人が持つ「 わかる 」には3つ在る

2018年8月27日の記事「なぜ 日本語 は外乱に対して堅牢なのか」についての追記にてご紹介した石川九陽著の本「日本語とはどういう言語か」の書き出しに次のようにあります。

写真1

たとえば「 わかる 」とするか、「解る」と書くか、「理解わかる」がいいか、それともいっそ「理解できる」と漢語で表すかという、煩雑と云えば煩雑、微細といえば微細な思索は、日本語においては重大な問題である。

管理人は少し前までは、「分けることにより分かる。分かるの語源は分けるだ。」というふうに書いていました。でも段々に「わかる」に統一しました。

人は物をわけることにより「 わかる 」と思っています。これを否定する人はほぼ居ません。この点に注目したのは数学者岡潔です。岡潔講演録の「心そのもの、命そのもの」にある「【1】2つの心」で次のように述べています。

人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心はわたくしというものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸で笑いカワセミのようにうるさい。

 それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。  略

欧米人はこの第1の心しか知らない。しかし人にはもう1つ心がある、第2の心心は2つしかないのです。1つじゃない、もう1つある、第2の心。この第2の心は頭頂葉に宿っている。この心は無私の心です。私のない心。どういう意味かと言うと、いくら入れようと思っても私というものは入れようのない心です。それから、この心のわかり方は意識を通さない、じかにわかる

岡潔は人に心は2つあると云いました。

  1. 第1の心・・・私というものを入れなければ決して動かない心。意識を通さなければ決して分からない。
  2. 第2の心・・・無私の心。私というものは入れようのない心。意識を通さない、直じかにわかる。

岡は別のところで「日本人は情の人である」や「大宇宙の本体は情である」とも述べています。この情が第2の心です。 そして、その働き方は「情・知・意」の順で働くと云いました。 情とは何かを簡潔に述べたのところが「【4】 情のメカニズム」になります。一部引用します。

知の働きは「 わかる 」ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵「理解」するという。ところが、わかるということの一番初歩的なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかることでしょう。松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。

理解というのは、その「理ことわり」がわかる。ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。何がわかるのかというと、その「おもむき」がわかるんでしょう。

松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。

それから先が知ですが、その基になる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。人は情の中に住んでいる。あなた方は今ひとつの情の状態の中にいる。その状態は言葉ではいえない。いえないけれども、こんな風な情の状態だということは銘々わかっている。

言葉ではいえない。教えられたものでもない。しかし、わかっている。これがわかるということです。だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。

実に奥深いです。 管理人は当初よくわかりませんでした。考え続けていく内に段々とわかってきました。 情とは「何となく趣おもむきがわかる」ということです。だから知が働く。そして意になるのです。では、情の「趣がわかる」とは何でしょうか。 実は皆わかっています。でも意識したことはほぼ無いです。 これまでに何度か引き合いに出した「匙さじとスプーン」で説明します。実に簡単です。

これは何かと聞かれたら、何と答えますか。 当然のこと、サジまたはスプーンです。

写真2

では、匙とは何か、スプーンとは何か聴かれたらどう答えますか。で、国語辞書で「匙さじ」を引きます。

写真3

辞書には「スプーン」とありますので、スプーンを引きます。

写真4

「さじ」とあります。さらに「液体」や「すくいとる」あるいは「道具」を調べてもいいでしょう。でもどんどん深みにはまって、何がなにやらわからなくなります。早い話が「さじはスプーンであり、スプーンはさじである」で皆が納得しているということです。言い換えると言葉に本質は無いと云うことです。五十音の「さ」と「じ」を連ねただけです。「さ」にも「じ」にも「ス」にも「プ」にも「ー」にも「ン」にも本質的に意味はありません。これは岡潔が云ったという『自然数の「1」は決してわからない』と同じです。「【6】 数学の使えない世界」を参照ください。これを理解すると「数は量のかげ」の意味もわかってきます。

では、皆が写真2を見て「匙」あるいは「スプーン」だとわかるかというと、それが岡が言った第2の心なのです。それ以外にありえません。 見て直じかにわかるのです。

ここまでをまとめると以下です。

  1. 第1の心・・・意識を通す。言葉で云える。わけることによりわかる。要素還元主義。
  2. 第2の心・・・意識を通さない。言葉で云えない。何となく趣おもむきがわかる。これが情じょう

管理人はいろいろ考察してわかったのは上の他に、人にはもう一つ「 わかる 」があるということです。第3の心と云うには少し違います。

その前に余談です。

先日、動画サイトにて某TV局のニュース番組を観ていたところ、科学者のT氏が「AIはいいけれども、ロボット開発はいけない。2030年にはロボットが人間を襲ってくる。人間の脳とAI(と云ったようでした。)は同じ仕組みだ。ロボット同士は互いに通信するから、2030年には襲ってくる」と述べていました。 この発言によりT氏は「1.第1の心しか知らない」とわかります。前提としてロボットは人工知能を持っているでしょう。(AIと人工知能が同一なのかよくわかりませんけれども、ここでは同一とします。) 次の図は、AIの説明によく使われる図です。

図1

ニューロネットワークの要素は、ブラックボックスと同じです。要素は入力により状態を変化させているだけです。

図2

人間の脳を解析して、真似てニューロネットワークを作りそこから人工知能はできたということです。ですから、T氏の云うように人間の脳は人工知能と同じです。プラス、人には「わかる」があります。スプーンを観て、それが何であるかを言葉以前にわかっているのです。これは人工知能にはありませんし、脳にもありません。岡潔は頭頂葉にあると云ったようですが、意見を異にします。脳は人工知能と同じブラックボックス(要素)を構成したに過ぎないと考えます。 T氏の云った2030年はどうもプレ・シンギュラリティとでも云える年になるようです。T氏には、それが念頭にあったのではと考えます。 でも、人間の脳とロボットが同じであるからロボットが人間を襲ってくるという意見は、人間の尊厳を捨てているとしか思えません。T氏は博識で面白い意見を云う人で興味深かったのですが、自然科学者ですから仕方ありません。それにしても岡潔の言葉を読んだことがあるのでしょうか。たとえ読んでいたとしても理解していたとは思えません。

2018年4月25日の記事「人工知能 (AI)と人の頭脳の違い」をお読みください。家の子どもが2~3歳のころ、白身魚を食べさせた話を載せました。

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子どもは管理人からの問い「(魚の骨を指して)これは何?」の答えに「種たね」という反応は人工知能にはムリなように感じます。何故なら、知識データベースに無いのですから。このとき子どもは言葉では云えないけれども、魚の骨が 直に 何であるかをわかっていて、その次に最適な言葉として「種」を選んだと考えるならば納得できます。このようなことは人工知能にはムリなような気がします。ただの推論エンジンではないです。

 

さて、岡潔の情じょうについてです。どうも人にはだけでは物や事について直にわかるというのに不足すると考えます。 何度か書いてきたように、ヲシテ哲学(縄文哲学)において心の仕組みはもっと複雑です。岡潔の情とヲシテ哲学の心の仕組みを比較します。

  1. 岡潔 情じょう「何となく趣がわかる」・・・ナサケエダ
  2. 本居宣長「もののあはれ」・・・アワレエダ

1と2は、それぞれヲシテ文献にある「ナサケエダ・アワレエダ」に対応すると考えます。(注:ナサケエダ・アワレエダについては、池田満著ホツマ辞典を参照ください。)  2.の「もののあはれ」がわかりにくいのですけれども本居宣長研究ノート「大和心とは」にある『本論第九回もののあはれ』の口語には次のようにあります。

世中にありとしある事のさまざまを、目に見るにつけ耳に聞くにつけ、身に触れるにつけて、そのあらゆる事を心に味えて、そのあらゆるの事の心を自分の心でありのままに知る。これが事の心を知るということである。物の心を知るをいうことである。物の哀(あわれ)を知るということである。そしてさらに詳しく分析していえば、ありのままに知るのは、物の心、事の心であり、それらを明らかに知って、その事の性質情状(あるかたち)に動かされるままに感じられるものが、物のあはれである。

難しいのですが、どうも弧理論の考え方を適用するに、「もののあはれ」とは動画がわかるということのようです。そう考えると合理的です。本居宣長は動画という概念を知らないが故に苦心惨憺して書いたと理解すると納得できます。

注:物質的自然(物理空間)のことを弧理論ではM軸と呼びます。M軸上の別の次元軸(E軸)に在る実体の投影による映像であるというのが弧理論の骨子です。つまり、物質は映像であり、映像であるが故に物は離散的に現れるということです。離散的に現れる物質の運動を人がわかる為には、人が静止画動画の両方がわかる必要があります。

Stop motion photo; race horse locomotion. Scan of 2 d images in the public domain believed to be free to use without restriction in the US.

まとめると以下です。

  1. 岡潔の第2の心(情)は、ナサケエダに通じて、人をして「静止画」がわかる
  2. 本居宣長の「もののあはれ」は、アワレエダに通じて、人をして「動画」がわかる

これはいずれも、意識を通す、私を入れねば動かない第1の心とは別です。つまり、人の「わかる」には3つ在るということです。繰り返します。

第1の心・・・意識を通す。言葉で云える。わけることによりわかる。要素還元主義。

第2の心・・・意識を通さない。言葉で云えない。何となく趣おもむきがわかる。情じょう。静止画がわかる。ナサケエダ

第3の心?・・・意識を通さない。言葉で云えない。何となく動きがわかる。動画がわかる。「もののあはれ」「アワレエダ」

こうすることによって、人に記憶の仕組みが必要になりますし、「アワレエダ(もののあはれ)」によって人は運動を認識できます。そして初めて人は時の中に住むことができます。 でなければ、瞬きする度に相手が同一人だとわかりません。

ナサケエダが働き、アワレエダが働き、物が直にわかります。次に「知」が働きます。そして漸く「意」が働くのです。 知と意しか知らない人たちは、人工知能に駆逐されるかもと自信を失います。

言い換えますと、人の脳は人工知能と同じで、心の本体は別にあります。そして、人の脳を含む身体は心の本体へのコネクタあるいはソケットだろうと考えます。身体の何処かにE軸上の実体との連結部があるはずです。今のところ、脳に限らず構成する基本粒子(陽子・中性子・電子)にその機能があるだろうと考えます。弧理論の考え方によれば、物はすべてE軸からの投影による映像ですから、1個の陽子が人の身体の臓器にあろうと鉛筆の芯にあろうと「陽子はそのようなことを与り知らぬ」ことです。陽子はその状態を都度変えるだけですし、E軸上の実体との間を取り持つだけです。そう考えると上記のすべてが成り立ちます。3種類の基本粒子は、ブラックボックス(ピースあるいは画素)です。ですから要素還元主義で物とは何かをわかることはありません。

写真6

別の次元軸を考える以外に方法はありません。

管理人が使っている「meat softer」のGIFが目玉を動かし、時折まばたきするのがわかるのもナサケエダ(情)とアワレエダがあるからです。

ナサケエダ・アワレエダに記憶の仕組みが合わさることによって、貴方も管理人も「時」の中に住むことができます。ですから、時の過去の内に「時は過ぎ行く」という性質を取り出して観念化した時間は、それより後です。 時間とは、過ぎ行く運動の記憶・経験からくる観念に過ぎません。それは心の働きからすると、ずっと後に出てくるです。時間は物理量ではありません。人が持つ観念です。

 

追記12/6 「岡潔は、人が持つ第2の心が頭頂葉にある」という意見を異にすることについて補足します。 医学(解剖学や大脳生理学等)の発達とともに人間の(1)脳の仕組みは脳の各領域から(2)細胞へと解析されました。

(1)脳 → 脳の領域から神経細胞 → (2)ニューロン・樹状突起・シナプス

(2)は脳の要素です。その後、数学者を含む計算機科学者は(2)を真似てコンピュータ内に(3)ニューロンを作りました。

(3)ニューロン → (4)ニューロネットワーク → (5)人工知能

出典:「頭は使えばよくなる」は本当だった!

(3)を構成要素とする(4)を用いて(5)人工知能を作りました。 要素はピース(ブラックボックス)であり、画像で言えば画素(ピクセル)に相当します。(1)脳も(5)人工知能もいわばパズルです。その意味では脳も人工知能も同じです。T氏が得た結論と同じです。 しかし、岡潔は情じょうだと云いました。その場所は(1)脳の頭頂葉にあるとしました。これは矛盾します。これでは人工知能にも「わかる」があることになってしまいます。  管理人は身体の何処かから別の次元軸上に在る何かと繋がることによって第2の心あるいは第3の心?が発現していると考えます。そう考えることが残された選択肢です。 考えれば考えるほどに、別の次元軸を考える理由があります。

物とは何か。物質とは何か。原子を構成する陽子・中性子・電子の3つがピース(基本粒子・要素・ブラックボックス)であり、我々を含むすべてパズルであるとしか説明のしようがありません。ブラックボックスが何であるかを問うことに意味はありません。脳も人工知能も言葉と言葉による人の思考もすべてが「互いに規定し合う関係」にあります。 その点においてもまた同じです。岡潔が云ったように「自然数の1は決してわからない」のです。

 

ついでながら、素粒子とは物質の基本粒子(陽子・中性子・電子)のです。弧理論の考え方によれば、基本粒子はE軸上の実体6種のM軸への投影による映像です。6種の実体は、安定な基本粒子以外に多くの影を作るようです。だからクオークは単独で取り出せなくて3の倍数になると考えられます。

投影角90度以外の素粒子群は影です。

基本粒子(陽子・中性子・電子)3種は(積分を伴う回転)投影されることにより、互いに回転運動します。(本質的な回転運動「回る」であって「回す」ではない。) 素粒子群は回転運動にかかわることはありません。 物理学のエネルギーEは、時間を含まずに表すと運動です。Eとを置き換えると =mc2  になります。移項すると m=/cです。素粒子の質量は、運動を質量に換算しているだけであって、素粒子は波の一種、即ち影だとの見解です。

説明: どうも運動の一形態は””であるようです。電子の運動の一形態は光です。光を量子化したら光子ですけれども、光子の質量はゼロだとされます。電子の投影角が浅くなればM軸上で次元を失います。つまり、電子の質量を測定できなくなります。それが光だという説明です。おそらく電子以外のレプトンは電子の影です。そう理解するならば納得できます。レプトンもやはり3の倍数あります。これからも加速器で素粒子が発見されるならば3の倍数になるはずです。

2012年当時、管理人にもうまく説明できなかった上記のことを示す図を貼っておきます。

今読んでも間違っているところはありますが、大筋は現在も同じです。

 

追記12/20 数学者岡潔は「わかる」ということに関して、次のように述べています。「【 4】 自然科学と生命現象」から一部引用します。

人は生きている。だから見ようと思えば見える。何故であるか。自然科学はこれに対して本質的なことは一言も答えない。

余計なことはいっています。視覚器官とか視覚中枢とかいうものがあって、そこに故障があったら見えないという。故障がなかったら何故見えるかは答えない。だから本質的なことは何一つ答えられないのです。

人は認識することができる。何故か。これに対しても一言も答えられない。人は推理することができる。何故か。これに対しても一言も答えられない。それじゃあ一番簡単に、人は感覚することができる。何故か。これに対してすら自然科学は一言も答えることができない。

岡潔は自然科学を痛烈に批判しています。人は見ようと思えば見えます。しかし、自然科学は「故障がなかったら何故見えるかは答えない。だから本質的なことは何一つ答えられない」のです。 この「見える、聴ける、嗅げる、味わえる、触れる」の本質は感覚器官にはないのです。五感でわかるの「わかる」の本質は上記の通りながら、岡潔が云った「情」だけでは不足すると考えます。人が時の中に住めるのはやはり「3つのわかる」があるからだと考えざるを得ません。

離散的に現れる基本粒子(陽子・中性子・電子)を連続としてわかるには、「情:ナサケエダ=静止画」と「もののあはれ:アワレエダ=動画」が必要と考えます。詰まるところ基本粒子が別の次元軸からの投影による映像だと考える以外に有り様がありません。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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人が持つ「 わかる 」には3つ在る への2件のフィードバック

  1. 中川 のコメント:

    ご無沙汰しております。
    以前、お会いさせていただきました
    中川です。

    連絡をしたいのですが、
    携帯を変えたのでもう一度メアドを教えていただいてもよろしいですか?

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