自然科学 の問題点について、2018年10月30日の過去記事に記しました。それ以後も幾らかわかってきたことがあり、改めて 自然科学 の事実と問題点を箇条書きにします。
- 自然科学の「時間・空間」というモデルは自然そのものではない。(予め自然を規定することは不可能。)
- 時間は運動から作る。(運動のなす角度から作る→10進数による12の倍数)
- 時間は時の現在を含まない。時間は時の過去である。(決定論にはなり得ない。)
- 時間は人が抱く観念に過ぎない。
- 時間は過ぎゆく運動の記憶に基づく観念である。
- 自然科学 は、時間・空間というモデルの内に、物(質量)と4つの力を用いて、近接作用として表す。
- 人の感覚でわかるのは、物と事である。
- 「物は量」として数で表せる。同じく、「事は質」として数で表せる。
- 自然科学において、物の起源を量子場に求めた。
- 量子は、物によって”生まれては、すぐに消える”。従って、唯物主義(五感でわからないものはないとしか思えない)は間違い。
- 素粒子は、物と孤立波(ソリトン)の性質を併せ持つ。ソリトンは物ではない。事である。
- 自然科学は、物と事の区別がない。混同している。時の現在(物)と時の過去である時間を混ぜて使っている。(熱力学的エントロピーと情報エントロピーを表す数式が同じ形であるのは、様々な熱現象も情報も同じ「事」だから。)
- 運動から作る時間や、孤立波は事である。そもそも、運動は事である。
- 自然科学における、基本量は物(質量)と時間であるが、時間は量ではなくて、事の質である。
- 従って、自然科学の(質量+力)を量子の近接作用として表すのは、間違っている。
- また、量ではない時間を光速度cに置き換え、光速度から質量mを求めること自体が間違いである。
特に、7.について、2020年4月15日の記事『電磁気現象と 岡潔 による「2つの心」』でわかったのは、以下です。
物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。
心の仕組みと働きの関係は、2020年8月26日の記事「ヲシテ文献の タマシヰ と物質との関係」にあります。以下、引用します。
- タマとシヰは、一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 第2の心(情)と第1の心は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 人の感覚でわかる物と事は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 物質と運動Pは、一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 時の現在と過去は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
- ヲシテ文献のナサケヱダとアワレヱダは、一つの実体の異なる面に過ぎない。(併せてミヤビといい、他人を思いやる心。記憶も司っている。ホツマ辞典P226)
- 静止画と動画は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
2020年2月5日の記事「還元主義 の終端 」にあるように、物質的自然は、別の次元軸からの投影による映像だと考える以外にありません。同時に人の心の仕組みと働きも別の次元軸上にあると考えねば、辻褄が合いません。
動画がわかるということについて。
gif1 出展:「側対歩」の話
写真1 gif1は計20枚の静止画よりできている
馬が動いて見えるためには、馬の静止画(時の現在)がわからねばなりません。1枚の静止画を覚えていて、次の静止画との差の記憶によって「馬の側対歩」という動画(時の過去)がわかります。そうやって、人は運動に時間の観念を持ちうることができます。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。