科学の始まりである 魔法と錬金術 は「病む」の始まり

現代は統合失調(分裂)の状態にあると何度も書いてきました。ブログ記事を検索すると過去2015年8月6日の『バカボンのパパ 「賛成の反対なのだ~」 では済まされない』を最初に計18回も統合失調を取り上げています。 別の書き方では「考え方が不健康」ともしました。 一言で云えば、現代は病んでいます

数学者岡潔の言った言葉です。「【1】 このままでは人類は滅びる

今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。

そして、自然科学の成り立ちについて、次のように述べています。

自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

自然科学が間違った思想を元にして自然を科学したものの寄せ集めだというのです。このことは即ち、科学の全体が統合失調であるのと同じです。管理人がそう理解したのは前々回の記事からです。自然科学の構造を図示すると大きく3の部分(古典、素粒子、宇宙物理)に分かれており、互いに不連続(かつ相性が悪い)ことがわかってきました。

図1

 

管理人は邦画を中心に観ます。時折、洋画も鑑賞します。多くの映画のテーマが 魔法 を取り扱った作品が多いのを気にしてきました。たぶんスピリチュアル系も 魔法 に近いものがあります。直近ではディズニーのアニメ映画「シュガー・ラッシュ:オンライン」もファンタジーと云っていますがそう感じます。


動画1 如何にも科学っぽいが、実は魔法と同類 注意してみると、こんな映画もの凄く多い

これまでの考察をまとめると 魔法 と「現代の病む(統合失調)」が連続していることに気付きました。

これまで管理人は、「現代はお金と時間を形代かたしろにした神頼みの時代」だと述べてきました。

図2

その始まりは縄文後期の時代「初代人皇神武天皇(タケヒト)」の頃からであり、現代にまで神頼みが続いています。

図3

近現代科学を含めて、その経過を並べると次のとおりです。

  1. カミノヨ
  2. ヒトノヨ
  3. 神頼み
  4. 呪術
  5. 魔法
  6. 錬金術(オカルト)
  7. 近代科学
  8. 現代科学

3.~8.まで神頼みの時代ということです。 知られているように、7.と8.の西洋科学は6.の錬金術とともに発達してきました。3.4.5.のつながりは比較的理解できます。錬金術と魔法はかなり違いますが、西洋人の精神の根底には根付いているように感じます。 でなければ、現代においても上記の映画の例の外に魔法あるいは魔法に近い考え方を取り入れた文化が根付いている理由が説明できません。近年、日本でもハローウィンが盛られています。日本人はハローウィンと云われても精神をやられることはないと思われます。日本人にとってハローウィンはコスプレに過ぎません。

 

科学は2つの柱でできています。

  1. 要素還元主義 「わけることによりわかる
  2. 唯物主義 岡潔による唯物主義「(西洋人は)五感でわからないものは、ないとしか思えない

西洋人は、「わけることによりわかる」と思っているから科学が発達したに間違いありません。同時に「五感でわからないものはないとしか思えない」ので、物の終端に気づけないのです。 物の終端について説明します。

気づいたのが、人間は陽子・中性子・電子からなる原子でできており、人の五感でわかるのは原子の大きさに基づくと云うことです。 表の大きさのスケールにおいて、人の肉体に備わった五感でわかる範囲を括弧で括りました。五感の基点は原子の大きさです。(矢印の位置)

言わずもがな五感でわかる物の終端とは、表の両端です。自然科学者は1.と2.の性質により終端に気づけないのです。

西洋人の思想は科学の発達に役立ちましたが、要素還元主義に終わりがないのです。弧理論では陽子・中性子・電子からなる原子を基本粒子と云います。

基本粒子はいわばパズルのピースと同じです。人は原子というピースでできたパズルです。

写真1

ピースに個性はありません。ピースに意味はありません。因みに数学でのピースとして、「1」について岡潔は「自然数の1は決してわからない」と云いました。「【6】数学の使えない世界」を参照ください。   ピース単体では意味をなさないけれど、異なる種類のピースが組み合わされることでパズルに意味ができてきます。ピースの破片はパズルと無関係です。これが終端の意味です。弧理論では、このピースが「別の次元軸からの投影による映像」だと考えます。

自然科学の要素還元主義と唯物主義に限界があることは明らかです。岡潔は、「自然科学は間違っている」として「時間に問題がある」としました。 これが原因で自然科学全体が循環論法に陥っていることはこれまで観て来たことです。(図1)

 

自然科学が統合失調に病む原因が時間以外にもあることがわかりました。ある科学者の言葉にヒントがありました。一部引用します。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

強調と下線は管理人による。 電子が物質であるとともに波であることは観測事実です。電子は波となって一定の確率をもって位置を変え現れます。 自然科学者(ことに物理学者)は、確率波をもつ粒子ということで正当化しようとしていますが、電子が別の次元軸からの映像だとすると理解は異なってきます。 確率波では「心に描けない」のです。ここが重要です。だから進歩するには「抽象的な数学」に頼らねばならないのです

ある科学者の婉曲な言い回し、この部分を言い換えます。

電子の確率波は間違いです。これは具体ではありません。心は具体的な物しか思い描けません。心は量を伴う物しか受け付けないのです。だから量を伴わない抽象的な数学に頼らねばならなくなるのです。

「わけることによりわかる」かつ「五感でわからないものは、ないとしか思えない」物理学者は、はからずも研究の方向が具体から抽象へ向いたのです。

量子力学は具体ではありません。 抽象は何も上等で高度で高尚などではなく、単に「複雑」に過ぎません。 上記の通り、人の脳はパズルに過ぎず、脳はピースの大きさに制限されます。当たり前です。物理学が具体から離れて抽象(複雑)になれば、パズルに過ぎない人の脳はいずれ限界を迎えます。

繰り返します。我々には、パズルとして複雑さの限界があるのです。言葉も音韻をピースとしたパズルです。言い換えると「思考も複雑さに限界がある」となります。

どうも科学の発達に言語は重要な役割を果たしているようです。英語は母音が26個あり、子音についても24個あるとのことです。人の聴覚は、最大600の音韻を聞き分けられるということです。英語で思考する人は自然の物や事をそれだけ細かく考えることができるはずだということです。これは科学の発達の初期には有利です。しかし、上記の通り終端に気づけないのです。だから「心を病む」のです。

現代はシヰの暴走だと何度か書きました。タマ+シヰのシヰは「欲しいしい」であり、強いるのシヰです。シヰの暴走の行き着くところは狂気(統合失調)です。その原因は「わけることによりわかる」にあります。 「わけることによりわかる」ということの否定はしませんが、抽象に向かうのではなくて考える方向を別の次元軸、つまり次元を変えるしかないと思います。

考える次元を変えるということについて。 パズルとしての我々人間はピースである基本粒子(原子:陽子中性子電子)からなり、基本粒子が別の次元軸からの投影による映像だと認識することです。

 

人権は大事です。しかし、自己の権利を主張するが故に個々人は孤立し孤独になっています。『フリーセックス・ウーマンリブ・フェミニズム・人種・事件問題・男女同権・男女共同参画・の流れ行き着く先にあるのは個々人の「孤立」』を参照ください。 景気対策、消費税10%などの経済問題、原発や環境、TPP、食料の自給やエネルギーの確保などのほか、あらゆる国際問題、地域紛争、人種宗教問題などは、本質的に問題解決の糸口になると考えられません。何故なら、すべて孤立の方向へ向かっているからです。わけて解決することは不可能だと考えます。

3つの科学(精神科学・社会科学・物質科学)は均等に努力しなければなりません。その内、社会科学は、統合失調(分裂)により「病む」を避けることを目的とすべきだと考えます。まだ、その方策は思いつきません。しかし、これ以上、(個人、家族、地域コミュニティ、社会、国家の)権利を主張することにより分断され孤立こそすれ、人類が滅びる方向に変わりありません。 問題の本質は、岡潔が云った間違った思想から逃れるにはどうすればよいかです。

我々人間がピース(基本粒子)で成り立っており、基本粒子は投影による映像だということを理解することによって、これら問題を解決できるのではないかと考えます。 かつてある人の口癖があります。

全部一緒。

物や事の起源は全部一緒です。まだうまく云えませんが、分裂せず病まずに済むよい方法があるはずです。

参考に「宇宙の真理を探究するに最適の道具は数学だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?」をお読みください。

余談です。超弦理論が5つもあり、それを統合するためにM理論が考えられました。どうも、戦後に幾度となく噂されるM資金とダブって見えて仕方ありません。M理論のMもM資金のMもmagic(魔法)のMに見えるのです。 仮想通貨、仮想現実、ファンタジー、スピリチュアル、占星術、魔法・・・。ほんと、この世界は抽象によって不健康で病んでます。 複雑で難し過ぎるのはムリです。やはり、自然科学はアポトーシスの過程に入っているようです。

 

10月25日追記 本記事は、管理人がよくわからずに書いていますので、お読みの方にもわかりにくいです。 ただ、ここ何回かで求めていた社会科学基礎的と思える部分が出てきました。 ある科学者は、地球人類の相互間に完全な理解がなければならないと述べています。完全な理解があれば平和は自動的に与えられると云います。どうも何をどう理解すべきなのかよくわかりませんでした。まだわかりません。ある科学者のヒントとなる言葉を引用します。少し長いです。

数百世代のあいだ地球人は「平和、平和」と叫んできましたが、平和はありませんでした。彼らの最も知的で教育を受けた男女の多くは、平和のための研究に自分たちの一生をささげてきました。そのことはまったくバカらしいと思われるとしても、数百万の人々が周期的に起こる戦争において「すべての戦争を終わらせるために」戦って死んでゆきました。彼らはどんなに直接的な試みによっても平和は決して達成されないという単純な事実をまだ理解できていないようです。たとえ、どこを探せばよいかを誰かが知っているとしても、平和というものは掘ってゆけば得られるような黄金でもなく、またすぐに手に入る宝物でもありません。

平和は単に人と人、人種と人種、国と国、それにすべての人々のあいだの完全な理解と、神として地球人に知られている宇宙に偏満する『力と英知』の副産物として自動的に得られるものなのです。

そのような理解が存在しているときには、平和を探すとか平和のために働く必要はありません。平和は自動的に存在します。しかしこのことが理解されるまでは、どんな努力も成功しないでしょう。

年々、国家の政治的、社会的な問題を処理したり、論争を解決したりする能力を持った国際機構を作る努力がなされました。しかしまだこれらの努力で本当に成功したものはなく、政治的な緊張をいくらかゆるめることがときどき達成されただけでした。

個々の政府はどれ一つとしてその機構に自分たちの権威者や最高の地位にある人を代表として送る気は全くなく、したがって、そのような機構には彼らの結論を履行させる本当の力は何もなく、事実、単なる諮問グループであり、その宣言は、それを命じられた人々に無視される可能性があり、また常に無視されているのです

平和の名の下に戦って死んでいくというのは、よくあることです。たとえ死ななくても本記事に書いたように、国家間の紛争や経済問題に努力しても平和は得られません。同じ事です。

どうも、3つの科学(精神科学・社会科学・物質科学)は互いに補完する関係にあるようです。別の次元軸を考えるきっかけは物質のこと(特に電磁気)を理解しようとしたからです。それからヲシテ哲学(縄文哲学)の核である「カミの仕組み」に気付きました。これが精神科学の核です。遅れて社会科学がやってくるのかと感じます。

社会科学は(カミの仕組みという)精神科学と(弧理論を核とした)物質科学の間に存在してるようです。

物質を「わけることによりわかる」の終端にきたのですから、「わける」を一旦終わらせて考えるべきです。 人と人、人と物との間の関係を云々する前に、人や物と事のすべてが全部一緒だという理解から始めるべきではないかと感じます。

魔法や錬金術にファンタジーやスピリチュアルという粉砂糖をまぶしたとしても、行き着くところは狂気。 悪魔は笑顔でやってくる嫌な世界。 次の段階がくるので自然科学はアポトーシス。

10月26日追記 何となくですけど、悪魔崇拝の起源も出どころは同じかも知れません。それと、ゲーム廃人というのがいます。 ゲームを作る方はまだよいけれど、ゲームばかりやる人は危ないかも知れません。 精密・精巧・緻密というのは(ある程度)アリでしょうけど、重ねて抽象はどうもいけません。ある科学者が云った「知識の限界」という語句が気になります。次回記事にまわします。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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