5月26日の記事「唯物主義と共産主義」にて、感じたことの続きです。
岡潔は、「五感でわからないものはないとしか思えない。これを唯物主義という。」と述べました。その行き着く先が「共産主義:非宗教という宗教」なわけです。はなから自己矛盾を抱えています。
管理人は、自然科学の間違っている点を追求してきました。自然科学の進め方は、上記の唯物主義ともう一つ、還元主義です。還元主義は「わかるの語源はわける」だから、「わけることによりわかる」というものです。
岡潔の言い方を真似ると次になります。
わけることによりわからないものはないとしか思えない。
わからないものを「わける」ことによりわかりきり切るということです。一方で、これまの考察により、還元主義には終端があるとわかっています。量子場理論は、(たぶん)還元主義の終端です。それは循環であり、ネットワークであり、外のない内です。それは、岡潔の云った第1の心の特性からきています。
しかし、唯物主義と相まって、還元主義者は「わけて考えられない人なんて人に非ず」と言い切ることになります。唯物主義の「非宗教という宗教」に対応した言葉を思いつかないのですけれど、とにかく人類全てを「そうあらねばならない」と断罪するということです。(うまく言い表せませんw。)
これまでの考察により、還元主義の行き着く先は、すべての抽象化でした。どうせ第1の心は、循環でネットワークであり、外のない内だから、答えなどありません。
図1
最後は、何が何だかわからない状態に陥ります。間違いなく。問題は、2つの心(ヲシテ文献のタマとシヰ)の乖離です。第2の心、即ちヲシテ文献のタマは、ごく具体的な物と事について「何となく趣おもむきが直にわかる」働きしかありません。第1の心(シヰ)の特性として抽象化する過程において、次のことが考えられます。
最近、動画にてMMT(現代貨幣理論)を観ています。お金の仕組みは、昔いろいろ調べたのと動画”money as debt”でわかっていました。
動画1 money as debt
MMTは、三橋貴明氏のがわかりやすいです。
動画2
図1のように、お金は抽象化の最たるものです。で、どうも、唯物主義かつ還元主義である連中は、上記の通り、極限まで突っ走るようです。そして、彼らは「お金を究極の目的」にします。 お金は人々の生活を満たす手段に過ぎません。彼らは、手段を目的にしているのです。
財政破綻論は、理論的にも現実としても破綻しています。
図2 出展:【日本政府の長期債務残高(左軸)と長期金利(右軸)】
財政破綻論者は、手段を目的に替えた財政破綻主義者です。ただのカルトです。理屈なんてどうでもよいのです。自己矛盾を抱えているのです。もう云っていること、やっていることが無茶苦茶です。しかし、彼らもタマとシヰを持っています。たぶん心の奥底は誤魔化せません。
唯物主義と還元主義の行き着く先は滅亡です。岡潔は、「現代は間違った思想の洪水」と云ったのは、上記の「抽象化へ向かう思想群」のことです。
2つの心(タマとシヰ)の乖離は不健康です。弧理論におけるガガミ(社会科学:図1)のキモはここにあります。 自然科学の間違っている点と正しい方向を示せば、向かう方向は変えられると思います。でなきゃやってられません。事の本質は、お金の話でも、金融でも産業でも科学技術でもありません。
因みに、数学を用いて究極の理論を打ち立てようと努力されている方。無駄です。数学を含む言葉は、第1の心によります。外のない内です。 自然 > 第1の心。 予め規定することはできません。(当面)回避するには”別の次元軸からの投影による映像の仕組み”を科学する以外に方法はありません。だからこそ未来があり得るとも云えます。
動画による解説に鋭意集中しています。うまく表現できないまま進んでいますけれども、何とかなりそうです。最近感じるのは、全体をわからねば、わかった気になれないようです。弧理論の概要を説明しようとすると全体を説明せねばわかってもらえないということです。つまらない導入部が続くのは観る方としては苦痛ですね。
日本人は、自らの頭で考える力が衰えてきています。たぶん、何もかもが抽象化しているせいです。ほんの一握りの人たち(超専門家)にしか(理解し進められない世界。ほとんどの人が理解ではない世界)なんて、知れています。 中学生にもわかる内容でなければ先に進める訳がないです。
追記7/10 第1の心(ヲシテ文献のシヰ)、つまり生命維持の欲求は、「意識を通し、言葉で言える。」というものでした。言葉には数学も含みます。言葉は、互いに規定し合うことにより成り立つ循環でネットワークであり、閉じた「外のない内」でした。人は、物や事をわけることによりわかっている訳ではありません。循環だから、そこに答えなどありません。だから、際限なく求め続けるのです。シヰ(生命維持の欲求)により循環に陥るということです。行き着く先は抽象の極地です。何も得るものはありません。こんな簡単なこと、誰も指摘しないのは不思議です。
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