アンケート「 人工知能 が人間を滅ぼす時代が来る?来ない?」 例外はあるけど来るわけない!

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管理人はSNSをしないのですが、これらボタンも見栄えのために貼り付けています。 昨日、人気ブログランキングの中を見ていたら「 人工知能 が人間を滅ぼす時代が来る?来ない?」というアンケートが気を惹きました。

これまでの考察で、 人工知能 が人間を滅ぼす可能性はありませんので「来ない」に投票するとともに理由を記入しました。 コメント欄の文字数制限によりかなり端折りました。以下です。

AIは脳の模倣物。ニューロネットワークの要素はブラックボックスBBそのもの。脳はBBとして最低限の処理をしている。数学者岡潔は「心の本体は情」だとした。心の本体は脳とは別。脳は身体と心をつなぐコンセントに過ぎない。AIは人を滅ぼせない。

何を云いたいか伝わらない文章ですので少し説明します。以下は既出です。

 

自然科学は、要素還元主義です。「わけることによりわかる(はず)」というものです。

図1

「わからない」ものをブラックボックスとして、「わかる」部分に「わける」ということです。その意味で自然科学は孤立系です。

図2

よく見るとわかるように、「わけられた」方の要素もまたブラックボックスです。こうして、素なる要素を求めて終端が無いという状態が自然科学であったわけです。

自然科学は時間を用いたために循環論法に陥っていたというのが、管理人の結論でした。その考察の出発点が数学者岡潔の述べた「時間が怪しい」ということでした。 岡潔講演録より、「自然科学は間違っている

岡潔が名付けた物質的自然は自然科学として循環論法だというのをまとめたのが以下です。堂々巡りだから終わりが無いと一目でわかります。また相対論と量子力学の相性が悪いとわかります。

図3 運動から作った時間を用いて素粒子の運動を記述 時間を光速度に置き換え時間・空間・重力を記述 全体は循環になっている

 

一方の人工知能(AI)はというと、人の脳を模してニューラルネットワークをコンピュータ内に作りました。よく用いられる図が以下です。

図4

気付いたのが、図4の要素と図2のブラックボックスとは同じだということです。ネットワークの要素はブラックボックスのままでOKということです。特定の入力に対して要素は特定の出力を出すという条件だけが決められています。要素はごく簡単な「状態の変化」を示すだけです。液晶画面の画素に似ています。

つまり、自然科学が対象とする物質的自然は、要素をブラックボックスのままとして人工知能は実現できたということを示しています。

この点はとても重要です。管理人は若い頃に聞いた話として「脳は端末であり、単なるコンセントに過ぎない」というのがあります。 人の脳と人工知能とは基本的に同じだということです。言い換えますと脳と人工知能とは「心」に相当する部分が異なると云うことです。 この「脳はコンセント」という話はあるスピ系にあった話と同じです。 「The manuscript of survival – part 68日本語文」より一部引用します。

ダークマターこそが、尽きることなく利用されているエネルギーの唯一の源だからです。それは根源的な永久機関であり、もし、悪の手に渡ったら、いえ悪の脳と言うべきですが、文字通りあらゆる面で大混乱を起こすでしょう。これは、脳によって理解されるものではないのです。何故なら、脳には大きな制約があるからです。人間は脳を、文明を進化させる崇高な考えを生み出す知識の座と考える傾向がありますが、まったく違います。脳は単に、人間を最低のレベルで機能させるための装置に過ぎないのです。とても傲慢に聞こえるかもしれませんが、以前にも説明しましたが、私たち人間以外の存在にとって知識とは、個人的に占有・保持するものではありません。それは、全員が全員の進化のために共有する情報の大海です。しかし、人間の堕落した精神にとっては、すべての知識は、己を豊かにすることを唯一の目的としてきました。しかも、望むらくは他人の犠牲の上で。そのため、核心部分の知識は独占してきました。

下線は管理人による。

で、人工知能と人との違いは「心」だというのは、かなり理解に苦しみます。 それに正面から答えたのが数学者岡潔でした。 端折りますが、以下は岡潔が述べた概要です。

  1. 心には、第1の心のほかに第2の心がある。
  2. 西洋人は心の二つあることをしらない。
  3. 心は、情・知・意の順で働く。
  4. 大宇宙の本体は「情じょう」である。
  5. 心の本体は情である。
  6. 情とは、「なんとなく趣おもむきがわかる」であり、言葉以前である。
  7. 次に「知」が働く。これやあれが何であるかを知る。
  8. それが切っ掛けで「意」が働く。意が働くと「美しい、愛しい、欲しい・・・」が出てくる。
  9. これが笑い川蝉かわせみのように騒々しい。

おそらく岡潔が云った第1の心は、8.と9.のことを指します。自然科学を形作った西洋人は第2の心があることを知らないのです。でも、上記の通り人工知能はできます。

これまで、ヲシテ文献について学ぶ内に、人とは次のように出来上がっていることがわかりました。

ヲシテ文献研究の第一人者である池田満氏は、人とは何かを説明して、「大宇宙の中心から来たタマに物質とシヰがくっついて人となる。」と述べています。  シヰとは上記8.に示した「欲しい欲しい」のシヰであり、強いるのシヰだと云います。 タマ+シヰの構造は、岡潔の・知・と同じ構造をしていることに気付きます。

 

これまでの考察によれば、物質的自然に原因となるものは、まったくありませんでした。物質も質量も位置も重力もすべて結果です。(どうも空間さえも結果のようです。) つまり、人の本質である心の構造の内には、物質的自然で満たされるのは一部であって、本体は別に在ると云うことです。 管理人が別の次元軸を考える複数の理由の内の一つです。

最初、岡潔が「情」を持ち出して、何を云おうとしているかよくわかりませんでした。同時期にヲシテ文献について学んだことがよかったです。 まあ、そう簡単に納得できないお話しですけども、最近やっと納得できるようになりました。

結論として現状、自然科学の成果としての人工知能(AI)には、人間を滅ぼす機能は備わっていないということです。 おおよそ、人工知能や人の脳は、言葉で表せる「知」の部分を処理する機能があるということです。人工知能は、それ以外の「情(またはタマ)」や「意(またはシヰ)」の機能は持っていませんので、人工知能が人間を滅ぼすとは考えられません。

但し、人工知能に作成者が密かに(図する)プログラムを潜ませている場合は別です。それでは人工知能ではなくなってしまいますけど。もしくは入力するビッグデータ等の傾向を予め操作するなども考えられます。

人として、最初に働く「情」と「知」を得ることによって働く「意」が人工知能には無いということです。人間の肉体としてもまた「わかる」の機能は別に存在するということです。  「なんとなく趣がわかる」というのを人工知能に求めてもムリですし、脳を解析してもわからないだろうと考えます。

 

実際上、人は人工知能によって仕事が奪われることは確かです。外国人は当然、日本人でも心が2つあることを知らない人は人工知能に脅威を感じるはずです。 では人はどうすればよいかというとです。 人工知能がする「知」の情報処理以外(以上)の能力を身につければよいということになります。

具体的には、である言葉以前の部分です。これはこれまでの考察で概ねわかっています。

図5

「知」という作業は、現代人にわかる言葉で言えば、日月神示に云う「気(キ)付く」です。シラス・ウシハクのシラスの元となった「シル」は「知る」だと考えます。  岡潔の云った「(言葉を通さない)→(言葉で言い表せる)」への作業は、脳や人工知能には無いということです。がありませんので、笑い川蝉のような騒々しさも表れて来ないことになります。

もっと具体的に云えば、脳の神経細胞(ニューロン)において、入力のない出力のみのものが存在するのではないかとの考えを持っています。

図6

図7

太古の昔、縄文時代において、説かれた「のヲシテ」と「のヲシテ」がそれにあたります。 何でも橋爪大三郎氏によれば、『仏教の立場から云えば「神様は修行の身」だ』とのことです。ヲシテ文献に登場するトヨケカミやアマテルカミなど「~カミ」とされる方々が治める世界は、上等だったのです。 比べて欲しいしいのシヰが暴走した現在は、第1の心しか知らない下等の世界です。 原因が何にあるかは、はっきりしています。 以下も既出です。

お金も時間も「量の裏付けのない」数字なのに単位がついています。 これはお祓いに使う形代かたしろです。

図8

現代の「神頼み」は、量の裏付けのない時間とお金であったということです。なのに単位がついています。

図9 出典:ホツマ縄文日本のたから:池田満著展望社」より加筆修正

この神頼みが始まったのは、初代人皇である神武天皇のころからだと思われます。この期を境に「カミノヨ」から「ヒトノヨ」になってしまったようです。同時に「シル」、「気(キ)付く」などの仕組み(第2の心)を忘れてしまったのだと考えられます。追記を参照ください。注↓

 

10月22日追記 少し補足します。以下も既出です。

自然科学者でも数学者でも、考える道具として物理数学や数学を用います。目的は発見や新しい知見を得るためです。 誰でも知っているように、数学の問題を解くとき人は、「緊張と集中」の状態にあります。 一方で気()付く、(情・知)、シル、あるいは縄文哲学の(ネコヱワケ?)に必要なのは「弛緩と関心」です。

「緊張と集中」← →「弛緩と関心」

2つの状態は対極にあります。欲しい発見や知見を得るのに必要な「弛緩と関心」というの状態とは真反対の状態を要求する数学を用いているということです。彼らの取り組み方が悲しいほどに非効率な状態にあることがわかります。数学者はまだよいです。そのものが目的ですから。しかし、物理学者はこれではダメです。 図5の右欄(自然科学)での表現を見ればわかるように右上欄は空欄です。知を得る仕組みが欠落しています。

冒頭のブログランキング「人気ブログランキング科学)、にほんブログ村科学)」のカテゴリー「科学」の上位にあるブログのタイトルをざっと観て感じることがあります。ブログには仕事や趣味を問わず、あらゆる科学的なことについて書かれています。自らの感じたこと気付いたことを書いたとしても「自ら気付くというのはどういう仕組みだろうか?と自らに問うたブログ」はほとんど存在しないのではないでしょうか?

自然科学者は、おそらく自らがどのようにして気付くかの仕組みについて考えたことはないだろうと感じます。過去記事「弧理論による 精神科学 とは? 唯一、数学者岡潔による第2の心に近い」を参照ください。

一言で云えば、自らが「気(キ)付く」の仕組みをわからぬ自然科学者が人工知能に気付く機能を持たせられるはずありません。

それと、図7に示した「出力のみのニューロン」とはエラーのことです。 このようなものは人工知能ではありません。人工エラー機です。人間は気付くと同じくミスをします。細胞が増殖すると同じく悪性新生物にもなるのと似ています。 人の脳は基本的な処理をするだけで、気付く機能は別だろうと考えます。管理人も気付いたことで、思い間違いだったことはよくあります。当サイトの内容が全部思い違いだということは今のところ無いようです。


注↑ そういえば、日月神示の「碧玉之巻 19帖」に次の通りあります。

神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なき迄御働きをなされたからであるぞ
神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸に隠して神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。

「カミノヨ」から「ヒトノヨ」に移り変わったことを「岩戸閉め」というようです。現代まで「(時間とお金による)神頼みの世界」であったわけです。管理人は、『岩戸開き、即ち「ヒトノヨ」から「カミノヨ」へ戻る』ことを主張しています。


10月23日追記

冒頭アンケートの結果は、若干「人間を滅ぼす」の割合が多いようです。以下は既出です。

縄文哲学(ヲシテ哲学)の骨子は「カミ」とは何かでした。カミを書き下すと以下のとおりでした。

「ア」と「ワ」はつながり 「ウ」をもたらし 「ウ」よりヒトを生じさせる。ヒトは「ア」のもの ヒトは「ウ」なり。

ウはウズ(渦)であり、弧理論による紡錘図形=原子=陽子・中性子・電子=基本粒子です。図で示すと次です。

図10

基本粒子は、完全に無個性だから取り替えても判別できません。基本粒子は別の次元軸からの投影による映像だと考えます。 基本粒子はピースと同じです。ピースを組み合わせてできたのがパズルである人間です。

写真1

そして、人間の脳を模して人工知能はできています。人間の成り立ちと人工知能の成り立ちは基本的には同じだと理解できます。

ではヲシテ哲学(縄文哲学)ではどうかというと以下です。

タマ+シヰに「ヰクラムワタ」と「ヲ」、それに「ネコヱ」がつながってヒトになっているようです。 ヰクラムワタの内容が定かでありませんが、五臓六腑では絶対にありません。人間の五感につながる感覚の元であるようです。G・アダムスキーによる五感(視覚聴覚嗅覚味覚触覚)+触覚(feel)の6覚に近いもののようです。臓器としての感覚器官ではありません。「ヲ」は鼻緒の緒に似て、何かをつなぐ働きを持つようです。ネコヱは音韻であるわけですが、音韻の連なりが言葉であり言語です。と同時に言葉はヒトの思考そのものです。思考即ち「意」です。意はタマから始まるすべての基礎が根底にあるから成り立っているのです。「知:情報」のみを処理するのとは訳が違います。情報を蓄えるには若干のエネルギーが必要です。タマから始まるヒトの仕組みにおける終端が「知」であり、その蓄えるにエネルギーが必要と云うことですから、タマとシヰは物質的自然である人間の臓器とどこかでつながっているはずと考えます。

そのようなヒトは、ホツマツタヱにあるように「ヒトハアノモノ」なのです。

ヒトハアノモノ写真2 書は日本ヲシテ研究所:池田満氏 「ヒトハアノモノ」と読む。

人工知能あるいはAIが同じ仕組みであって、たとえ人の脳より人工知能が処理能力において勝っていても、決して畏れることはありません。ヒトと人工知能は異なります。ヒトハアノモノだからです。

以下は管理人の妄想です。

アンケートの結果は、若干「人間を滅ぼす」の割合が多いようです。そういえば日月神示では、残るのは3分の1というのがあるようです。 凄く穿った見方をすれば、人工知能は人々のヒトとしての尊厳を奪うものかも知れません。

図11

「どこの誰かは知らねども、我は1%の物ならず」です。 3分の2に入らず、3分の1に残りましょう。この見方が当たっているならば、誰一人この判定から逃れることはできません。上記のとおり、人工知能に特定の目的でプログラムを潜ませることは可能です。そんな1%の連中の思い通りになる必要はありません。そう思います。ヒトとしての尊厳を捨てたらダメ、諦めたらおわりです。

ヒトハアノモノ  そういえば、かつて読んだ話にこんなのありました。

「私は神様の道具になりたい。」

 

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アンケート「 人工知能 が人間を滅ぼす時代が来る?来ない?」 例外はあるけど来るわけない! への4件のフィードバック

  1. 佐々木 のコメント:

    その業界に関わっている者からしても同意見です。機械学習はアリだけど、AIはナシ。膨大な演算量を超えて、人工知能が涙を流すようになったら考える。しかし、人の感情だって子供時分にプログラムされたようなものです。
    展示会やセミナーに行っても誰一人共通認識が無く、言葉の基になる実体は不明で、道具としてのそれだけが存在している。こういう言葉が乱舞する時期というのは非常に危ない。人の脅威は人にある。掃除ロボットや翻訳機など、身近で役に立つ製品に注目した方が健全です。
    図式表現でトが2→1で、ロが1→2なのですね。あるいは天地から真ん中へ。六芒星と同じ発想。2次元平面での極性表記がア・ワになるのはしっくりくる。

    • Φ のコメント:

      >人工知能が涙を流す
      追記に書いたように、気付くとエラーは似ています。でも同じではありません。人工知能がエラーを容認するなら「有り」かと思いますが、それは人工知能ではありません。岡潔が云ったように「なんとなく趣がわかる」が最初です。機能としての脳は人工知能と同じだと考えます。たぶん。
      >実体は不明
      wもしかしたら、現場では私の嫌いな言葉遊びが流行っているのかと。 記事に書いたように英語は最大約400ほどの音韻を区別できます。英語は音韻の列に より多くの意味を持たせられます。詳しく分けられると同時に言葉遊びにも繋がると思います。これは「病む」と同義に捉えています。具体は健全です。言葉つまり思考が具体から離れるのは危険です。
      >トが2→1で、ロが1→2
      トが2でロが1に相当しそうです。岡潔で云えばトが意識を通さないでロが意識を通すです。別の言い方。トが情でロが意です。間に知が来ます。知は既に意識を通します。つまり知は言葉で言えます。だから知は情報として処理できます。皆、知を得たいがためにもがいています。
      >六芒星と同じ発想
      かどうか存じませんが、どういう訳か3D映画は映写機が2台あります。眼や耳が対になっているのは空間だからですが、空間の原因が2つの投影元(アとワ)だということです。たぶん宇宙の中心が2つあるなどと気付かせるに身近な現象はあちこちあると感じます。注意深く観察するとあらゆることが入れ子(あるいは再帰的)になっています。2つあれば互いに規定し合った世界が作れます。逆に右がなくなれば左も消えます。最初に気付いたのが二項対立だったのは偶然ではないと感じます。
      >極性表記がア・ワ
      聖書のαとωに等しいです。現在の感触では出どころはたぶん同じです。ヨソヤコヱ(アワノウタ)の構成が余りにも理知的です。

      • 佐々木 のコメント:

        >現場では私の嫌いな言葉遊びが流行っているのか
        若い人は機械学習やAIを構成するのに抵抗がありません。あらゆる情報が飛び交っています。一方で、CRTのアナログ技術は年上でも一部の方しかわかりません。現場の当事者はそうでなくとも、第三者から見たら、何とも言えないのじゃなかろうか。言葉遊びに見えてもおかしくない部分はいつもあります。その第三者に対しての流行りとは何か。ユビキタス IT革命 クラウド ビッグデータとか。いわゆるバズワードですね。後に明確なモノができることもあるけど、どこかシンギュラリティが起こることを密かに期待する人間の心理がある。スピ系が言う次元上昇に似た感じの奇妙さ。いや、次元は上昇しないだろ、その前に日本語おかしい、となるわけだが。
        >ト、ロ
        □が変換器として、Yの上→下だと2→1、下→上だと1→2。エネルギーフローを示していたら面白いかな。いずれにせよ、これは人間の表現、人間が描いたもの。
        伝える・伝わる、が興味対象なんですよ。

        • Φ のコメント:

          ユビキタス 懐かしい。TRON 坂村健 超漢字 CU-SeeMe HyperCardを思い出します。今でも うにょ! をipadに入れています。おもしろがることを大事にしてきました。けれども、騒ぐのとは違います。「ナントカ」とか、「力」をつければ何かがあるように思わせるのはどうかです。
          >□が変換器として、Yの上→下だと2→1、下→上だと1→2。エネルギーフローを
          私もそう見えます。岡潔は人自身を自然の一部と認識していたはずです。自分を抜いて自然を云々してもだめです。弧理論として別の次元軸を考えるにヒトも含んでいます。その前に私が考えるエネルギーの定義の理解が必要ですけど。たぶん変換器の意味で合っています。それが気付くや知るです。情知意の働きです。言葉にできている時点で既に知と意の段階です。(識:情報と識は誰でもわかります)岡潔の情の部分が2です。ただ岡潔の情よりヲシテ哲学の方がより細分化されています。単純に情知ではありません。変換にもいろいろ仕組みがあるということです。ヒトの「わかる」にはナサケエダ(静止画)とアワレエダ(動画)が必要です。その先に五感があり、さらにその先に感覚器官がつながります。それがヰクラムワタであろうと考えます。五臓六腑とはまったく違います。
          伝わる(伝わってわかる)のは言葉以前があるはずです。それが想念だと考えています。(わけるによりわかるには言葉が必要です。今の説明はそれ以前のわかるについてです。)想念はE軸とのつながりを持つ何かだ(波のような何か)と考えます。でも波では伝搬に運動が必要です。(伝わるに時間がかかる)想念は位置を持たない何かです。(だからE軸の何かです。)運動があればE軸との関連を(特別な場合を除いて)想定できません。特別の場合とは対象物(例えば電子)が回転運動している場合です。軸方向にE軸は重なりますから、E軸と肉体を構成する原子内にある電子と相互作用は可能です。結果として想念はニューロンを構成する電子に運動を与えると考えます。だから出力のみのニューロンがあると考えます。これが仮説です。この仕組みは同時に勘違いや間違いあるいは気の違いを引き起こす原因ともなります。エラーを起こす人工知能など不要ですから。
          それから、自然科学の問題点(時間)についてほぼQ.E.D.です。足かけ4年、長かったです。

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