数学者岡潔の言葉を参考に考察した結果、 自然科学 の何がどのように間違っているかが判明しました。同時に 自然科学 は分野ごとに分裂というか股裂き(不連続な)状態にあると述べてきました。今回は、物理学発達の歴史を振り返ることにより、自然科学の不連続性について例え話しを交えて説明します。
まず、これまでの考察によりわかった自然科学の間違っている点を列挙します。
- 時間は、五感でわかる物質の運動に対して(人が持つ)観念に過ぎない。
- 時間は、五感でわかる物質の運動から作る。
- 時間は、太陽の光が地上に作る影の角度から作る。
- 角度は量ではない。
- 従って、角度から作る時間は物理量ではない。
- 現在、時間はセシウムの運動から作る。(セシウム原子時計) しかし、時間は10進数による12の倍数であり、本質は変わっていない。
- 時間は、人が持つ観念に過ぎないから、人の五感でわかる運動の範囲にしか適用できない。
- 運動が角度から作る時間に比例して起きるかどうかは場合による。
- 量は一意であり計測により確定(最確値を得ること)するが、時間は一意ではないし計測ではなく作るもの。
例えば、ピザの量(面積、重さ)は、角度に比例する場合と比例しない場合があります。
写真1
ピザの厚みとピザの半径は角度に比例しません。ですから物質の運動は角度から作った時間に比例して起こる場合と起きない場合があります。繰り返します。時間は量ではありません。
自然科学の間違っている点です。1.時間を用いた理論は、人の五感でわかる運動にのみ適用できます。何故なら人が持つ観念の一つに過ぎないからです。2.量ではない時間と運動との間に比例関係がなり立たない場合があります。だから時間は物理量として扱えません。
人が持つ時間という観念が適用できる範囲は、概ね次表に示す(赤い括弧)で括った範囲と云えます。工夫することはできますが、限界があります。
表1
余談です。素粒子物理学が正しいと云える為には、素粒子時計を作るべきです。素粒子の運動に規則性を持つ物を見つけ出して、その運動から人の五感でわかる何かに変えて、そこから時間を作れば、その時間をもって素粒子理論を構築できるかと思います。そのような運動があればですけど。それと自然科学の時間・空間という模型の全体を図にしました。
図1 自然科学の全体は循環になっている。運動→時間→光速度→時間・空間→物質の運動・・・
次に、自然科学の発達の歴史を大づかみに示します。現代物理学の大きな柱は3つあります。1.古典物理学(力学、電磁気学、熱力学、化学etc) 2.相対性理論 3.量子力学と素粒子物理学
その内、量子力学について、量子力学の歴史などが参考になりますけれど、手短にわかりやすく説明されたのが「20世紀前半 量子力学の誕生」です。長いですけれど一部引用します。
現代物理の始まり
前稿において今回の予告を「トランジスタの誕生」としたが、その前に半導体物理の元になる量子力学について触れてみたい。以下、高林武彦著「量子論の発展史」、治部眞里史訳、J.P. マッケボイ、オスカー・サラーテイ著「量子論入門」、その他の資料を参考に20世紀前半での物理科学のあゆみを辿ってみる。
20世紀前半、科学分野において最も大きな進歩は量子力学、相対性理論(特殊、一般性)の2つからなる現代物理が確立されたことと思われる。20世紀以前に確立されたニュートンの万有引力説やマクスウェルの電磁気学があまりにも出来が良いことから、20世紀の初頭まで殆どの科学者は世の中の全ての物理現象を示すものはこれらの理論以外にはあり得ないと確信していた。ところが、19世紀後半になって来ると、これらの理論で表しきれない現象が幾つか出てきたのである。特に、光と電子が関わる現象がそれである。例えば、物質を熱した時に発生する光の強度分布(強度と周波数の相関)や物質に光を当てた時に飛び出して来る電子(光電効果)の挙動などである。当時は原子像も確立しておらず、摩訶不思議な現象であった。
1890年代から熱力学を取り扱う物理学者達はこれらの現象を解き明かすことに努力を傾け、20世紀初頭に熱した物質から飛び出して来る光の現象解析から「量子」と言う考え方が提唱され、その後、多くの科学者によって量子力学が確立される。この量子力学により、原子周りの電子の状態が解き明かされてゆくと言うよりも、解き明かされる仮定で量子力学が形成されたと言っても過言でないかも知れない。特に1900年から1924年まで、マックス・プランクが「量子」を提唱してからルイ・ド・ブロイが「物質波」を提唱するまでの25年間を「前期量子論」と呼び、量子力学の基礎が構築されて行く期間である。その後、1925年6月から1926年6月の一年間で完成された3つの量子力学が現れる。
ハイゼンベルクの行列力学、シュレーデンガーの波動力学、デラックの量子力学である。この3つは数学的には異なる方法で定式化されたものであるが、互いに等価であることが判る。これらによって、電子の振る舞いや存在確率などを計算で表す事が出来るようになったのである。この進歩を受け、1930年代に半導体物理が確立されてゆき、半導体素子内部の電子や正孔の挙動も掴める様になり、科学的に半導体デバイスの設計ができるようになったのである。
半導体産業が量子力学を用いた最初の産業であり、量子力学なしには成り立たなかったとも言える。
下線は管理人による。 参考としてサイト内には、黒体放射(黒体輻射)で検索すると幾つか記事があります。現代物理学の3つの柱を大まかな時系列の図にしました。
図2
(2)相対論と(3)量子力学は(1)古典物理の基礎だと認識している方も多いと思います。wikiの量子力学にある古典力学との関係にある古典対応に3点あげられています。
- 「いくつかの有力な模型で、プランク定数を 0 とみなせば古典力学に等価になること」
- 「シュレーディンガー方程式の期待値を取ることで、運動方程式が得られること」
- 「古典力学における物理量を量子化することで量子力学が得られること」
「量子力学の発展の過程においては、これらの古典対応はむしろ量子力学の正当性を保証するもの」とあります。しかし、「人の五感でわかる」という点に着目するとどう考えても古典物理学が基礎だとしか考えられません。図2の(1)の右端に示したとおり、現代の科学は古典物理学の工学的応用に位置するものが多いです。
例えば、砥石で刃物を研ぐという場合、なぜ水を使うとうまく研げるのかなどです。摩擦による熱を逃がす目的はわかりますけれども、なぜうまく研げるのかを量子力学で考えることはほぼありません。基礎は古典物理学にあります。つまり、「五感でわかる」という点に着目すると(1)を基礎として(2)と(3)はほとんどの場合、関係がないといえます。引用文の通り半導体技術の基礎は量子力学にありますけれども、あらゆる開発・製作・生産の現場では創意工夫、改善、改良がほとんどであって理論どおりであることは希です。(むしろ理論は後付けが多い。)はっきり云えば、複雑に過ぎる理論と1020倍も拡大して得た実験結果は、「人の五感でわかる」という点において基礎にはなり得ないのです。しかも理論のほとんどは、物理量ではない時間を用いています。
図2の(2)相対性理論について、ある科学者は特殊相対論にあるE=mc2について、次のように述べています。
君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。
物質とエネルギーの間にある関係の解釈を誤ったと述べています。この言葉について、研究開始当初から考え続けてきました。興味がある方は、過去記事を参照ください。
同じく相対論について、図1のとおり物理量ではない時間を光速度不変の原理に置きかえています。相対性理論は、上記の解釈の間違いと併せて2重に間違っています。はっきり云えば、ある科学者の言葉を参考にすると、人類は「別の次元軸に原因を求める」機会を失ったと感じます。「宇宙の加速度的な膨張」や「重力レンズ」は、「別の次元軸」が存在すると考えれば合理的に説明可能だと感じます。光速度不変の原理は怪しい。エーテルの観測というのは論点にずれを感じます。「七つの科学事件ファイル―科学論争の顛末」に詳しいです。
(3)量子力学から素粒子物理学への発達について。まず、理論について。 アポロ宇宙船を月に送ったサターンV型ロケットは、全体で100万個の部品でできていると云われました。
写真2 出典:https://wallhere.com/ja/wallpaper/111328
故障の確率はハンダ付けの箇所数と部品の個数に比例します。理論の複雑さと理解できる人の数は逆比例します。あまりに巨大なロケットは必ず打ち上げに失敗します。同様に余りに複雑な理論は先に進めなくなり失敗します。
実験について。素粒子物理学における質量について、先のE=mc2を移項してm=E/c2にて素粒子の質量を求めています。別の次元軸(E軸と言う。)について考察した結果、別の次元軸上に考えられる実体は6種あるようです。
図3
どうも、反転して12種類として振る舞うようです。ある科学者の言葉からすると、実体からくる物質と運動Pの間には、次図の関係が成り立ちます。ただし運動Pとは、時間を含まない物質の運動を意味します。それは速度、加速度、躍度、エネルギーなどの総称です。また運動Pの一形態が波(波動)です。
図4
E軸上の実体の投影角θの変化により、様々な運動P(波)が生じると考えられます。すると観測される運動Pの種類は12種にまとめられると考えられます。これが単独で取り出せないクオークの種類による整数倍になります。どうも波を量子化したのが素粒子だとすると素粒子物理学は、次になります。
素粒子物理学は、「E軸上の実体12種が投影されることにより生じる運動Pという波動(たぶんソリトン)を観測し、物理量ではない時間を含む数式にてこれを質量に換算している。(GeV/c2)」ということになります。
全体として理論と実験が合致するとしても、正しくはないです。
さらに、これまで調べたところによれば、電磁気学はその成立過程において、半分以下に削られたことがわかっています。
図5 アインシュタインは、既に削除された電磁気学を元に「運動物体の電気力学について」を出した。これが後の特殊相対論
物理学発達の100年余りの歴史は、力の伝わり方を4種類の量子としてこれらを統合しようと努力した歴史でもあります。しかし、図2で示したとおり、(2)と(3)は基礎理論ではありません。だから、100年経っても統合できないのです。仮に統合できたと主張しても「(実験の結果は、)人の五感でわかる」ものではなく、かつ「わずかな人にしか理解できない(複雑に過ぎる理論)」になるはずです。これら理論と実験に意味はありません。自然科学は、時間を用いている限り古典範囲から抜け出せないのです。
結論です。宇宙の加速度的膨張や重力レンズについては、別途E軸方向への歪み(映像の歪み)だと考えた上で(2)は破棄です。(3)は映像だと考えます。映像を別の次元軸に求めます。それは例えば次のようです。
gif 1
例えば、素粒子の観測、これを映像と考えます。別の次元軸に原因があって、人の五感でわかるのは、次だと考えます。
gif2
別の次元軸にある何かが原因で空間に物質が現れ、それは「回る」であったりの運動になります。そして、それが映像だからgif1のように観測されるという考え方です。 E軸上の実体からの投影による映像の仕組みがわかればすっきりするのではないかと考えます。ある科学者は、素粒子等の波動性について次のように述べています。
科学知識を求める人間は木に登るアリのようなものだ。自分では上方へ動いていることがわかっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。そのために幹を離れていることに気づかないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。いっときは万事がうまゆく。自分ではまだ上方へ登れるし、進歩という果実を少し摘み取ることもできる。だがその枝が急に無数の小枝に分かれていろいろな方向に葉が散らばっているために本人はまごつき始める
そして基本的法則は今や分かれ始めて反対の方向に散らばり始めていることに気づく。すると科学者は心によって受け入れられる 知識の限界 に近づいていることや、あらゆる物理的な法則は究極的には全く統計的なものになるという結論に達する。
略
たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。
正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。
だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。
下線は管理人による。その分岐点とは、電磁気学成立直前の古典物理学です。かつ時間を用いないことが必要です。自然科学は循環ですから、E軸にすべての原因を求めることが必要です。数学を含む言葉は循環です。思考は言葉によります。だから思考も循環です。その頸木くびきから逃れることはできませんけれども、E軸に原因を求めることにより、当面は回避できます。
過去に一度だか、マイケル・ファラデーによる「ロウソクの科学」を取り上げました。管理人はファラデーの単極誘導に関して実験を行った結果、「接する」とは何か、「物質の運動とは何か」を深く考え続けてきました。そうして得た感触からしてファラデーが電磁気現象に関する実験を経てロウソクに関する科学に興味が移った理由がわかる気がしました。 電磁気学成立前のマイケル・ファラデーの頃に戻って研究するしかないと思います。これまで無いものとして扱われてきた単極誘導に関する研究をE軸からの投影による映像だという仕組みを考慮して研究を行うべきと感じます。それがある科学者の云う分岐点です。
自然科学は間違っているというお話しの卑近な例です。直近で邦画「記憶にございません!:脚本と監督三谷幸喜」を観ました。
写真3 出典:https://natalie.mu/stage/gallery/news/294223/981257
これまでに三谷作品は何本か観ました。三谷映画は、エンターテインメント(おおいなる茶番劇)でいつも楽しめます。
普通にエンターテインメントを楽しめばよいのに、物理学者はスクリーンの前に陣取って、細部を細かく観察します。そしてある結論に達します。『三谷映画を含む全ての映画の本質は、画素(ドット)にある!画素に全ての映画の情報が入っている。』
写真4
「んな訳あるか!」ということです。素粒子物理学は、「物質とは何か」との疑問を解こうという目的を果たしました。量子力学も映像の仕組みによると考えることができます。素粒子はE軸上の実体の投影による映像でソリトンのようです。何度も書いてきたように「陽子衝突→崩壊(クオークを介して直ちに)→素粒子群生成」ではなくて「陽子衝突→陽子消滅→素粒子群生成」だと考えます。単独で取り出せないクオークとは、恐らくE軸上の実体に等しいのではと考えます。
精緻で複雑な理論と極限まで拡大して得た実験結果に次はありません。容易に理解できる理論と五感でわかる実験でなければ次へ進める訳がありません。それは古典物理学に見落とした(見捨てた)何かです。でも、電磁気学が成立した頃には、原子の構造がまだわかっていませんでした。
図6 単極誘導は磁石を構成する原子核と周囲を運動する電子との相互作用?
こうやって俯瞰してみると科学の発達史には、意図して歪めた影響が大きいと感じます。「Tom Bearden’s Response to ARPA-Eビールデン博士のエネルギー先端研究局への返答」を参照ください。
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