自然科学 は、「人の五感でわかる」という働きを自明のこととした上での応用に過ぎません。
数学者岡潔は人が持つ「わかる」について、講演録の「【4】 何故見えるのか」で次のように述べています。
自然科学 、さらに詳しくいえば医学です。医学は、見るということについて、どう言っているかというと、視覚器官とか、視神経とか視覚中枢とか、そういった道具があって、この道具のどこかに故障があると、見えない、そこまでは言っている。
しかし、故障がなければ、何故見えるのかということについては、一言半句も言っていない。即ち、これも物質現象の説明にとどまる。眼をふさぐと見えないというのと同じことです。
それでは、人は、何故眼をあけると見えるのか。大抵は、これについて疑問すら抱かない。知らないということも知らないのです。
また、「【 4】 自然科学 と生命現象」では次のように述べています。
自然のできるだけ簡単な模型を考えて、その中を科学するということは、知ってやってるのだとすれば確かに一つの研究方法に違いない。知らずにやってるんですけど、それでもある結果は出るだろう。
人は生きている。だから見ようと思えば見える。何故であるか。自然科学はこれに対して本質的なことは一言も答えない。
余計なことはいっています。視覚器官とか視覚中枢とかいうものがあって、そこに故障があったら見えないという。故障がなかったら何故見えるかは答えない。だから本質的なことは何一つ答えられないのです。
いずれも下線は管理人による。 人の「わかる」について、岡潔の述べた言葉とヲシテ文献の一文を元に参考に考察したのが次図です。
図1 物や事の現在と過去が「わかる」のは、心の仕組みと働きによる
前回記事の末尾に「 自然科学 者、殊に物理学者たちは、家族や食事をモザイク(素粒子の寄せ集め)として観ているのか」という皮肉を書きました。
人が映画やテレビ、あるいはモニターにオレンジを観ても変化するドットの寄せ集めとは観ません。
写真1
写真2
「見える・聞こえる・嗅げる・触れる・味わえる」のは、岡潔の云った「人が持つわかる」があるからに他なりません。決して自明ではありません。
ですから、人の「わかる」が自明のこととして「(部分を)科学した寄せ集め」に過ぎない 自然科学 は、基礎ではありません。自然の一部を応用したものに過ぎないです。 岡潔は、「【1】 このままでは人類は滅びる」でこう述べています。
今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。 ・・・・ 大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。
だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です。
やはり、人の心の持つ「わかる」の仕組みと働きは、{物質的自然をして「別の次元軸からの投影による映像」だと考える}以外にあり得ないようです。 人の心の持つ「わかる」の仕組みと働きがなければ、テレビやモニターに映る物や事は、ただの「変化するドットの寄せ集め」としか認識できないはずです。
以下は別の話です。
人が物や事の現在と過去が「わかる」のは、心の仕組みと働きによります。対してAI(人工知能)は、ドットの寄せ集めを解析したに過ぎません。これは脳と同じです。 ただし、人工知能は「人のわかる」の仕組みと働きを持っていません。脳も人工知能も「意識を通し、言葉で云える知識(情報)を処理する」働きしかありません。意識を通さない言葉で云えないがしかし、物や事が「わかる」仕組みと働きは、別に在るはずです。何となくその趣がわかる仕組みと働きは、脳にも人工知能にもありません。
岡潔は、心の仕組みと働き、即ち「第2の心は頭頂葉に宿っている」と云いました。「【2】 第2の心と大脳」を参照ください。 この点について、管理人と認識の違いがあります。「わかる」の仕組みは別の次元軸(E軸)にあると考える点です。
岡潔の頃に人工知能は存在しませんでした。 仮に当時、人工知能があれば、岡潔は心の働きと仕組みについて、人工知能と脳を比較して何かを発言したことでしょう。脳を模して人工知能を開発したのですから、違いを明確にする必要が出てきます。
人は結晶ではありませんけれど、もし人の肉体の(原子の)構成が結晶に似て「回転軸がある程度、一方向に揃っている」ならば、軸方向にE軸は重なりますので、肉体からE軸へアクセスできると考えられます。
図2 E軸は、常に運動Pと直交している。
E-M軸の定義は、「E軸は物質の運動Pに直交している」とするものでした。物質の任意の運動Pに対してE軸の方向を特定できませんけれど、XY平面内で回転運動する場合のみ、回転軸(Z軸)方向にE軸は重なります。 仮に人の肉体の構成が結晶に似て「回転軸がある程度、一方向に揃っている」ならば、軸方向にE軸は重なると云えます。
図3
人がZ軸方向に非対称なのは重力が原因だと考えられますけど、人の肉体に何らかの回転軸があると見るならばZ軸方向に非対称なのは納得できます。岡潔が頭頂葉と云ったのも偶然ではないような気がします。 身体の上下方向に真のエネルギーによる勾配が存在するかも知れません。
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>一時的?統合とは?
次元軸なのだから、計測可能な物理量だ。積分回転でE→Mだけでなく、M→Eもあるから、EはMから分離させた何か、あるいは未発見のもの。それが弧電磁気論で思ったことです。
というのが、たぶん
>エネルギーと運動P_の定義が曖昧なまま
につながるでしょう。
現時点での計測可能・不可能、未来のどこかで可能になるかも、といった枠を取っ払って、物理量なのかどうかです。この物質世界の記述となるか否か。趣+理として統合されていく。
またはもう1つの視点。Eは因を示し、物理量ではない。この場合「真のエネルギーの測り方」の物理的意味がわからなくなってくる。少なくとも作用・反作用の定義は従来とは異なる。これは出口がないのでスピ系になりかねない。
現代のM軸表現は全て趣(おもむき)の分類記述であり、特に時間がそれであり、E-Mの変換が理(ことわり)の1つである。ということならば、その計測性・制御性こそ問題になる。
岡潔の文は一部古く感じます。彼の時代の情勢から、今は変わってきているのだと思います。斑点A’やA”・・・を各人が感じる、それを大切にしていける時代です。観察の基礎さえ、教育されていない。理論ABCが不幸を生み出さない限りは、斑点Aはまず目標なのでしょう。
>EはMから分離させた何か・・・それが
同意ですが、発想は逆になります。MはEから。従って、EはMの元。量の元となるの何かだと考えます。エネルギー[ML^2T^(-2)]の元、気の元(気力生命力の元)です。
>趣+理として統合
まったくそのとおりと考えます。けれど岡潔が云った「わかる」の本質をほとんどわかってもらえないようです。「わかる」と「わけることによりわかる」は別です。「心の仕組みと働き+物の理」を「E+M」に求めています。それが弧理論の核です。
>Eは因を示し、物理量ではない
前述の通り、まだわかりません。わからないから探求。
>「真のエネルギーの測り方」の物理的意味
これがゼータ関数に結びついて、12進数が関係してくると予想しています。時間は物理量ではないので、こちらに結びつけるしか方法はないと考えます。現在の科学者は質量とエネルギーの関係をわかっていません。時間を用いてGeV/c^2は間違いです。これを何とかしなければ。
>作用・反作用の定義は従来とは異なる
これもまだわかりません。平面に動く蟻Aと蟻Bはとても離れている。上から眺めると視線の角度が異なるだけです。EはMに対して基本は同じと考えます。
>スピ系
それは違います。スピ系はお金を信じるのと同様抽象です。思考の向きを変えて具体は何からきているかを考えるという意味では違います。アランが実体と言った意味は深いです。
>M軸表現は全て趣(おもむき)の分類記述
情を「趣がわかる」と表現した岡潔の意図とまったく違う「趣」という語の用いた方です。意味がわかりません。
>特に時間がそれ
違います。時間は(物質の運動にかかる)角度から作っただけです。Eと時間は何ら関係ありません。むしろ角度が空間の性質としてEからきているらしいことを探求すべき。
>その計測性・制御性こそ問題
そうです。奇妙な「別の次元軸からの積分を伴う回転投影」などという訳のわからない仮定を設けることに意味があるのかさえわかりません。しかし、書き散らしてきた幾つものテーマが次第にまとまりつつあります。進みゆく展開が未だ行き詰まらないところをみると、最初の仮定は、間違いだと断定はできないです。
>岡潔の文は一部古く
逆の感想を持っています。教育を受けた人ほど岡潔の述べたことをわかっていないと感じます。むしろ中学生くらいに平易に伝える方がよほどわかってもらえる。文系だと仏教思想を、理系だと数理的に解釈しようとします。本当は易しいのに。だから岡は情操教育が大事だと考えたに違いありません。例え話で意図は伝わりにくいです。
弧電磁気論の磁単、磁双、電単、電双、それらの回転という発想にこそ最初の興味があった。
あとは端折る。
いくつかの言葉の意味が違う。つまり見えているものが違うらしいです。
確かに情操教育の影響なんでしょう。
人それぞれなのでしょう。それでもどこかに収斂するだろうとの希望です。でなければ、岡潔の危惧が現実になる。 求めているのは具体的な現象です。ただ精神科学と社会科学の基礎がわかっていなければ、求めるものは得られません。直に精神科学と社会科学に結びついていると認めざる得ない現象を求めています。急がば回れです。
何度も似たようなイメージ図を描いていて、少しづつその意味が簡単になっていってます。円盤の構造も。
物質・物体を核+周囲に纏った何かのことだとすると、それはアダムスキーの言葉では”日常的に機能している力”であり、”ほんの少し上回る””活性化されたエネルギー”の恩恵で、周囲に纏ったものの形状が少し変化する。
水素単原子の電子部分が、惑星の下から上へ吹く風を受けて、ひしゃげる。すると、分布は下がプラス、上がマイナスになる。惑星表面がマイナスなので下向きに引っ張られる。またはBB効果のような推力が働くとしても良い。これを下に凸の三角で表す。
円盤の外側を上に凸の三角にすることで、惑星からの風に従って、はじき飛ばされる。
この”風”は物体のあらゆる原子間を撫でるように通り抜ける。重力です。
力を伝達する粒子という発想がどこか胡散臭いのは、電磁気学において物質の化学的作用を完全に無視する計算の為のモデルだから。何のことはない、我々が学生時に教わることは Shut Up and Calculate ! という戦争の科学に過ぎなかった。ttps://kosuke64.hatenadiary.org/entry/20140109/1389278881
自然の秘密に迫る科学に人為的な限界はない。自然の見方を勉強したいものです。
>円盤の構造
なるほど。私は弧電磁気論を書く段階で単極誘導の応用だとの直観を持っていました。岡潔は「(素粒子の)少なくとも一部は映像といってよい」と云いました。その筋で話を組み立ててきたわけですが、そもそもの発端はアランの「物質とエネルギーは一つの実体の異なる面だ」という別の次元軸を示唆する言葉からでした。二人の天才から同じ発想が出てきていますし、岡潔は仏教思想から得たようです。このような「別の次元軸に原因がある」という思想や物理解釈を具体化するのが私の研究です。
>胡散臭い・・・Shut Up and Calculate !
笑いました。この話は井口氏のブログで読んだ記憶があります。岡潔は、自然科学を「自然とは何かを云わないで、それぞれを科学したものを集めたもの」だと云い、「かようなものは思想であって、学問ですらない」と云いました。私は過去、自然科学は統合失調だと書きました。同じことです。だから、分野があり、分野ごとの専門家がいます。何かあると訳のわからない専門家が湧いてくる。けれども分野間でつなぎが悪い。全体として何が何だかわからないことになります。まるで継ぎ接ぎだらけのぼろ服です。裸の王様を思い浮かべます。
マクスウェル方程式の変なところ・・「電磁気現象はベクトル形式で全てを示せる」とする点です。ベクトルだから大きさ(強さ)と向き(方向)のみ記述されています。何処と何処に力が働くか示されていません。だから実験で確かめたのです。結局、単極誘導は、どうみても本質的な(空間の性質としての)回転運動だと思った訳です。これほど重要なことはありません。2階の偏微分で(加速度の有無とのみの表現で事足りるとする)など本質から逸れています。その仕組みにまったく触れずに先に進むなんて間違っています。数学以前です。JPモルガンが当時の科学者たちに「(電磁気現象の不都合な部分を)何とかしろ」と命じられて出来上がったのが電磁気学です。その不都合な部分とは単極誘導の現象だったろうと解釈します。
岡潔が名付けた物質的自然に関して云えば、別の次元軸からの投影による映像だとすると、かなりの部分が納得できます。最初の仮定「E軸上の実体は積分を伴う回転投影されて位置と質量を持つ物質が現れる」という奇妙な理屈は今も活きています。 そして、投影の仕組みはヲシテ文献の「カミ」の定義に等しいとわかったのです。その一部を抽出したのが紡錘図形です。だから私は「自然とはカミの仕組みと働き」と理解しています。全部つながります。フトマニにあるアウワのウは渦(回転運動)のウです。カミの一部であるウは、物質的自然としてよいようです。
>何処と何処に力が働くか
>加速度の有無とのみの表現で事足りるとする
確かに。これについては直感的に浮かぶ疑問が1つある。ニュートンのリンゴの話です。
高さ1m、10m、100m、1000mと、それぞれの位置で落下し始める瞬間の力のかかり方は本当に同じなのか? 初期高度に関係なく自由落下の計算式が成立するのか? 次に位置エネルギーの話が出てくる。しかし、位置エネルギーがどのように力に変換されるのかメカニズムの説明がない。
これをおかしいと思わない場合、”その直前に習う”万有引力の因果関係を完全に理解しているということです。あり得ません。
これが高校~大学の頃に仕込まれる。五感が抜けた勉強。そりゃあ疲れますよ。
その頃の私は物理が得意でした。それがどういうことなのか知らずに。
弧理論について3つ。
・発想の上で一時的に分離したE軸は、最終的に物質世界に統合されるはず。
・電磁気学の理屈から、電子に影響を与えれば、それは原子核にも影響するはずである。質量比から、原子核は動かない為に、E軸に力やエネルギーが逃げるという表現になっている可能性。
・投影映像とすると、原子核は電子の影なのか、あるいは逆か。それともそれは同じものか。
>”その直前に習う”万有引力の因果関係
自身で考える前にすり込まれる。 ヨソヤコヱは人の心の仕組みと働きを適切に反映しています。たぶん他の言語だといろいろ考えすぎるのだと思います。隙間が無い方がよいと考えるのは普通ですけど、行き着く先が抽象だと気づけないのではないかと。だから段々と学問(五感が抜けた勉強)が面白くなくなる。
・一時的?統合とは? いつも(E軸への)アクセスという言葉を使っています。アランは実体と云いました。これが全てです。岡潔も山崎弁栄もそれ以上は云っていないと思います。E軸上の実体が原因と考える癖をつけようと考えています。
・現在のところエネルギーと運動P_の定義が曖昧なままです。最初の仮定、”積分を伴う回転投影”を作用反作用に適用しました。(E軸→M軸なら、反作用はM軸→E軸と考えられる。)図での説明はまだありません。仮説の通りならば、原子の回転運動の反作用は質量だと考えられます。とても奇妙で、今のところ受け入れられる話ではないです。磁石は巨大な単原子に見立てられそうです。ならば、磁石をして反作用がE軸へ向かう装置ができれば、それがフリーエネルギー装置です。
・万華鏡の映像を例え話にしたとき、見える斑点の内、反射による斑点A’やA’’・・は元の斑点A(素片)の影です。我々のおかれた現実もE軸との間に似た関係があります。スクリーンにオレンジを見るのと同じです。肉体の目耳鼻舌手の伝えた情報は脳へ達しますが、脳には「わかる」の本質はありません。岡潔は頭頂葉と考えましたが、AIの仕組みを鑑みると人の心の仕組みである「わかる」は脳にはなくてE軸にあると考えます。脳はその中継点です。全ての原因はE軸です。基本粒子や素粒子なども全部映像です。6種のE軸上の実体が投影されて3種の基本粒子になります。6種の実体は他にも映像を作ります。それが素粒子群などだと考えます。だから、万華鏡の映像の例えになぞらえて、素粒子群は基本粒子の影と説明しました。従って素粒子群は基本粒子3種の整数倍になるはずです。しかし、「原子核は電子の影」とは説明していません。
どうも、楕円磁場が化学の触媒現象の原因らしいです。何年も前から単極誘導は、触媒に似ていると考えてきましたけれど、これなら陽子がフリーエネルギーと関係するらしいという発想は妥当性が増します。そこで気付いたのがオオマサガスなども近い関係にあるかも知れません。ttps://yone-vanlife.com/blog/9774 存在に気付かないけれど、物質は楕円磁場を周囲に纏っているようです。フリーエネルギーは電磁気学と化学の境界にありそうです。
毎回、興味深く読まさせて頂いております。以前、youtubeに弧電磁気論の引力と斥力の動画を、今朝、改めてぼんやり見ておりました。
あのロシア人の浮上ディスクと昆虫の飛行原理的な解説が共通するように思っております。斥力と引力が空間に凹凸を作る物に力が影響されるなら、あの浮上ディスクの表面のエンボス加工も似たような現象を生み出すのではないかと思いました。
昆虫等がなぜ、あのように飛行できるのか、流体力学的なモデルだと限界があると思います。そこには昆虫の生み出す筋力の運動から静電場が生み出され、外骨格の凹凸と微細な体毛が、あの飛行を生み出していると思っています。
昆虫の飛ぶ動きは、UFOの飛行そのものに見えます。
飛んでいる蚊やハエ等を叩いて殺そうとするとき、彼らは逃げているのではなく、迫ってくる手や物から反発しているのかもしれません。
なんともくだらない考察でありますが、今後も研究記事を楽しみにしております。
いつも情報ありがとうございます。観察はとても重要です。まず数式から入る方が多いです。時間は物理量ではありませんから、時間を含んだ数式でのやり方は間違っています。(物質とエネルギーの関係が未だにわかっていません。)ただ、観察から理論へ向かう際には自然科学と矛盾してはダメです。より基礎的な理論に包摂されねばなりません。岡潔の云うには、自然科学は各々が科学したものの寄せ集めに過ぎません。その一つになってしまいます。
別の話。フリーエネルギーには陽子が関係しているようです。陽子(水素原子)と酸素で”水”が絡んできます。EMAモーターの「第4と第9の特徴」に一致します。「未知のエネルギーフィールド多湖-敬彦訳編」p103からを参照ください。 また、陽子と云えば太陽風を想起します。地球の自転とジェット気流とオーロラとの関係に行き着きます。弧理論の原子模型はまだ虫食い状態でわからないことだらけですが、とても興味深いです。ある程度まとまったら記事にします。いずれフリーエネルギーの仕組みに行き着くと思います。
レスありがとうございます。高校生の時、EMAモーターの特許をを取り寄せて、読んでみたりしました。「未知のエネルギーフィールド」も購入しました。学生時代から思うことは、教科書は真実を教えていない、ということです。真実というよりは、「核心的なこと」でしょうか。陰謀論でもなんでもなく、真実に気づかれては不味いことは、多かれ少なかれ教科書にはのっていません。利権は法律で保護することで、開発を制限しています。そして、インターネットで世界の頭脳が集まることを、今度は制限しようとしています。現在は、著作権などで制限しているように。
これまでEMAモーターに酸素が必要という点について、理解できませんでしたが何とかつながるかも知れません。水滴は冷却により空気中の水分が装置に付着するのみならず、装置付近で生成されているのかも知れません。発電機に電流を流すとモーターになります。その点では対称です。フリーエネルギー装置は非対称です。反作用がどこかへ逃げているはずです。確証はありませんが、どうも回転軸(Z軸)に重なるE軸方向へ逃げているかも知れないです。地球の自転について、地球内部に二重反転があるかもと考察して来ましたが、太陽風と地球の自転も同じことになるかもです。陽子(あるいは水素原子)がキーの感じがします。
>真実に気づかれては不味いこと
お金は社会(経済)の血液に例えられます。一度作れば生産設備は不要になります。作った装置がずっと使えれば経済は餓死します。多くが職を失います。路頭に迷う人が大勢出ます。そのような事態は何としても避けたいでしょう。一方で、これまでの考察によれば、お金による経済を優先すると社会のすべてが抽象へ向かうでしょう。すると人の脳が受け入れられる抽象の限界に達して脱落する人が増加します。心を病む人が多くなり、社会は荒れます。たとえ理路整然としても抽象ではダメです。その点で現在の物理学は抽象に過ぎないのでダメです。精密緻密であってもダメです。精密緻密な論理を素早く扱える人が優秀だとされる風潮は、貴方の云われる「真実に気づかれては不味いこと」になると考える連中の方策の様に感じます。
一番の連中は、優秀だからではありません。生まれたときから一番だから全ての情報が集まってきます。(パトロンだから。) 下から上がってくる情報の内から、自分に一番有利なものを持ち上げて、不都合なものを貶めるのです。だから一番でい続けるのだと考えます。社会の複雑化(抽象化)には限界があります。身近にゲーム廃人はいませんか? よい加減、こんなことは止めるべきです。