動画サイトに 認知的不協和 についての解説があったのでメモします。説明はこちらにもあります。
動画1
(1) 管理人は、数学者岡潔の言葉を参考に自然科学の問題点について考察して来ました。 岡潔の述べていることの概略を箇条書きにします。 当サイトには岡潔の言葉から考察した記事が200本以上あります。興味のある方は、関連キーワードにて検索の上お読みください。右側にサイト内検索欄があります。
- 自然科学者の云う自然を「物質的自然」と名付けた。
- 自然科学者は唯物主義である。「五感でわからないものは無いとしか思えない。」
- 物質的自然は、人の肉体に備わった五感でわかるものでなければならない。
- 自然科学者は物質的自然を「時間・空間」といった。これは自然そのものではない。簡単な模型である。
- 時間という計量的なものはない。(時間は物質の運動にかかる角度より作る。角度は量ではない。従って、時間は物理量ではない。量は測る。「作る」は量ではない。)
- 時間は過去であり現在を含まない。(古典物理も量子論も確率や精度以前に決定論ではない。)
- 山崎弁栄上人は「自然は心があるために映写される映像に過ぎない」と云った。少なくとも(素粒子の)一部は映像と云ってよい。
- 人の心が持つ「わかる:情」は、理解でも物の理でもない。(「わけることによりわかる:知」の前にある。)
- 戦後日本人は心を粗末に扱ってきた。
- 現代は、間違った思想の洪水である。
- 自然はわかりきったものとして、めいめいの思想をもって、科学したものを集めたもの。これは思想であって学問ですらない。
- このままでは人類は滅びてしまう。
- 情緒を育む教育が必要である。
管理人が出した答えは、「自然科学は、人の五感でわかる物質の運動(角度)から作った時間を用いている。だから、自然科学の適用範囲は五感でわかる範囲に限られる。」というものです。自然科学は近似であって、適用範囲に限りがあると云うことです。 問題の本質は以下です。
自然科学は時間を用いています。だから、下図のように循環構造を持っています。
図1
循環である以上、還元主義「わけることによりわかる」では、自然科学に結論はありません。行き着く先は抽象です。物理学でありながら抽象へ向かっています。 余談ながら、物質的自然そのものが循環であることがわかっています。
岡潔の言葉とヲシテ文献に示されたヲシテ哲学(縄文哲学)を組み合わせることで、人の心の仕組みと働きを調べました。その結果、人の心は「映像をわかる」という特性を持っていることがわかりました。
図2
一方で循環であることから全体が抽象へ向かっていますので、人の心の仕組みと社会全体の抽象化との間で軋轢が生じています。おそらく岡潔が述べている「間違った思想の洪水」の結果により「人類が滅びる」のは、人々の心が受け入れられる具体と社会が向かう抽象との差異により人々が耐えられず滅びるのではないかと考えます。 自然科学は近似だから、具体から抽象へ向かうと理解すれば納得できます。
図2 社会のあらゆることが抽象化している
岡潔は、情操教育が大事だと述べました。しかし、具体的な解決法になるとは思えません。一方で、ある科学者は次のように述べています。少し長いです。2018年10月26日の記事『知識の限界 とは人の心が受け入れられる「抽象の限界」のこと』が参考になります。
科学知識を求める人間は木に登るアリのようなものだ。自分では上方へ動いていることがわかっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。そのために幹を離れていることに気づかないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。いっときは万事がうまゆく。自分ではまだ上方へ登れるし、進歩という果実を少し摘み取ることもできる。だがその枝が急に無数の小枝に分かれていろいろな方向に葉が散らばっているために本人はまごつき始める
そして基本的法則は今や分かれ始めて反対の方向に散らばり始めていることに気づく。すると科学者は心によって受け入れられる 知識の限界 に近づいていることや、あらゆる物理的な法則は究極的には全く統計的なものになるという結論に達する。
略
たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。
正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。
だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たちがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。
君たちの科学は一本の低い枝を知識という全体の樹木に変えていて、そのために科学がひどく複雑になっているんだ。そこでこの科学が実用面で応用されると、できあがった装置は手が出ないほどに複雑になるんだ。
君たちにとって最も必要なのは、自然の基本法則または事実がまったくかんたんだということを発見することだ。
強調は管理人による。 心が受け入れられる知識の限界とは、抽象の度合いとでも表現できます。人類の科学の発達を「一つの枝を登るアリ」に例えています。さらに登り続けるには、一旦枝の分岐点まで降りて、再び登る必要があると説明しています。何より、現在の科学の成果は、途轍もなく複雑です。例えば、人工知能の研究者でさえ、人工知能を実装し深層学習したコンピュータの中で何が起きたかを推測するしかありません。言い換えるとこの例も抽象化です。(管理人が過日、某TV番組で観たものです。ソースは失念。) 現象の複雑さの中に本質があると思い込むのは危険です。
ところで、現代は具体から抽象へ向かっていると記しました。これの代表がお金と時間です。 お金は国家と石油の信用により成り立っています。時間も物理量だと信じています。 「信じる」は、「思っている」に置きかえても同じです。何の根拠もなく信じている、あるいは「思っている」のです。自身が仮定していることにさえ気付かないという酷い無知の状態にあるのです。
これは信仰そのものです。以前、次のように書きました。「未来の人たちはいつか、現代のことをお金と時間に対する信仰の時代と評するだろう。」
そう遠くない時に、このお金と時間に対する信仰は終わりが来ます。人々が具体と抽象の軋轢に耐えられなくなった時です。それがどのような切っ掛けか、場面かはわかりません。しかし、これまでの考察により、いずれその時が来るのは確実です。 その時に、貴方が動画1に示された反応を示すと考えます。 オウム真理教信者の反応は他人事ではないと感じます。その時は100%人災になります。よく引き合いに出されるハルマゲドンは、天災でなければ 認知的不協和 になるはずです。
(2) ここで、解決法ではありませんが心構えがあります。2018年4月26日の記事『高野誠鮮 氏「寛容で懐疑的な態度は絶対失ってはいけない」と書いてあります。』が参考になります。
高野誠鮮 、飛鳥昭雄、竹本良、3氏による対談本「宇宙人UFO軍事機密の【レベルMAX】:ヒカルランド」に、幾つか興味深いことが書かれていたので購入しました。 ヒカルランドにより開催されたセミナーを元に編集された本だということです。対談において、高野誠鮮氏は次のように述べています。
これを空軍士官学校で使っている教科書で教えているのです。学ぶのはぺいぺいの一兵卒とかそういうレベルではなく、士官候補生だけです。士官たちには教えているのに、議会や国民に対しては否定しているのです。
この教科書には「寛容で懐疑的な態度は絶対失ってはいけない」と書いてあります。つまり、いることは間違いない。3種類から4種類来ていることを教えています。しかも、「今から5万年以上前から地球に既にやって来ている」と書いてあります。彼らは敵ではありません。5万年以上前から来ていて、侵略しようとか、そんなふざけたことは考えていませんよ。侵略とかではなく、まったく違うことを考えているわけです。
強調は管理人による。 高野誠鮮氏は、対談で「寛容でありつつ、かつ懐疑的な態度を絶対に失ってはいけない」と紹介しています。 受け入れるけれど、鵜呑みにはしないということです。 自身が生活する上で、この態度を取りつつづければ、どのようなことが起きても自身(の心)を失わずに済むと考えます。 強烈な認知的不協和に陥らないために必要です。
(3) 管理人がこれまで考察して来たのは、具体的な解決法を提示したいからです。別の次元軸(E軸)を想定し、E軸に人の心の仕組みと働きがあって、M軸上に物や事のすべてが映像として現れるという考え方です。これが弧理論の骨子です。精神科学と社会科学が基礎にあって、そこから物質科学の発達があります。3つの科学の間には密接な関係があります。基礎を疎かにしてはダメです。
大事なのは、管理人自身も含まれるということです。弧理論が解決法として正しいかどうかです。ゼロか100などの態度はダメです。現在の教育は、ゼロか100の態度を助長しています。上記の信仰が強い、素早くそのような反応を示す人ほど、立場が上になり得ます。 この記事は、当サイトを読まれる若い人や自身のために書いています。 もっとも、正しいと思わねば研究は続けられないですけれど、どこか平常運転です。
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生き方を試される時代に生まれたのだなと
感じます。
そういった意味では、間違った思想の洪水や
人工知能の台頭、金融システムなどの”悪”とされている物たちもこれをどう乗り切るのかと学ばせてくれる必要悪じゃないかなと。
社会はどうであれそれをどうするかは一人一人が決めることなので、周りは気にせずに
自分が進みたい方向を明確にすることが大切だとΦさんのブログを読んで感じました。
認知的不協和に陥っていることは自分自身でもあるなと思いますが、なるべく中庸の姿勢をもって物事を分析する力は養っていきたいものです。
文明の危機を云われて80年近くになります。何がどのようにというのは意見がわかれます。人災天災のいずれも人の心の問題に行き着きます。その点、岡潔は本質をついていると思います。今の価値観、延長ではダメだと多くが認める所です。では、どちらに向かうべきかはだれもわかりません。変化イコール破壊です。今は見向きもしないようなことについても寛容が必要だということです。でも常に懐疑的であらねばなりません。まずは抜け落ちた部分があると意識してかかるとよいように思います。自身にも懐疑的であってよいと思います。
アランの云うように、今まで来た道を分岐点まで引き返すことになれば強烈な認知的不協和に陥るはずです。紡錘図形とヲシテ文献の核心が同じだというのは驚愕です。分岐点はここです。彼らによる最初からの計画です。これが研究の結論です。人類の浅知恵とは比較になりません。
いずれにしても自分で考えるべきです。TVで東大生とのクイズ王みたいなのをやってますが、岡潔的思考と対極にあります。勉強は必要ですが丸呑みではないです。もしものとき、思考停止にならずにすみます。
情報、物質、エネルギー。唐突にですが、宇宙は相対的?。ここのサイトにレスをされている方で佐々木氏でしたか、位置エネルギーについて疑問があるとかないとか。
我々の世界が相対的なら、動く物は静止しているかもしれない。よくまとめられませんが、俗に今まで本物とされるフリーエネルギー装置の共通している点は「コイル」「磁石」でしょうか。そこにはニコラ・テスラの言う、エネルギー、振動、周波数があるのかと。質問ですがΦ氏は、昔言われていた、空間は「エーテル」で満たされているという、「エーテル」についてどう思われますか?。
>宇宙は相対的?
私も思ってました。相対論は少しも相対的でないと感じてました。2018年に全ては循環だとわかりました。物や事が相対的なのは循環の部分だからと理解します。右と左、上と下、東と西、善と悪、流れる水、運動などすべての物や事が相対的なのは、循環の一部を切り取ったからだと考えます。おそらく保存力や保存則もここから出てくると考えます。
>フリーエネルギー装置の共通している点は「コイル」「磁石」
皆、電磁気学に誤魔化されています。ニコラ・テスラの言葉に「資料論文を読みあさったがフィクションのようだった」「回転こそ宇宙の本質だ」があります。にも関わらず彼の死後FBIが押収した残りの資料には回転にかかるものがありません。それでもテスラコイルは、コイルですから軸対称ですけれど、LC回路である縦の方向に非対称形をしています。何よりパルスを使っています。ヒントにはなります。しかし回転ではないテスラコイルに固執すべきではありません。
>「エーテル」についてどうか
自然科学の模型「時間・空間」の時間について。時間は物理量ではないことがわかっています。これは致命的です。それ以外に、空間を自明とするのは誤りです。先に空間があるのではなくて、別の次元軸からの投影によって位置を持つ物質が現れると考えます。伴って、その他の物性も現れます。結果、空間として認識できるということです。現段階ではエーテルに相当するのはE軸上の実体が弧(Ark)を描くことにより投影されて現れる発散トーラスだと考えます。
正と負あるいは上向きと下向きの発散トーラスが組み合わさって楕円磁場を形成します。これが原子模型になります。(まだ記事にしていません。)楕円磁場は反作用がE軸に生じることで質量と重力をもたらします。今朝わかったのが、楕円磁場による「回る」の反作用は打ち消すようにE軸方向に生じており、残る作用が重力だということです。対して「回す」の反作用は遠心力になります。だから、重力と遠心力は生じる方向が反対なのに区別がつかないのです。この辺りの文字による説明はとても難しいです。ご理解いただくのはもっと難しいです。ともかく最初に空間と考えるのは間違いです。投影による映像だとの発想から空間の性質を考えるべきです。その結果として液相気相固相の別ができてくるはずです。遺伝子もそうです。生命現象も別の次元軸に原因があると考える以外にありません。私は電磁気現象がE-M軸間での位相変換だと考えました。90度に限定したのです。その他の角度での位相変換を用いれば、あらゆる物性について近似ではない値を出せると考えます。そのためには12進数が有用になるだろうと考えます。
位置も距離も問題ではありませんし、素なる領域、素なる時間も素粒子も見当違いです。
雑談的な話です。今までの社会は、個人と国を分断することで、人類の進化を抑制していました。ネット社会となり、その抑制も限界が出てきています。西洋から日本にやってきた「著作権」「特許」等も人類で共有させないことで、文明の発展を阻害してきました。人工知能がそれらを打破する可能性を秘めています。
あのロシア人の不可解な浮上ディスクも、youtubeという媒体から世界に共有され解明されていくでしょう。
>人工知能
貴方とは違う意味で興味があります。私は、プログラミンはダメですが、コンピュータ(PC)が好きです。人とは何かを考える道具になるからです。PCでAIはできています。PC内に実装されているAIのニューロネットワークの要素は、還元主義の要素(ブラックボックス:BB)に似ています。自然科学の道具であるBBでAIはできることを意味します。AIは人の脳を模したものです。つまり、人の脳はAIとほぼ同じ。どちらもBBを組み合わせることによってできていることになります。自然科学の範囲で、いずれ人の脳はAIに追い越されます。自然科学に落ちがないと信じる人は、AIの出現により自身の存在価値がないと自覚するはずです。自然科学に落ちがないと信じる人は、岡潔が危惧したことをわからないまま自身の存在価値を失っていくと思います。
>浮上ディスク
いまだフリーエネルギーの仕組みはわかりません。しかし単極誘導の現象が本命だとほぼ確信しています。わかれば実験しますし、動画にあげるというのは研究開始当初からの予定です。当ブログもその一環です。それにしても重力の仕組みの方がフリーエネルギーの仕組みよりわかりやすのは何故なのか疑問です。回すと回るの違いはある程度わかるのだけれど、肝心要の部分がわかりません。