまでの頃、近くの川で体長30~40cmくらいの鯉を6匹確認していましたけれども、最近は見かけなくなりました。 先日まで田んぼのあぜに咲いていたヒガンバナ(彼岸花)は枯れてしまい、今日は道に枯れた稲の茎の色したバッタがいました。そして風の通らない日当たりのよい場所では赤トンボが多く飛んでいました。赤唐辛子のような赤でした。秋です。
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