先般、 空間 が別の次元軸からの投影による映像だとすると、 空間 は「境界 空間 」という模型で説明できるという仮説を出しました。それ以前に、2020年9月28日に『空間 とは境界であり、そのまま「場」である。』と書きましたが、その後、2020年12月21日に「自然が映像ならば、 近接作用 はあり得ない」ことがわかりました。
量子力学が発達した20世紀前半に物理学者は物質とは何かについて、質点として扱いました。wikiより引用します。
質点(しつてん、英語: point mass)とは力学的概念で、位置が一意的に定まり質量を持つ運動の要素だが、それ以外の、体積・変形・角速度などの内部自由度を一切持たないものと定義される。
点粒子の一種である。モデルであるが、初等的な積分計算で証明できるように、球対称な質量分布を持つ固い物体は、その重心運動を扱う限りにおいては、全質量をその中心に集中させた質点として扱ったとしても、近似ではなく完全に一致する。
質量があり、位置を持つが大きさがないということです。ただ、一般に球対称ではありません。
一方、「場」とは何かについて、wikiより引用します。
場(ば、英: field、工学分野では[1]電界・磁界など界とも)とは、物理量を持つものの存在が、その近傍・周囲に連続的に影響を与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。
-略-
物理学において、場は時空の各点に関連する物理量である[2]。場では、座標および時間を指定すれば、(スカラー量、ベクトル量、テンソル量などの)ある一つの物理量が定まる。
下線は管理人による。時間は量ではないので、下線部について「場は空間の各点」となります。すると、場とは「空間の各点の近傍・周囲に連続的に影響を与える、あるいは影響を受けている状態にある空間のこと。」となります。
空間のある点の近傍に連続的にというのが問題です。点は位置があるということです。点、つまり位置には大きさがありません。点をいくら並べても長さにはなりません。点の近傍にいくら連続的に点を並べても長さにはなりません。長さは空間の要素です。つまり、場とは大きさ(長さ、あるいは空間での広さ)を持つということのようですが、最初の「物質が空間に占める大きさがとても小さいので質点」として扱い計算するという前提と矛盾します。電子は実際上、大きさがありますので空間を占めています。参考。「10年以上におよぶ研究の末、電子の正確な形が明らかに」
管理人は2013年から2015年頃までに行った単極誘導モーターの力学的特性を調べる実験で、次の疑問を持ちました。
- 「接する」とは何か? 力は電極で生じているようだ。
- 区別はつかないが、加速度には種類があるのでは? 電磁誘導と単極誘導は、まったく異なる現象であるにもかかわらず、生じる電気に違いはない。もしかしたら加速度に違いがあるのではないか。
この「接する」ということの疑問は、本記事につながっています。
物理学の基本は、物質粒子と力を媒介する粒子による近接作用ですべてを説明しているということです。問題になるのは近接作用です。しかも、電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義しています。電子は確率波をもつ粒子だというのです。”波:孤立波(ソリトン)”は干渉しますが、接するということはありません。
ここまでで、うまく説明し切れていないと感じますけれど、まとめます。
- 最初の仮定を位置(点)とした。
- 物を粒子で波動性をもつとした。
いずれも、近接作用(接する)で説明しようとするには、矛盾があるということです。さらに、プランクの長さが関係しますけれど、ここでは省略します。
図1
実は、場の量子論はもっと本質的な問題を含んでいます。wikiより引用します。
場の量子論(ばのりょうしろん、英:Quantum Field Theory)は、量子化された場(素粒子物理ではこれが素粒子そのものに対応する)の性質を扱う理論である。
場は「点(位置)の近傍に連続的に影響する空間」と言いながら、空間の一部である「場」を量子化したのが、そのまま素粒子だというのです。量子化した場が素粒子(物)だというのです。ここが問題です。
既出ながら、改めて書きます。これは何ですか?
写真1
”スプーン”と答えます。ではスプーンとは何ですか?そこで国語の辞書をひきます。辞書には洋風の匙とあります。洋風とは?匙とは? そこで匙について辞書をひきます。「粉や液体をすくう小さな道具。スプーン」とあります。では、粉とは?液体とは?道具とは?洋風とは?と続きます。つまり、スプーンとは匙で、匙はスプーンなのです。これらの言葉を図にします。
図2
言葉は循環・ループ・ネットワークです。細かく説明すればするほど、わからなくなります。つまり、人は写真1が何であるかを言葉でわかっているのではないということです。これには数学を含みます。図2の左下に「物」があります。で、物理学者の何百年にもわたる、「物とは何か?」の疑問に対する彼らの答えが上記にある「場の量子論」です。
で、彼らの答えが「量子化した場が素粒子(物)」だというのです。これは、「匙とスプーン」と本質的に同じです。(量子化した)「場は粒子であり、粒子は場である。」です。自然科学が量ではない時間をパラメータにした循環であると気付いたのが2018年でした。
図3
因みに、言葉は循環です。つまり、岡潔が云った第1の心が循環であるとわかったのが2019年でした。ですから、いかなる理論であろうが、思想であろうが、哲学であろうが皆一緒です。この循環を抜け出す手立ては絶対にありません。これは弧理論でもおなじです。だからこそ、一時的に回避するために別の次元軸を考えているのです。
専門家からすると”違う”ということはあると思いますが、人は物や事が何であるかを言葉でわかっているのではありません。ここに尽きます。
では、最終的に残る疑問は次です。
仮に連続しているとして、場は空間ということですから、空間とは何かということになります。空間が別の次元軸からの投影による映像であると考えるならば、境界空間という模型で説明できます。境界空間は、人の五感でわかるものです。岡潔が云ったように(境界)空間は量的に質的にありませんけれど、ポテンシャルはあります。時間・空間という自然科学の物理学では説明しきれてないです。
岡潔が名付けた(自然科学者が研究対象とした)物質的自然、これをモデル化したのが時間・空間です。岡潔が云うように時間は量ではありません。その上、自然科学は空間とは何かを説明できないのです。物理学者達は、4つの力を統一したいでしょうけれど、このままでは無理です。
図4 発達の分岐点は電磁気現象にあるようだ。
その原因は、幾つかありますが、最大の原因は「物と事の区別」が出来ていないところにあります。「時間・空間というモデルを用いて物と運動による力を近接作用で、しかも粒子が波の二重性を持つ」と定義したのでは到底無理です。複雑で精緻な理論がより進化している訳ではありません。過度に複雑なことを考え続けると心を病むことになります。
それと、場と空間の間にある連続性に問題があるとすると、空間の特異点や非局所性が問題になると気付きます。そうなると量ではない時間と、時間を光速度に置き換えた理論の上ではブラックホールや多元宇宙などと抽象は広がり続けるだろうと漸くわかりました。それ以前の問題だと気付いている科学者がおられると思うのですが。 真値と測定の限界、並びに不確定性については、別途考える必要があります。
質点が10-40mの距離にあるなら接していません。以前から自然科学はどこか胡散臭かった。それから自然科学は統合失調に陥っていると感じるようになりました。そして、今、自然科学はいろいろとグダグダであるらしいことがわかってきました。
余談。それにしてもアメリカ大統領選挙は面白いです。恐らくキューバ危機以来です。心を病んで、壊れた連中が支配している状況にウンザリです。アメリカ連邦最高裁判所判事でさえ、例の飛行機に乗って例の島へ行ったとか。そういえば、どこかで聞いたこと。「アメリカ人から宗教を除いたら中国人」。
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