ヲシテ文献にある ヨソヤコヱ (48音韻:アワウタ)は、日本語の基礎です。表音文字や表意文字と比較することによって ヨソヤコヱ の特徴を示します。表音文字の代表は英語です。表意文字の代表は漢字です。 前回、追加記事の続きです。
(1) 表音文字の代表は、アルファベット26文字を使う英語です。文字に意味はありません。ときには発音しない文字が含まれます。少ない文字数でありながら、長い語を作ることにより、より多くの物や事を表現できます。
mountain (mάʊntn) , river(rívɚ) , God(gάd)
Godについて、weblioには、「 (特にキリスト教の)神、創造の神、造物主、(異教の)神、(神話などの)男神、神像、偶像、神のようにあがめられている人、崇拝の対象、(劇場の)天井桟敷席」とあります。
(2) 表意文字の代表は、漢字です。文字そのものに意味があります。物や事の数だけ文字が必要です。新しい物や事を表現するには新しい漢字を作るか、熟語を必要があります。文字そのものに意味があるので、曖昧さが入り込むかも知れません。人ごとに解する意味が異なることが考えられます。 幕末に西欧から入ってきた概念を言い表すに多くの和製漢語が作られました。
山(サン) 、川(セン) 神(シン) 音読み
神という字の由来は、示に申(雷)だとのことです。『「神」 最も恐れられた自然現象』を参照ください。 「示」はお供え物を置くテーブルです。「申」は、祭壇の向こうにある超自然的な何かを雷いかずちとして現したのです。
(3) ヨソヤコヱ (48音韻) アワノウタ
アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ
ヘネメオコホノ モトロソヨ ヲテレセヱツル
スユンチリ シヰタラサヤワ
図1 出典:日本ヲシテ研究所
物を母音とし、事を子音としています。上記の「山:サン」と「川:セン」の訓読みになります。図1を用いて、物と事にわけます。
ヤマ・・・・ヤ(ウツホ:気体+はねる) マ(ウツホ:気体+たす)
カワ・・・・カ(ウツホ:気体+つなぐ) ワ(ウツホ:気体)+おわる)
カミ・・・・「つながり、もたらし、生じさせる」
ヤマもカワも48音韻図表から取りました。ヲシテ文献で「ヤマ、カワ」が48音韻図表のとおりの解釈でよいのかはわかりません。管理人が音韻図表からひいたものです。池田満氏は、ヲシテ文献を一字一句の解釈にこの手法を用いています。日本語の名詞動詞形容詞形容動詞副詞助詞の成り立ちをヲシテ文献から読み取る作業を続けられています。 その研究で、ヲシテ文献にある「カミ」の用例を解読した上で、「カミ」の意味を「つながり、もたらし、生じさせる」と解説されています。
(4) 表音文字である英語も、表意文字である漢字も必要であれば、幾らでも文字を作り出せますし幾らでも複雑な概念を言い表す熟語をつくることができます。その制限はありません。逆に制限のなさ故に、抽象へ向かっていることに自ら規制をかけることができません。言葉が思考そのものだからです。岡潔が「五感でわからないものはないとしか思えない。これを唯物主義という。」と述べたことと西洋人の言葉の成り立ちに関係するとみてよいように思います。
対してヨソヤコヱ(48音韻:アワノウタ)は、「物や事」を表現するに特化しています。ヨソヤコヱを基本にする限り、具体から無制限に離れて抽象へ向かうことはありません。
注目すべきは「God 神 カミ」の語です。英語も漢字も「超自然的な何か」を現しているのに対して、ヲシテ文献による「カミ」は、物や事の起こり、仕組みを述べているのであって、「超自然的な何か」をまったく含んでいません。 あくまで具体です。その上で、ヨソヤコヱは物と事を音素に割り付けたのですから、具体から離れ過ぎることはないです。それでも神武天皇の頃より以降は、シャーマニズム(神頼み)の時代に入ったということです。
以前、日本人の根幹は何かを調べる過程で日本教について調べました。社会学者の小室直樹氏は、日本教を説明するに次のように述べています。サイト内を「小室直樹」で検索すると10件出ます。古くは、 2015年9月12日の『漢字伝来以前に文字 は間違いなくあった。 聖徳太子と蘇我氏の功罪』になります。
以下は動画サイトへのリンク並びに、まとめです。
- 入ってきた仏教も戒律を全廃した
- 儒教は中国では宗教であるが、日本では宗教ではなくなる。道徳になる
- 本来ありうべからず形になる
- 現実問題が優先され、宗教は二の次
- 日本国民の好みが一番大事。人間そのものに対する好み
- キリスト教では人間より神の方が大事
- 日本では人間の都合の方が神より大事
- 一神教では人間より先に神様がいる。人間はその次になる。
- 日本では、神様より人間の都合が大事
- 神様が人間に指図することは好ましくないと考える
- 仏様の場合も同様
- 日本では神様仏様を並べて考える。仏教の立場からするとあり得ないこと
- 神や仏は、人間の為に存在する
- 外の宗教がくる前から、日本人はそのようにしか考えられない
- 人間第一だが表面的には神仏を尊重する
- 行動を作り得ない所が日本教の特徴
- 何にもなり得ない
- 何でもあり 以下略
以上の動画を観てわかるのは、日本人の好みが日本語の元であるヨソヤコヱによると考えるととても納得できることです。 日本教という解説は表面的です。「日本人の好み」という説明では原因を理解するに不足します。
前回記事の追記に記した通り、日本人は具体に始まり、喜怒哀楽の元であるシヰの暴走が起きにくい、かつ抽象へ行き過ぎにくいと考えられます。 こう考えると近現代文明の起源の発端としては西洋人による部分は大きいように思えますが、発達を続けるには限界があると感じます。本質は、「わけることによりわかる」のではありません。皆に早く気(キ)付いてもらいたいです。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。