自然科学者が数学者岡潔の思想( 心の仕組み と働きに関する部分)を読むにつけ、岡潔が考えていたことも、彼が皆に何を望んでいたかということもわかっていないです。誤解を恐れずに書きます。
これまで4年ほども岡潔の思想について考えてきました。特に自然科学のどの部分がどのように間違っているかと、人の 心の仕組み と働きについて、岡潔が何をどう云っているかを重点的に調べて考察してきました。 岡潔が実践するよう促した「わからないものについて、右耳の内耳に関心を集め続ける」ことで、「努力感のない精神統一」へいたり、「情的にわかっているものを知的に言い表そう」とする姿は、先日の記事でもとりあげました。「節操がない 何事もゼロでも100でもない」を参照ください。 それは、「数学する人生 岡潔」:森田真生著新潮社に掲載されているp4の写真です。ここに掲載することはできませんけれども、「(自宅前にて)わからないことに関心を集め続ける岡潔の姿」です。これは「弛緩と関心」であり、ヲシテ哲学におけるトノヲシテを実践する姿そのものです。でも、見方を変えるとその外観は、「惚ほうけている」ような姿であり、スピリチュアル系のそれと同じです。
数学者岡潔の本や講演録を読む方には次の2種あると思われます。
- 岡潔の実績から偉大さを認めた上で彼の思想を読むが、自然科学の手法に合わない物や事を非科学(オカルト、スピリチュアル系、カルト、心霊現象etc)として追いやっている。
- 岡潔の実績から偉大さを認めた上で彼の思想を読むが、彼の思想に自然科学の手法に合わない非科学(オカルト、スピリチュアル系、カルト、心霊現象etc)な部分を感じつつ、誤魔化している。
1.は数学者岡潔の思想の字面を読んでいるだけで、岡潔が何を考えて皆に何を伝えたかったかをまったく理解していない状態です。2.の場合、岡潔の述べていることも望んでいたこともわかっているけれど、自身を誤魔化している状態です。これはダブルスタンダードです。
管理人は、オカルト、スピ系、カルト、心霊現象、UFO、宇宙人などはどちらかというと嫌いです。ところが、ずっと2.の状態にありました。調べてみたところ、最初に意識したのは、 2017年2月20日の『自然科学から「岡潔の思想」は、「あっち系」「そっち系」と見られる』の頃からだったようです。なかなかに2.の状態から抜けません。
岡潔の言葉から「 心の仕組み と働き」について、整理した図を作成したのは、2016年11月でした。
図1
実際のところ、スピ系の最たるものである日月神示を参考にしたのは、この頃からです。嫌いなスピ系の中にも合理的な何かを含むものがあると認めていたことになります。図1の右上を見てわかるように、自然科学には人の 心の仕組み と働きに関して空白ですから、自然科学の手法に合わないものすべてを非科学に押しやっているということです。これは理系の方ばかりではありません。文系の方も同様です。岡潔は「(1ヶ月でよいから)わからないものに関心を集め続ける」というのを実践するよう促していますけれども、岡潔の言葉を読んで実際にやった人は皆無だろうと思います。 岡潔が何を考えて何を伝えようとしていたのかまったくわかっていないのです。
ただし、スピ系のすべてがOKなどではありません。例えば2015年9月9日の記事『ヒトラーを予言者にした「あいつ」 &コックリさん &サタニストによるボヘミアン・グローブ』にあるような意識を通し、言葉で言えるはっきりしたものは、極めて個人的な下等で程度の低いものです。岡潔が云った「聞こゆるを聞き、見ゆるを聞く」の対極にあります。新しい知見を得るには岡潔の云った方法しかありません。また、イエス・キリストと契約したと称する人もくっきりはっきりと聞いたようです。これらは日月神示に出てくる偽予言者に相当するようです。何せ当人の五感に直接はっきりとやってくるのですから疑うことを知りません。
岡潔が云った「わからないものに関心を集め続ける」という行為は数日から、長いものでは7年もの間考え続けることによってやっとわかるのです。その間「情的にわかっている」ものながら、「意識を通さず、言葉で言えない状態」が続くのですから、かなりしんどいことです。そんな安易なものではありません。
改めて書きます。 なぜ日月神示を参考にするかです。図1に示す様に、「タマ」とか「トノヲシテ」とか、「シラスの元であるシル(知る)」だとか、「趣おもむきがわかる」などは、現代の私たちにはわかりづらいです。その点、日月神示に頻出する「気力、気持ち、気の毒、気が元、気付け」などはとてもわかりやすいです。同時に気(キ)は、ヲシテ文献にある「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」、即ち「東・西・中央・南・北」のキ=東ひがしに相当します。ヲシテ文献でも(キ)は、日の昇る方角であり、エネルギー、パワーの源と解釈されています。だから「日の本」というのは、日本人にとっては嬉しい部分があります。岡潔は「情・知・意」の順で働くと云いました。はっきり言って情ではよくわかりません。
図2
第2の心(わかる)というのもいまいちわかりません。キが最もわかりやすいです。キは意ではありません。キには能動性はありません。人は気(キ)付いて、意識が働いて、はじめて活動できるからです。それが大宇宙の中心「ア」からやってくるということです。だから「ヒトハアノモノ」なのです。
写真1 池田満氏による書「ヒトハアノモノ」 ただし、「ア」は特殊文字、「左巻のウズ」
弧理論による図です。
図2
カミとは、「アとワはつながり、ウをもたらし、ウよりヒトを生じさせる。ヒトはアのもの」です。2つの円が交差することでできる紡錘図形が弧理論の中核(原子模型)です。日月神示を参考にするとアは気(キ)の元とということになります。ある日月神示の解説書によれば、○にゝ(まるにちょん)の記号?文字は(神)、(ス)あるいは(キ)と読むようです。ヲシテの文字「ア」は、○に点です。図2のように、○の中心は大宇宙の中心です。日月神示では「キが大事、キが元じゃ」と繰り返しています。
岡潔が伝えたように山崎弁栄上人は、「自然は人の心があるために映写される映像に過ぎない」と云ったようです。それが図2による映像の仕組みであって、そこに 心の仕組み と働きを求めています。
スピ系の中にも「関心を集め続け」た結果得たものが含まれていることがあるようです。心理的にハードルが高いのは、そこが自然科学の限界だからです。だからといってスピ系やオカルトの何でもありではありません。自然科学によるある種の洗脳かも知れません。その判断の指標になるのが次図です。
図3
簡単です。心の仕組みと働きは、脳をして「あまりに抽象へ向かう」と心との不整合から病むのです。心の仕組みと働きは、映写されて映像(具体)となります。具体から離れすぎてはいけません。ですから、中庸であることに配慮すべきです。
なぜこのようなことが云えるか?それは言葉が互いに規定し合うことで成り立つ循環であり、言葉を使う思考もまた循環だからです。脳と第1の心により成り立つ思考は帰還により発振する。それだけです。抽象には帰還部分があるのではないかと感じます。思考に繰り返し似たものが現れるのは危ない。数学でも思想であってもです。例外はありません。今のところ、回避する方法はありませんけれども、心の拠り所を別の次元軸に求める以外の選択肢はないようです。ヒトハアノモノ。重い言葉です。
追記9/5 これまでの考察により、ミクサタカラ(タマ、カガミ、ツルギ)で象徴される3つの科学(精神科学、社会科学、物質科学)のうち、2つの科学(タマ:精神科学、カガミ:社会科学)が揃いました。残りのツルギ(物質科学)はこれからです。自然科学で見つかっていない(人の五感でわかる)物質の物性があるはずだと確信しています。その最有力候補がファラデーの単極誘導です。単極誘導モーターは、ほとんど唯一の「回る」現象です。回す、回転させる機構がない現象そのものです。ここに本質があるはずです。アとワの特殊文字はウズ(回転運動)の根源(ウの元)です。自然科学史から意図して消された現象に隠れているに違いありません。
スピ系の本で面白いことが書いてありますのでメモします。ガイアの法則(千賀一生著徳間書店)p272より。
目の前をある物体が左から右に1メートル移動したとしよう。これは、一見誰からも1メートルのようだが、たとえば、太陽からこれを見れば、地球自体が動いているがゆえ、その移動は1メートルどころではない。
このように、あなた方も、運動と呼ばれるものが何かと何かとの相対関係の変化であり、すべての運動が、何かとの相対関係でしか表すことのできないことを知っている。この宇宙には絶対的基準が存在しないため、人間が感じているような絶対的な運動というものは存在せず、すべては特定の何かとの相対変化を運動量として認識しているに過ぎないのだ。
だが、たった一つ、例外があることを知らねばならない。
それこそが、我々が『聖なる働き』と呼ぶ運動なのだ。このスピンなる運動には、ほかの運動とは全く異なる宇宙的性質がある。」
略
「スピンは、特定の何かから見ての相対変化ではなく、それをとりまく世界すべててとの相対変化を生み出す唯一の運動なのだ。
90度スピンすれば、必ずそれをとりまく世界の全てとの関係が90度分変化することになる。
すなわち、スピンとは、宇宙に対する唯一の絶対的な運動と関係の成立であり、この、宇宙全体との相対関係の成立は、閉じた小宇宙の発生原理を意味しているのだ。」
予てより述べているとおり、数学的に力は「加速度がある」としか表現されていません。ですから、数学的には「回す」と「回る」に区別はありません。(電磁気現象のベクトル表記は、うまく手抜きをしています。) そのことを理解している人がほぼいません。そして、現在の世界において回転運動の利用のすべては「回す」です。レシプロエンジン、ブラシレスモーターなどすべて「回す」機構が必要な機械装置しかありません。唯一の例外は、電子レンジのマグネトロンくらいです。そしてファラデーの単極誘導は「回る」であって、引用文にあるように単極誘導の現象は、「世界すべてとの相対変化を生み出す唯一の運動」なのです。これを利用する以外に手はありません。
主に単極誘導モーターの実験の結果、単極誘導の現象は、磁石周囲を運動する電子と磁石を構成する原子核との相互作用のようです。それも磁石を構成する原子の中性子との相互作用ではないかとの感触があります。電磁誘導とはまったく違います。かなり前に「単極誘導の現象は原子力の一種だろう」と記事にしました。詳しいことはまだわかりません。
これも参考に。p276
「そしてもしも、空間がスピンする性質をあらかじめ備えているとしたら、そのスピンの成り立ちの上で生ずる決定的現象があることがわかるだろう?」
そういえば、「電気磁気現象が別の次元軸上にある何かからの投影角(90度)によっている」という仮説から研究に入ったのでした。これを弧電磁気論としたのでした。その考え方を井出治氏によるパルストランス(第3起電力仮説)に適用して得たのが発散トーラスでした。中性子と電子が持つ(正と負の2種の発散トーラス)を組み合わせたのが楕円磁場で、単極誘導の現象は中性子と電子による楕円磁場(正と負の打ち消しあった差分)の結果だろうと考察しています。今のところ、反作用がどこへ逃げているかが問題です。仮想的に磁石を構成する原子核における中性子の半径をゼロと見なせるのではないかと想定しています。すると反作用は接点に生じるという実験結果に合致するのではないかと考えます。
追記9/7 弧理論の最大の特徴は、「心の仕組みや働きと物質が持つ性質との間は連続しており、切れ目がない」ことです。3つの科学の間に明確な区分がありません。
図4
よく考えたら十分オカルトです。しかし、未整理(無知)のまま放置しておく訳にはいかないということです。
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あのロシア人の浮上ディスクを日本人が実験しているようです。
今月発売の「学研 ムー」にその実験と解説、簡単な原理が乗っています。
お時間があるときに、読んで見て下さい。
購入してざっと読みました。いろいろ感想があります。著者の三浦氏はブログ「破壊学事始」の方です。これまで私が調べてわかった経緯は次です。
時間は物理量ではない。電磁気学は半分以下に削られた。結果的に単極誘導はほぼ消された。だから、時間を用いる量子力学も相対論もダメ。皆が感じること。重力と電磁気現象は何か関係があるらしい。もっと云えば、フリーエネルギーも重力制御も電磁気学から消された単極誘導に関係するということ。単極誘導は「磁石を構成する原子核と磁石周囲を運動する電子との相互作用である」という仮説を持っています。
その意味で原子核が発見された1900年代始めに電磁気学は修正されるべきだった。自然科学は基礎部分で転けている。三浦氏の電気的宇宙論の方向はよいと思う。しかし、外村彰の実験を考慮していない。電気磁気現象はもう少し基礎的な何かの上に成り立ってるはずです。例えばベクトル・ポテンシャルのような何かです。どうも電磁気現象は、非対称なポテンシャルか何かの上に成り立っているようです。宇宙で最も大きな力は斥力です。微視的な領域での斥力は楕円磁場による。宇宙的領域での斥力が何なのかわからない。大規模構造であるボイドがなぜできる?斥力=M軸のE軸方向への湾曲です。楕円磁場にも幾つか種類がある。単極誘導は接線方向への斥力。つまり回転運動。重力は接線方向への楕円磁場による斥力により生じる。だから重力と遠心力に区別がない。ただし、楕円磁場といっても電場磁場の磁場とは違います。どちらかというとポテンシャルに近い。距離の7乗に逆比例する力の場が発散トーラス。正と負の発散トーラスを組み合わせたのが楕円磁場。だから楕円磁場はとても弱いし、単極誘導も微弱な訳です。
浮揚ディスクについて、電磁気学の観点からでは何も得られません。回転軸方向に非対称な単極誘導モーターに見える。ピエゾ素子は何のため?本には上記のことが書かれていない。わからないことが多すぎる。全部、自然科学者が積み残してきた事。