数 には2種類ある 数は「事」のかげ

数学者岡潔は「 数 は量のかげ」と云いました。「岡潔先生をめぐる人々 フィールドワークの日々の回想(47) 龍神温泉の旅の話」を参照ください。 意味はこうです。

人の五感でわかるのは、の量や嵩です。ただわかるのは目分量です。例えばオレンジの重さや体積、糖度、酸味、香り、皮の厚さ、袋の数、種のありなし、成分その他などについておおよそしかわかりません。

写真1

この目分量を正確に言い表そうとして を使います。 ですから、岡潔の云った言葉を正確に云うと「数とは、人の五感でわかる物にかかる量のかげ」ということです。

:この「わかる」には3つあります。「【4】 情のメカニズム」が参考になります。

  1. わけることによりわかる。物の理ことわり。理解する。意識を通す。言葉で云える。
  2. じかにわかる。岡の云う情じょう。ヲシテ哲学で云うところのナサケエダ。静的にわかる。意識を通さない。言葉で云えない。
  3. 直にわかる。本居宣長の云う「もののあはれ」。ヲシテ哲学で云うところのアワレエダ。動的にわかる。意識を通さない。言葉で云えない。

上記で「人の五感でわかる」の「わかる」は、2.と3.を云います。因みに人が現在・過去という時の中に住めるのは2.だけでなく、3.があるからです。言い換えると2.は現在、3.は過去にわけられます。人に2.と3.があるから1.があり得るのです。ですから、自然科学は1.の範囲に留まります。

 

人の五感でわかるのは、物のほかにがあります。物や事です。あるいは出来事です。事とは、人と人、人と物の(位置)関係です。人が2.でわかるのは物の現在です。自然科学者が扱う物質的自然は、離散的に現れます。(量子理論の根幹です。) 離散的に現れる物にかかる位置の変化を同一の物としてわかるには、2.(情:ナサケ)だけではダメです。動的にわかる必要があります。それが3.(アハレ)です。3.は時の過去で記憶(情報)と関係します。

まとめると、数には2種類あります。

  1. 岡潔が云った「数は(物の)量のかげ」
  2. 「数は事のかげ」

ということです。

岡潔は「時間という量はない」と云いました。「【6】 数学の使えない世界」「【5】 情の特色」を参照ください。 「時間を知ろうとするといつも運動を使う」と岡は云いましたが、具体的には地球の自転に伴う太陽の位置(関係)、つまり角度から作ります。「【 2】 自然科学者の時間空間」を参照ください。

図1

角度は量ではありません。 角度から作った時間は量では無く、(出来事)です。ですから時間という「数は事のかげ」だと云えます。時間は事のかげですから、時の過去です。時間は現在を含みません。このあたりの考察は、過去記事にあります。

図2

物の量を表そうとすると10進数でよいのですが、事のなりを表そうとすると関係位置(角度)を扱うことになりますので、12進数がよいようです。

写真2 蛍石:結晶構造は12進数で表記すれば理解が深まるはず

ですから時間は10進数でありながら12の倍数なのです。これはセシウム原子時計を標準に使うようになった現在も同じです。

 

自然科学は物の理ことわりを表そうとしています。自然を量的に表そうとしています。ところが自然科学は物の量を表すに、時間という量ではなくて、「事による数」を混合(混同)して用いているのですからダメです。そんな自然科学は見方によっては、とても不自然だというお話しです。

ある科学者は、「地球の科学は基本的には問題は無い」と云いました。しかし、とても複雑になっていて、正しく眺めればかんたんだと云いました。その複雑になっている原因が時間にあると考えられます。 ついでに云えば、物とは何かというと基本粒子(陽子・中性子・電子)であって、素粒子という破片ではありません。人は基本粒子を組み合わせた物であって、基本粒子をピースとするパズルです。

写真3   ピースを砕いた破片↑  と犬・猫・人といったパズルとは、何の関係もない

ピース未満の素粒子と人とは何の関係もありません。ですから素粒子が持つ物性によって物である蛍石の性質を説明できません。

岡潔は山崎弁栄上人をひいて、「(素粒子の)少なくとも一部は映像と云ってよい」と述べました。物質的自然の全体を考えるとすべては別の次元軸からの投影による映像だと考えざるを得ません。「【3】 西洋の唯物主義」を参照ください。


ホツマツタヱが本物だと気付いて、特に気になった箇所について考えに考え抜いて漸く辿り着きました。 キツノナト ホムシサルアヤ ミカサフミ・キツヨヂのアヤの一部です。(引用先の誤りです。訂正します。2019/03/19)

コトハオナオス
アワウタオ ツネニヲシヱテ

アカハナマ イキヒニミウク
フヌムエケ ヘネメオコホノ
モトロソヨ ヲテレセヱツル
スユンチリ シヰタラサヤワ

アワノウタ カタカキウチテ
ヒキウタフ オノツトコヱモ
アキラカニ ヰクラムワタヲ 
ネコヱワケ フソヨニカヨヒ
ヨソヤコヱ コレミノウチノ
メクリヨク ヤマヒアラネハ
ナカラエリ

何故、ヰクラムワタ ヲ ネコヱにワケるとヨソヤコヱになるのか、ずっと考えてきました。

人が持つ五感により2.と3.により「わかる」のは「意識を通さず、言葉で云えない物や事」です。それがヰクラムワタです。(内訳はまだよくわかりません。少なくとも五感+情で6つです。) その「わかる」をネコヱ、即ち人が認識できる音素に置き換えます。一説によれば、音素は150以上あるようです。その中から24で折り返して48音(ヨソヤコヱ)としたのがアワノウタです。 これが何との性質である角度の12進数の倍数です。英語などの他の言語との違いはここです。だから日本語は凄いのです。

このアワウタを記号に対応させたのがヲシテ(ホツマ)の文字です。

図3 出典:(c)池田満

意識を通さず言葉で云えない「物や事の性質」の内、物の性質を5つ母音とし、事の性質を子音に置いたのです。 アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ・・・ と声も明らかに歌うことによってコレミノウチノ メクリヨク ヤマイアラネハ ナカラエリ なのです。本当に凄いです。よかった。長かったです。ネットにある五臓六腑なんてとんでもない漢字変換の誤訳です。 意識を通さず言葉で云えない。しかし「わかる」物や事を知的に言い表そうとするにヨソヤコヱは最適です。そうして文化はできてきます。

精神科学・社会科学・物質科学はここから始まります。ミクサタカラはここにあります。

 

因みにミクサタカラのツルギ(物質科学)とは、弧理論のArkのことです。どうも、3つの科学は互いに補い合っているようです。精神科学と物質科学がわかってくると社会科学がわかってくるというような関係にありそうです。

もう二つ。数学者岡潔は、間違いなく「”ト”のヲシテ」の実践者でした。それと、事には情報があります。情報とエネルギーには密接な関係があります。エネルギーは弧理論でいうところの運動です。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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