先日の記事にて、「自然科学は応用の一つに過ぎない」と述べました。 さらに 科学 を統一しようという発想自体が間違いです。
統一科学ということばがあります。以下に引用します。
物理学主義 physicalismともいう。ウィーン学団に属する R.カルナップ,O.ノイラートらが唱えた論理実証主義的な立場の主張。彼らは,物理学的言語は普遍言語であって,単にいわゆる自然科学だけではなく哲学や心理学などのいわゆる精神科学の命題もプロトコル命題 Protokollsatz (検証可能な原子命題) に還元され,物理的言語で表現され,物理学的命題から構成されうるとして,従来の新カント派などの科学の区分に反対して,個別科学を一つの統一的科学としてとらえようとした。
より簡潔な別の解説は以下です。
すべての科学はその方法において一つであるという認識に立ち、論理実証主義の立場から物理学を基礎にして諸学を統一しようという主張およびその運動。
”その方法”とは、還元主義と唯物主義です。それぞれは以下です。
- 還元主義・・・・物や事を「わけることによりわかる」とする
- 唯物主義・・・・数学者岡潔によれば、「五感でわからないものは無いとしか思えない」というもの
統一科学とは、還元主義と唯物主義による物理学を基礎にして統一しようということです。 しかし、その発想自体が間違っています。
人が物や事をわかるのは、「わけることによりわかる」のではないですし、人の肉体に備わった五感でわかる物や事には、あきらかな限界があります。
で、肝心の物理学はといえば、究極の素なる粒子、素なる領域、素なる時間を求めつつ、4つの力を統一しようと努力が続けられています。
表1
図1
その根拠は、還元主義と唯物主義から来ます。 結論として、「力の伝わり方は近接作用である。」と考え、そのためには、『素なる領域、素なる時間があり、素なる物質と力の粒子に「宇宙の全情報が詰まっている(備わっている)」はずだ。』ということになります。 因みに時間は物理量ではありません。
この発想故に、素粒子(物質の粒子・力の粒子)に行き着いたのですが、統一の夢は叶いそうにありません。
以前に用いた万華鏡を例に説明します。 以下は万華鏡の映像です。
図2
A氏は、赤い斑点A観察し、Aを解析して理論化しました。次に赤い斑点A’を観察し、AとA’を解析して理論化しました。さらに赤い斑点A’’を観察し、AとA’とA’’を解析し3つを統一した理論としました。これがA理論です。 次に、B氏は、青い斑点Bを観察し、Bを解析して理論化しました。次に青い斑点B’を観察し、BとB’を解析して理論化しました。さらに、青い斑点B’’を観察しBとB’とB’’を解析し3つを統一した理論としました。これがB理論です。 次に、C氏は、・・・・・。
A理論とB理論との間に似た関係があることに気付いたA氏、B氏、C氏・・・らは、各々の理論を持ち寄り統一理論を打ち立てようとします。彼らは、究極の素なる斑点(An・Bn・Cn)があって、素なる斑点にはA・B・C・・・、A’・B’・C’・・・、A’’・B’’・C’’・・・の全情報が詰まっていると考えています。 しかし、観察の精度が上がるにつれて、より微細な斑点が見いだされます。
このようなことは、まったく無意味です。 実は、このような記事を書くに多少辟易しています。数学者岡潔が伝えたかったことをほとんどわかってもらえていないと感じるからです。しつこく何度も書き方を変えて書いています。
要素還元主義について、過去記事の一部を示します。
人が映画やテレビ、あるいはモニターを見てオレンジとわかるのは、「わけることによりわかっている」からではありません。
写真1
人が物を見て「わけてわかる」ならば、ドットの寄せ集めとしか認識できないはずです。そこにオレンジなどありません。
写真2
「見える・聞こえる・嗅げる・触れる・味わえる」のは、岡潔の云った「人が持つわかる」があるからに他なりません。岡潔はこれを「情じょう」と呼びました。オレンジがオレンジとわかるのは「全然、理解じゃない」と述べています。貴方は、この意味わかりますか?「【4】 情のメカニズム」を参照ください。
ですから、人の「わかる」が「わけることによりわかる」にあると信じ切って「(部分を)科学した寄せ集め」に過ぎない自然 科学 は基礎ではありません。自然の一部を応用したものに過ぎないです。 岡潔は、「【1】 このままでは人類は滅びる」でこう述べています。
今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。 ・・・・ 大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。
だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です。
万華鏡に見える映像のA氏、B氏、C氏による理論は、「学問とはいえない。単なる思想」ということになります。 A理論もB理論もC理論も素片である斑点の生成・消滅と動きを理解するに不足はありません。けれども万華鏡の本質はまったく別にあります。
言葉ではいえない。教えられたものでもない。しかし、わかっている。これがわかるということです。だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。
オレンジや素片(斑点や素粒子)は、意識を通し言葉で云える知であって、その根底に情の働きがあるということです。
還元主義と唯物主義は大事なのですけれど、ある時点で飛躍が必要だと考えます。それが別の次元軸です。そう考えなければ、人の持つ心の働きである「わかる。即ち情」も、現在の「知」である理論体系も整合性をもって把握することなど夢のまた夢です。
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毎回、興味深く読まさせて頂いております。単極モーターと地球の二重構造、そしてバンアレン帯にある二つの層。どちらが先なのかわかりませんが、太陽風や宇宙線が地球のエネルギーとなり、それが磁場を形成させている?のか、それとも逆なのか。単極モーターが地球を模して作ることができれば、エネルギーを空間から取り入れて、作り出すことができてしまう、永久機関になるのかもしれません。Φ氏の「わかる、わける」というのは、昨今のシミュレーション宇宙にもつながるのでしょうか。うまく言えませんが、そんな気がします。
>地球の二重構造
最近、もしかしたら反作用はE軸(Z軸)へ向かっているかも知れないと考えました。これだと二重構造でなくてもよい。受け入れ難い考えですが、考察を続けています。
>単極モーターが地球を模して
少し違います。地球の自転が単極誘導の現象による。あるいはその一種なのかも知れないということです。
>永久機関
反作用がE軸方向へ向かっていれば、回転面(XY)内で運動を取り出せるようにも思います。{「まわる」は反作用がE軸へ}なのかも知れません。まだわかりません。それだと単極誘導モーターの力学特性をして、磁石は触媒のような立場であってもおかしくはないように思います。磁石は、周囲の電子に何らかの影響を与えるが力学的には無関係。「まわる」は原子内で閉じている。その影響力だけが周囲にある(ある種のポテンシャル)と考えると理にかなっているようです。
>シミュレーション宇宙
たぶんその感じで合っているようです。記事にしたとおり、シミュレーションは疑わしいです。スパコンによる天気予報は、ジェット気流の方向が自転の方向と同じである原因に関係なく作ることができます。