ご高齢故に今上天皇の譲位が決まっています。譲位は平成31年4月30日です。新しい元号は5月1日に発表されるようです。(天皇陛下譲位は平成31年4月30日 改元は5月1日) 新元号がどうなるかについて盛んに予想されているようです。
管理人は、新しい天皇になられる現皇太子殿下に期待することがあります。2016年2月1日の記事『シラス・ウシハク シラスは「領る」ではない 「知る」である』より、一部引用します。
古事記・日本書紀にある「シラス」のように、天皇お一人に「シル:知る」を押しつけて、<知る>を<領る>と誤解した上で、<シル>という行為を王権と考え違いをした結果、<シラス>としているように思えます。
平城京あるいは平安京の御所にある清涼殿内の東ひさしの東南に、床を漆喰で固めた「石灰の壇」がありました。古より天皇は、「石灰の壇」にて毎朝、遙拝が行われていました。 現在、皇居の宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)において三種の神器への祈りがなされているようです。 皇祖・天照大御神の御霊とされる八咫鏡は賢所に祀られています。現在では遙拝について、誤解された上で形骸化していると考えられます。
図1 出典:「賀茂真淵の書簡について」 Iさまより
清涼殿内の東ひさしの東南に、床を漆喰で固めた「石灰の壇」にて、毎朝、遙拝を行われてきたようです。どういう所作かは存じませんけれども、四方拝に似た儀式ではないかと想像します。
写真1 出展:石灰壇(いしばいだん)、櫛形窓(くしがたまど)
このような形骸化した儀式の所作に意味はありません。次第に儀式化したのは人皇として即位した神武天皇の頃からと想像します。神皇として即位したのは第12代ウカヤフキアワセズが最後でした。
図2
それ以前は”カミノヨ”でした。人皇たる神武天皇からは”ヒトノヨ”です。以来、文化は低下し「神頼み」の世界が続いてきました。
何に神頼むかと云えば「お金と時間」です。お金も時間も”量”では無いのに「円・ドルや時・分・秒」といった”単位”がついています。謂わば量ではないのに、量の振りをしているということです。無いのに皆が信じている世界を”神頼み”といいます。現代は神武天皇の頃から続く”信仰”の時代だということです。注:カミの仕組みを会得した人たちが治めた世をカミノヨといいます。
数学者岡潔は、次のように述べています。
今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。
間違った思想の洪水とは、量を伴わないのに量の振りをしているお金と時間に振り回される状態のことに違いありません。これらが人類の危機の原因だと考えられます。
新しい天皇には人皇から神皇の時代、すなわちヒトノヨから日本の本来あるべき姿である「カミノヨ」に戻していただきたいのです。具体的には数学者岡潔が云った「努力感を感じない精神統一」です。(「【10】 右の内耳」と「【27】 西洋人の創造」を参照ください。関連する過去1月9日『岡潔 的思考 「右の内耳」について』あるいは1月15日「知恵 は絞り出すものではない」があります。)
冒頭にご紹介した「シラス・ウシハク」のシラスの元は「シル・知る」です。これまでの考察によればシラスのシル・知るは、岡潔の「情→知」の過程です。現代人に最も分かり易い表現は”気(キ)付く”です。ヲシテ文献によるところのノヲシテです。(”ト”ノヲシテと読みます。)
図3 ”ト”のヲシテ ”ロ”のヲシテ
トノヲシテの”ト”とは、ホツマ辞典p189(池田満著展望社)によれば次の通りです。
国の中心のアマカミが両手を差し上げてアメ(天)の恵みを受けるだけ受けて、国民に普あまねくわかち及ぼす形。
解説を読むとトノヲシテは単なる儀式の様に感じられますが、そうではありません。ヲシテ文献の字面だけからは動作・所作だけが読み取れるのでしょうけれども、本当は3つある「わかる」の内の「情」にこそ神髄があります。
- わけることによりわかる。物の理。理解する。意識を通す。言葉で云える。
- 何となく趣きがわかる。情。意識を通さない。言葉で云えない。静止画としてのわかる。
- 情の連続。もののあはれ。意識を通さない。言葉で云えない。動画としてのわかる。
岡潔によれば、「わかる」というのは物の理ことわりではありません。(1.ではない。) そのものの何となく趣おもむきがわかるのであって、「理解する」のわかるではありません。
よく引き合いに出す物を紹介します。これは何かと問われたとします。
写真2
匙さじとかスプーンなどど答えます。国語辞書を調べます。すると。
写真3
匙は、スプーンであり。
写真4
スプーンは匙です。言葉は循環であり、意識を通す言葉から写真2が何であるかはわかりません。人は意識を通さず言葉で云えなくとも、そのものが何であるかをわかっているのです。それが情じょうであり、「シル・知る」です。 決して1.では無いのです。ただ瞬きしても写真2が同じだとわからねばなりません。だから2.の情に併せて3.が必要なのです。離散的に現れる物の本質がわかるためには静止画と動画の働きが必要です。
新しい天皇には、神皇として即位していただき、是非とも「ト」ノヲシテを実践していただきたいのです。国民に普あまねくわかち及ぼしていただきたいというのが管理人の期待です。
少し解説します。ホツマ辞典よりの引用文についてです。
アメ(天)の恵みを受けるだけ受けて、国民に普あまねくわかち及ぼす形。
アメの恵みとは、意識を通さず言葉で云えない何かです。それを受けて国民に広くわかつのです。「わかつ」とは、「わける、あたえる」です。意識を通さず言葉で云えない何かを「わけることによりわかる」状態、つまり意識を通す言葉で云える状態にした上で、国民に広くわけ与えるのです。 これがカミノヨです。 古よりアマカミの役割は「情→知」の働きをもって国民を教え導くことでした。決して領有したり、支配(主うしが履く)することではありません。象徴でも儀式を行うことでもありません。気(キ)付くことです。 数学者岡潔が実践したことと同じことを行っていただきたいのです。 天皇におかれましては、直系だとのことですから当然のはずです。
確か何処かで、岡潔は「意識を通さないものを、言葉で云えるものに定着させることで文化はつくられてきた」という意味のことを述べています。数学者岡潔思想研究会の講演録のどこかにありました。岡潔は、日本の歴史を振り返って「応神天皇以前はうまく行っていた」。これからは「無形の文化、無形の文明、日本文明を起こそう」。そうして「人類を滅亡から救う」と述べています。これこそが期待していることです。「【6】 日本歴史の概要」と「【11】 日本文明を起こそう」を参照ください。
注:以上のお話しはオカルトやスピリチュアル系ではありません。自然科学は物質的自然のみの科学です。しかも間違っています。その外側について誰も考察してきませんでした。数学者岡潔が永年を掛けて緻密で論理的な思考を重ねた結果です。精神科学の基本です。
あらためて書きます。人は、決して言葉でわかっているのではありません。それは記号言語の極致ともいえる数学も同じです。だから岡潔は「数は量のかげ」と云いながら「自然数の1は決してわからない」と云ったのです。 数が量のかげならば、物を数で表せばすべて解決できるはずです。しかしながら、数は互いに規定し合って成り立っています。だから素たる数である「1」はわからないのです。言葉の元である「音素」も同じです。音素は決してわかりません。人が意味づけするだけです。だから言葉で成り立つ思考(意識)も「互いに規定しあって成り立つ」という意味では同じです。初めに意識を通さない何かがなければ人ではありません。丁度、人工知能はそれです。人工知能は言葉で云える物や事にしか対応できません。
その点、日本語は五感でわかる自然の物や事を150以上もあると云われる音素から48音をもってして日本語としました。ホツマツタヱにある「ヰクラ ムワタ ヲ ネコヱ ワケ」を2015年頃から考えてきた結論です。2018年8月27日の記事「なぜ 日本語 は外乱に対して堅牢なのか」を参照ください。
追記1/30 シラス・ウシハクのシラスを現代の言い方に置き換えるとすれば、国のリーダーが近いです。日本や世界のため、「意識を通さず、言葉で云えない何か(理想・目標や問題)」について、関心を集め続けることにより、解決の糸口を見つけ出します。それを分かり易く解説することにより皆を導くという指導者です。(シラスの本来の意味は”知らす”だろうと考えます)アメノ恵みを受けてわかつ、トノヲシテそのものです。同時に皆が”ロ”ノヲシテを身を身につけねばなりません。
余談です。 携帯アプリ(色彩メーカー)の回答が「銀鼠(ぎんねずみ)」や「甕覗き(カメのぞき)」というのは面白いです。管理人も録画で観ました。『アインシュタイン稲田のおでこ、「銀鼠」色や「甕覗き」色だと判明。スマホの色彩アプリで試す【すべらない話】』
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