2018年9月18日、当サイトに掲載した「時間とは何か」において、 時間 には2つあることを示しました。 読み返してみますと「観念としての 時間 」についての説明は概ねOKの様ですけれど、「物理的な 時間 」の説明は、どうもよろしくないです。 もう少し詳しい説明が必要です。これまで何度も取り上げてきたのですが、この説明が結構難しいです。
そこで、説明に使う小道具を作ってみました。円板に数字を配して、中心に針を取り付けただけです。
写真1
右の円板は、直径20cmで、円周の12分の1は約52.3mmあります。左の円板は、直径15cmで、円周の12分の1は約39.2mmあります。円板が転がるに1目盛りでそれだけ移動する訳です。同じ 時間 であるのに距離(長さ)は変化します。 因みにイギリスにあるウエストミンスター宮殿(英国国会議事堂)に付属する大時計(通称:ビッグベン)の直径は、7mだそうです。これだと円周の12分の1は約1099cmになります。
写真2 出典:ビッグベンの鐘がしばらく聞けなくなる!? 今年でしばらく見納め
物理的な時間は、五感でわかる物質あるいは物体の運動から作ります。運動そのものではありません。
モノサシは位置に数字を置いて「長さ」の基準を作ります。計りたい物とモノサシとの比較によって被測定物の長さを決めています。つまり、物理量である「長さ」はモノサシという基準となる量の裏付けを持っているということです。
写真3
対する物理的な時間は、位置に数字を置くところはモノサシと同じなのですが、基準となるものは無くて、円板から読み取った数字を差し引きして時間とします。基準となるものがありません。つまり、時間には「長さ」のような基準とする量の裏付けがないのです。
勿論のこと、観念としての時間は物理的な時間に優先しますから、結論は変わらないのですけれども、物理的な時間について今ひとつ納得できません。
もやもやするのは、時間は長さ(距離)の様に、基準となるモノサシが無いからです。ご存知のように、季節の移り変わり、年・月・日という概念、時間の元となったのは太陽の運行です。
写真4 写真5 携帯型日時計 太陽の陰が円板に指し示す位置にある数字を時刻とし、時刻どうしを差し引きして時間とする
元々の時間は、日の出から日の入りまでの間に太陽が作る陰を円板に刻んだ数字に置き換えたものでした。
もう一つの基準は、誰もが習った振り子の等時性です。
図1 出典:振り子の等時性
普通には、「物理的な時間と太陽の運行による角度や振り子の運動と比例する(と思っている)」と思います。管理人もつい3年ほど前まで、まったく疑いませんでした。それと時間を用いて記述したニュートン力学は決定論だし、後は精度の問題だと堅く信じていました。
数学者岡潔は、それ以前に「時の過去の観念だ」と看破したのです。これは凄いことです。 観念としての時間は物理的な時間に優先します。 当たり前に(五感で)経験しないことに時間の観念は持てません。定時の時報は、過ぎてからしか知り得ないのです。
図2 時間は現在を含まない 過去に過ぎない 過ぎ行く運動の記録あるいは記憶
まとめると以下になります。
五感でわかる運動から作った時間は、五感でわかる物質あるいは物体を被測定対象とする場合は有効である。つまり、運動は時間に比例すると考えて差し支えないが、それ以外は使えない。例え数学を用いて高精度に計算してもダメ。
おおむね次表の括弧で括った範囲において「物理的な時間」は適用できるということです。
これがそのまま、自然科学の適用できる範囲だということになります。
以上の説明でだいたいのことを書けた様に思います。まあ、気になる点があれば補正していこうと思います。
そのほか気になることについて、以下に示します。
2018年8月27日の記事「なぜ 日本語 は外乱に対して堅牢なのか」や他にも少し書きましたけれども、「宇宙の本質は距離ではなく角度」に現れています。(だから、回転・・・特に「回す」ではなく「回る」に拘るのですし) 別の次元軸を考える理由にもなっています。
図2
例えば、極端な話として地上にいたAさんが、月の裏側に移動したとして約30万kmも離れたのですから驚異です。でも別の次元軸を考えた場合において、投影元の近くから眺めると視線の角度の変化はわずかです。
もともと時間を作るのに角度を用いてきました。 それにしても時間や角度を10進数で扱っているのはどういう訳なのか不思議です。 つまり、角度も時間も10進数を用いながら12の倍数で表しています。基本物理量である「長さ」や「質量」は10進数であるのにです。 この不整合に誰も言及しません。 素数についても同じです。10進数の素数は研究するのに、12進数の研究はほぼ誰も行いません。 まあ、仮に12進数が絶対的に有効だと判明しても全員が12進数の利用に反対することでしょう。想像を絶する困難が待ち構えているからです。
結論として、自然科学者をはじめ誰も何も考えていないということです。岡潔の指摘はあたっています。「【 2】 自然科学者の時間空間」を参照ください。
随分昔に角度の表記を改めようとしたというのを何処かで読んだ記憶があります。その時は、戦争で沙汰止みになったようです。ソースを失念しました。
追記 そういえば、ニュースの最後に流される株や為替の値動きは、「現在の値動き」として紹介されるので、一見「現在」であるように思い込んでいますが、時間と同じで過去です。だから当たらないのです。巷に商材がたくさんありますけれども、株や為替は経験的にみて95%はメンタルの話です。管理人にはその才能はありません。
写真6
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