空間 とは何かというお話しです。自然科学の物理学者が行き着いた素なる領域だとか泡だとか閉じたひもだとかでは決してありません。何故なら、これらの理論は抽象だからです。いくら緻密で正確であっても抽象ですからダメです。空間は、当たり前に人の感覚でわかります。
量ではない時間を変数に持つ自然科学は循環ですから、その最小単位として、ひもとか泡とかネットワークとかという概念に結びつくと考えます。そもそも人が「物や事をわかる」というのは、わけることによりわかっているのではありません。物の理ことわりとか理解ではありません。これがわかっていない人が大多数です。「【4】情のメカニズム」を参照ください。
数学者の岡潔は、自然科学者の研究対象とする自然を物質的自然と呼びました。そして、自然科学者は物質的自然を時間 空間 と云いました。時間 空間 は、簡単な模型であり自然そのものではありません。
自然 > 物質的自然
自然科学者によれば、物質的自然は空間という入れ物があり、その中に物質がある。物質は時間とともに運動するというものです。自然科学者は、運動は時間に比例して起こり、そういう時間があると思って、そういう時間はわかると思っています。しかし、これまでの考察により、角度から作る時間は量ではありません。
写真1 携帯用日時計
時間とは、過ぎゆく運動に対して人が抱く観念です。時間は時の過去で、現在を含みなせん。過去ですから記憶と関係しています。運動を記憶していなければ経過がわかりませんし、観念も持てません。人の感覚でわかるのは物と事です。時間は事の質であって、物の量ではありません。
本題です。では、 空間 とはどういうものかというと入れ物ではありません。強いていうならば、スクリーンに似ています。でも同じではありません。
図1
映画スターウォーズの登場人物は、宇宙狭しと動き回りますが、その動きに制限はありませんし、量は保存しません。しかも、決してスクリーンを出ることはありません。
写真2 出展:https://note.com/natal5/n/n3dc813582b07
どうも、空間とは別の次元軸からの投影による映像であって、その投影点は2つあるようです。(図1) 3D映画に似ています。というか、3D映画の方が空間の性質を使っているということです。
ところで岡潔は、「【5】情の特色」において、「空間は量的質的にありません。」と云っています。言い換えると「エーテルはないが、ポテンシャルはある。」ということです。そういうことがありえるのでしょうか。
今、容器に水と灯油を入れます。水は青に着色しています。
写真2
灯油と水の間に境界面ができます。境界は感覚でわかりますが、境界には何も物はありません。境界面は、量的にも質的にも存在しません。しかし、人の感覚でわかります。
容器を振りますと、泡が出来ます。できる泡は、灯油の領域に水の泡と水の領域に灯油の泡の2種類あります。
写真3
境界面は、エーテルはないがポテンシャルはあるという状態で、互いに規定し合う関係にある2種類の泡ができます。また、泡に内部構造はありません。 暫くすると泡は消えます。面白いことに、水と灯油の比重の違いと表面張力の違いによって、灯油の領域に水の泡しかできません。何故か宇宙に反粒子が存在しないのは、似たような事情があるからかも知れません。ヒントになりそうです。
つまり、この境界面の次元を一つあげれば、境界空間とでもいう感覚でわかる「エーテルはないがポテンシャルはある」という状態、即ち空間が出来ると考えます。そして、別の次元軸上には2つの投影点があるので、この空間には2種類のポテンシャルが同時に存在することになります。人の感覚でわかる空間がある為には、2種類のポテンシャルが存在するはずということです。
この境界空間は、ポテンシャルから物質ができるのであって、その出来方は言語規範と同じです。これはそのまま量子場だと云って差し支えないと考えます。ただし、電子を除く素粒子群は単にソリトン(孤立波)に過ぎません。物質粒子は基本粒子(陽子・中性子・電子)の3種類だけです。
空間にはポテンシャルしかないという話で思い出すのは、外村彰氏による実験「電子波で見る電磁界分布 【ベクトルポテンシャルを感じる電子波】」です。
図2 出展:アハラノフ・ボームの実験
電場磁場がないにもかかわらず電子波が干渉するという実験です。この実験で電磁気現象は電場磁場より基礎的な何かにより起きているらしいことがわかります。では、何もない空間とは何かというのが上記のモデル(境界空間)です。しかも、ポテンシャルは2つか、それ以上あるようです。(たぶんポテンシャルは2種類で、E軸上の実体は6種類だと考えます。)ただし、2つあるはずというポテンシャルの内の1つが外村彰氏によるベクトルポテンシャルかどうかはわかりません。
何となく、電磁誘導と単極誘導に対応しているかも知れないと思います。どちらがどうとかはわかりません。また、4種類ある発散トーラスを組み合わせてできる楕円磁場(楕円双極)も2種類有りそうなので、2つのポテンシャルは、この楕円磁場(楕円双極)に対応しているのかも知れません。
もう少し考察が必要です。注:この辺りの考察は、3つの科学:ミクサタカラ(タマ:精神科学、カガミ:社会科学、ツルギ:物質科学)の内のツルギ:物質科学の領域になります。11年目にしてやっとツルギ:物質科学の領域に入ってきました。
で、この境界空間(別の次元軸からの投影による映像)は、影絵に似ています。影絵の光源が投影点、人形が実体で、影が物質です。人形(実体)そのものはスクリーンの後ろにあって見えません。
向こう側から、光源→投影点 人形→実体 影→物質ポテンシャル ※訂正↓ スクリーン→境界空間(存在しない。)となります。影絵芝居と異なるのは、こちら側からも光源、人形があることです。
写真4 出展:失念
2020年4月20日の記事「量子場 と岡潔の云った空間」を参照ください。
常に感じるのは、自然の現象は心の仕組みと働きに密接な関係があるということです。心の仕組みと働きを抜きにしては現象の解明は決してできないと思います。
この境界空間は、外村彰氏の実験をすんなり受け入れることができるモデルです。しかも、人の感覚でわかります。中学生でもわかります。わかりやすいということは重要です。我ながら面白いです。無限小に近い泡だとかひもなど、循環の抽象論に過ぎません。循環を回避するには別の次元軸を考えざる得ません。何故気づかないのでしょう。そこまでしても第1の心の特性である循環(外のない内)を回避することは絶対に不可能です。
岡潔「自然数の1は決してわからない。」の真意です。ほとんど誰もわかっていません。
※2020/09/30訂正 正しくは、物質ではなくポテンシャルです。この記事はこなれていません。考察中の内容を含みます。 影絵芝居のたとえをもう少し丁寧に書きます。
影絵芝居は、光源と人形とスクリーンにより出来ています。(面白いことに影という物は存在しません。)我々がいる自然を別の次元軸からの投影による映像と考えるとき、これを影絵に例えれば次になります。
- 光源1・・・・人形・・・・スクリーン・・・・人形・・・・光源2
- 宇宙の中心1・・・・実体・・・・(ポテンシャル1ポテンシャル2)・・・・実体・・・・宇宙の中心2
影絵において、人形はスクリーンにはありません。スクリーンにあるのは人形の影です。同様に実体は空間にはありません。また、スクリーンと(ポテンシャル1ポテンシャル2)が対応します。そして、(ポテンシャル1ポテンシャル2)が境界で、これが空間として認識されます。2つのポテンシャルの差分が物質等になると考えます。そう考えると「空間はエーテルはないが、ポテンシャルはある」と状態が成り立ちます。
肝心なこと。何故、ポテンシャルが2つあるとしたのかについてです。まだ、はっきりとしたことはわかりません。紡錘図形を解析したことによるとしか言えない段階です。但し、2つ以上あるかも知れないと考える根拠はあります。
1.重力と遠心力は何故つりあうのか? 重力の加速度と遠心力の加速度には区別がありません。何故、相殺するのでしょうか。もしかして、区別はできないが、異なる起因によるのではないかと感じます。 そう考えるようになった切っ掛けは次にあります。
2.電磁誘導と単極誘導について。 例えば、0.5Vの電圧を得ようとするとき、全く異なる2つの方法があります。それが電磁誘導と単極誘導です。生じる電気に区別はありません。2013年から2015年にかけて、主に単極誘導モーターの力学的性質について実験研究しました。その結果、「接するとは何か」と「原因は加速度にあるのではないか」という2つの疑問を持ちました。生じる電気に区別がないのは電磁誘導と単極誘導は、その加速度に区別はないけれど、異なる加速度なのではないか、と考えたからです。まとめると次図になります。
図3
ベタな表現ですが、「回る」回転運動が本質で、「回す」回転運動が類似の現象だろうということです。はっきり書けば、重力は本質的な回転運動に起因するのではないかとの思いを持っています。それは単極誘導の現象に極近い関係にあるだろうということです。
つい最近、「楕円磁場(双極)は2種類ある」ことがわかりました。発散トーラスを組み合わせることにより楕円双極はできます。この楕円双極には2種類あるということです。仮に云うならば正の楕円双極と負の楕円双極です。その差分が電磁気現象を初めとする基本粒子や素粒子を生むらしいということです。この2つの楕円双極と基本粒子(陽子・中性子・電子)の組み合わせ、即ち原子の構造との関係がいまだわかりません。それでもたぶん、トム・ベアデンが手紙(Tom Bearden’s Response to ARPA-E
ビールデン博士のエネルギー先端研究局への返答)に書いたヘビサイドが発見したという回転性電磁エネルギー流は、楕円双極のことらしいという見当を付けています。因みに発散トーラスは4種類あります。
図4
当然のこと楕円双極も多種類あることになります。
岡潔が云うところの「わからないものに関心を集め続ける」というのを平たく云うと「モヤモヤし続ける」ということです。約99%強はこれまでの考察の復習です。
追記2010/01/06 その後の考察で、空間が仮説(境界空間)であっても、そのまま「場」とは考えられないらしいことがわかりました。訂正します。2020年12月21日「自然が映像ならば、 近接作用 はあり得ない」 詰まるところ、位置である点をいくら並べても長さにはなりません。空間は長さに依ります。
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