素粒子の周期律表 に関するアイディアは、2017年12月1日の記事「 素粒子の周期律表 」にあります。その後の研究で、次のようなことがわかりました。
- 自然科学は、量ではない時間並びに時間を含む光速度を用いたため物と事の区別がない。
- 人の感覚でわかるのは物と事である。
- 時間は物の量ではなく、事の質である。
- 物質的自然は別の次元軸からの投影による映像のようだ。
- 物と事は、別の次元軸上にある実体の投影による映像だと考えられる。
- 「物は量」として数で表せる。同じく、「事は質」として数で表せる。
- 自然科学において、物の起源を量子場に求めた。
- カルロ・ロヴェッリの著書「時間は存在しない」において、「量子場は相互作用や出来事について語るための言語規範に過ぎない。」と述べている。
- 岡潔は「自然数の1は決してわからない」と言ったが、言語規範と同じ意味を持つ。
- つまり、数学を含む言葉も、素粒子を生じる量子場も互いに規定し合うことにより成り立つ循環・ループ・ネットワークである。
例えば、0と1を使う2進数により「一対の粒子」を表せます。 2020年9月28日『空間 とは境界であり、そのまま「場」である。』を参照ください。
写真1
互いに規定し合うことにより成り立ちますから、「粒子の1は決してわからない」のです。つまり、1は0でない粒子であり、0は1ではない粒子です。
一方、物理学者は物の起源を量子場に求め、近接作用として物質粒子12種類と力を媒介する粒子4つ、それと質量を与える粒子1つを求めました。
図1
弧理論では、物質自然は別の次元軸からの投影による映像だと考えます。
図2 E軸上の実体は、M軸に映像として表れる。質量と運動Pは一つの実体の異なる面に過ぎない。
物は質量があり、事は運動Pです。運動Pは時間を含まないということでPに_をつけています。
- 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 物質と運動Pは一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 物質とエネルギー[ML2T-2]は一つの実体の異なる面に過ぎない。
自然科学の物理量の内、速度、加速度、エネルギーなど時間[T]を含むものは量ではなく「事の質」です。すべてやり直しが必要です。
大事なことは、運動Pの一つに”波”があることです。つまり、素粒子は運動Pの一形態だということです。波と言っても孤立波(ソリトン)です。そもそもE=mc2は、両辺ともに量ではない時間を含んでいますので、ソリトンである素粒子の強さを計って、質量に換算するのは間違っています。
で、物質粒子である素粒子を単独で取り出せないクオーク12種類として整理したのが図1です。このような分類は間違っていると考えます。 では、どう整理するかです。
弧理論では基本粒子は3種類のみです。陽子・中性子・電子の3種です。それ以外は運動Pの一形態に過ぎないと考えます。
図3
どうも3つの基本粒子は、6つの実体が投影されることにより表れると考えます。
図4 A、B、C、G、H、Iの6種の実体を考える。
投影による映像ですから、運動Pは離散的に表れます。これが量子力学として認識されたと考えます。つまり、波として離散的、確率的に表れるのは映像だからです。仕組みは(gif1)ながら、得られる観測値は離散的な(gif2)ということです。
gif1 投影による映像の仕組み
gif2 観測値は離散値
で、2進数を用いることにより一対の粒子を説明できますので、12種に分類される素粒子群を整理するにあたって、冒頭の「互いに規定し合うことにより成り立つ」形を念頭に置けば、12進数による 素粒子の周期律表 とすればうまく整理できるのではないか、というのが今回のアイディアです。
というのは、運動Pであり波の一形態、ソリトンである素粒子は離散的な投影角に比して表れるわけですから、角度と同じく12進数により分類すればよいと考えます。(運動Pは投影角に起因する。) 物質粒子の物性(スピンや電荷)について、互いに規定し合うことにより成り立つと考えますで、これら物性による分類は意味を持たないことになります。
具体的には0123456789とaとbの12個の数をもって、12進数2桁使います。例えば、12進数の1桁ならば以下です。
どうも基本粒子の数である”3”が基数になっているようですから、3個くくりならば、(012)(345)(678)(9ab)です。
6個くくりならば、(012345)(6789ab)となります。3と6の組み合わせならば、{(012)(345)}{(678)(9ab)}となります。
2桁ならば、もっと複雑な組み合わせが考えられます。(どうも上手に書けなくて申し訳ないです。) うまく整理できるかどうかわかりませんけれども、仮に00~bbまでの156種類でうまく整理できて、なおかつ空欄があれば、そこに未発見の素粒子がくると予想できるかも知れません。管理人は、素粒子の基本は3つの基本粒子(陽子・中性子・電子)にあると考えますので、陽子系、中性子系、電子系の3種に分類できると考えます。
仮に将来において、超超素粒子加速器ができて、大変な種類の素粒子が発見されるならば、標準理論はさらに訳のわからないパラメーターを導入せざるをえなくなると考えます。それよりかは、浅い投影角にかかる運動Pの一形態(ソリトン)が増えるだけと考えた方がよほどすっきりします。
繰り返しになりますが、ソリトン(孤立波)の強さを計って質量に換算するのは間違っています。GeV/c2がダメなのです。自然科学の問題点は、物と事の区別がついていないことです。
イタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリの著書「時間は存在しない」p99から。
かりにこの世界が物でできているとしたら、それはどのようなものなのか。原子なのだろうか。しかし、原子がもっと小さな粒子で構成されていることはすでにわかっている。だったら素粒子なのか。だが素粒子は、束の間の場の揺らぎでしかないことがすでにわかっている。それでは量子場なのか。しかし量子場は、相互作用や出来事について語るための言語規範に過ぎないことがすでに明らかになっている。物理世界が物、つまり実体で構成されているとは思えない。それではうまくいかないのだ。
下線は管理人による。
互いに規定し合うことにより成り立っているから、物に意味はありません。岡潔風に言えば「素粒子の1は決してわからない」のです。物じゃない、事です。事の質です。事の質とは情報です。
ところで、外村彰氏による「電子波で見る電磁界分布 【ベクトルポテンシャルを感じる電子波】」を見ていると面白いことが書かれています。
■5. 電子波で見るミクロの電磁界
AB効果によれば,電磁気の情報,すなわちベクトルポテンシャルの分布が,そこを通過した電子波の位相に反映される.
電磁気の情報はベクトルポテンシャルだとのことです。そう解釈されるとのことのようです。最近、示した境界空間は、(エーテルはないがポテンシャルはある)というモデルです。境界空間が即、外村氏によるベクトルポテンシャルだと断言は出来ませんけれども、境界空間においては、ポテンシャルは重要な意味を持ちます。
物と事の”事”には質があり、事の質とは情報だと述べてきました。それはそのままポテンシャルに重なります。
これまでの考察によれば「電気と磁気は一つの実体の異なる面に過ぎない。」とわかっています。 このことはAB効果の実験と整合がとれています。電気は単極(物)であり、磁気は双極(事)であり、運動Pの一形態だということです。運動する電子の周囲には磁場が生じます。
これまで情報とは何かと考え続けてきました。かなりなヒントになりそうです。
動画1
かなり飛躍しますが、情報には生命力と活力があるとされます。「The manuscript of survival -part 68日本語版」より。
知っていますか、知識には活力があり、生命力もあることを。
研究開始当初より、この言葉が気になっていました。
また、これも気になっています。
ひふみ神示 第八巻 磐戸(一八十)の巻
第二帖(二三八)キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは(よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。
これまで強調してきた「気(キ)づく」ということと情報(知識)との間に深い関係があります。
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