前回の記事『岡潔「 自然は映像 」だからこそ、別の次元軸を考える。』において、井口和基氏のブログで「物理学は物質=モノ=素粒子だけではダメ」で「精神世界=スピリチュアル世界=霊性世界=霊界を含めるようなものであるべきだ。」と述べていることをご紹介しました。 しかし、数学者岡潔が指摘した 自然科学 が間違っている点について、遡って検討し問題点を洗い出した上で、やり直すべきと記しました。
井口氏の主張だと次の科学は、「3次元空間+時間+精神世界」だということになります。これだと岡潔の云った点が考慮されていません。
ここで、管理人がこれまで考察したことをまとめます。ただし、岡潔の云ったことと、管理人によるその後の考察を交えています。 自然科学 の問題点は、以下の箇条書きのとおりです。
- 岡潔は自然科学者の研究する自然を物質的自然と名付けた。
- 自然科学者は、空間に物質があり、物質の運動につれて時間が経過すると考えている。
- 自然科学者は、これを時間・空間と云った。
- 時間空間は簡単な模型であって、自然そのものではない。「自然>時間空間」であることは考察済み。物質的自然の全部を覆っているが、外へは決して出ない。第1の心の特性による。過去記事を参照。
- 岡潔「時間という計量的なものはない。」参考「【5】 情の特色」
- 時間は10進数による12の倍数である。
- では、時間とはどういう”数”なのか。
- 岡潔「時間は運動から作る。」参考「【 2】 自然科学者の時間空間」
- 時間は、太陽の光が地上に作る影の角度から作る。
- 角度は量ではない。従って、時間は物理量ではない。
-
人の感覚でわかるのは物と事である。
- 岡潔「数は量のかげ」参考「【6】 数学の使えない世界」
- 物は量としてわかる。これが物理量。
- 事は質としてわかる。これが情報。(現在までの一応の結論。熱力学的エントロピーと情報エントロピーは同じ事。もう少し突っ込んだ考察が必要のようだ。)
- 管理人「数は質のかげ」
- 管理人「時間は、過ぎゆく運動の記憶に基づく観念であり、事の質である角度を元に作る数である。」だから、上記6.となる。
- 都合、自然科学は、物の量と量ではない時間を変数とする科学であって、物と事を混同した間違った科学である。
- これまでの考察によれば、自然科学の内、残るのは「場」の考え方だけだと思われる。参考『空間 とは境界であり、そのまま「場」である。』
では、自然科学はどの時点から道を違えてしまったのだろうか。これまでに分岐点は以下の1~3にあったと考えられます。
- ニュートン以後、古典物理学が完成する頃に「時間は存在しないし、量ではない。」と気づいた物理学者が居たのではないだろうか。少なくとも疑問に思った学者がいたはず。
- 1800年代後半、電磁気学成立の過程において、マクスウェル方程式(20の変数を持つ20の方程式群)は、金融資本家J・P・モルガンからの圧力により「J・C・マクスウェル→オリヴァー・ヘヴィサイド→ローレンツ(Lorentz)」と経過し、4つのベクトル方程式に改められた。その過程で非対称的な部分が削除されたとされる。参考「Tom Bearden’s Response to ARPA-E ビールデン博士のエネルギー先端研究局への返答」
- 完成した電磁気学を学んだアインシュタインは「運動物体の電気力学について(特殊相対性理論)」を出した。しかし、この理論は、杉岡氏により間違っていることが指摘されている。参考「相対論物理学者に捧ぐ その4」相対論では、時間を光速度cに置き換えている。しかし、光速度がわかるためには、その前に時間がわかっていなければならない。
- 物質的自然をモデル化したのが時間・空間である。相対論は光速度をもって時間空間を定義した。つまり、自然科学は全体として循環である。図1 時間は運動から作るが、その運動は物質的自然の内にある。
- よって、自然科学は何も説明し得ない。
- 自然科学の枠組みは「物質と4つの力を粒子(量子)による近接作用」で説明している。この枠組みは、「物と事の混同」をより複雑にしている。
上記2.について。電磁気学において、起電力は電磁誘導と単極誘導による起電力の和とされます。同じ0.5ボルトを得るにまったく異なる2つの方法があるのはどうにも納得できません。このことは2.の時点で丸められたのだろうと推測します。つまり、加速度には2種類あって、区別は付かないけれども別の起因によるのではないかと考えます。ヘヴィサイドは、2種類にわけて記述していた変数をローレンツはこれを一つの加速度に丸めた(ベクトル表記)のではなかと疑っています。参考 2018年9月10日 「重力の 加速度 は遠心力と区別できない。重力は回転運動と深い関係にあるはず。相対性理論では納得できない。」
以上、こうやって考えると自然科学は致命的に間違っています。歴史を振り返ると少なくとも3回は修正する機会があったはずです。加えて岡潔の指摘は最後の機会であったと言えます。量子力学と相対性理論が受け入れられて以後、120年も経ってしまいました。率直に言えば、物理学者は彼らの理論の内に自然科学の循環・ループ・ネットワークを観ているに過ぎないと感じます。
イタリアの理論物理学者であるカルロ・ロヴェッリの著書「時間は存在しない」において、氏は実に素直な疑問を呈しています。第六章「この世界は、物ではなく出来事で出来ている」のp96から。
基本方程式に「時間」という量が含まれていないからといって、この世界は凍りついてもいないし、不動でもない。
単なる勘違いです。光速度c[LT-1]に時間が含まれています。
また、p99から。
かりにこの世界が物でできているとしたら、それはどのようなものなのか。原子なのだろうか。しかし、原子がもっと小さな粒子で構成されていることはすでにわかっている。だったら素粒子なのか。だが素粒子は、束の間の場の揺らぎでしかないことがすでにわかっている。それでは量子場なのか。しかし量子場は、相互作用や出来事について語るための言語規範に過ぎないことがすでに明らかになっている。物理世界が物、つまり実体で構成されているとは思えない。それではうまくいかないのだ。
下線は管理人による。
著者は、世界が出来事で成り立っていることと、何故か「生じる」ということを盛んに強調して何ページも割いています。その疑問がどこから来ているのかわからず、時間に疑問を集約しているように感じます。冒頭から書いてきたように、自然科学者は何もわかっていないと感じます。自然科学は物と事の区別が付かず、混同しているのです。
では、どうすればよいのかの答えが弧理論です。弧理論は、心の仕組みと働きを別の次元軸に求め、別の次元軸上にある実体からの投影による映像が物質的自然だとの考えです。
- 物と事は別の次元軸上にある一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 時の現在と過去は一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 物質とエネルギー[ML2T-2]は一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 物と運動Pは一つの実体の異なる面に過ぎない。当サイトでは時間を含まない運動としてPに”_”をつけて表している。
図2 物質はエネルギー[ML2T-2]に転換するし逆にもなると云うが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面に過ぎない。別の次元軸を時間を含まない真のエネルギー値を持つとしてE軸と呼ぶ。
すべての学者は、何十年も懸命に物理学を勉強し、せっかく身につけた物理学を自ら捨て去ることはできないと思います。きっと、物理学者は自然科学を捨てられません。
参考
動画1
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