ハイゼンベルク、ロバートソンの 不確定性原理 と相対性理論のE=mc^2は同じ?

研究を始めて12年目に入りました。その間、ある科学者の言葉について散々考えてきました。彼は平易な言葉を使いながら大変深い内容を含んでいます。例えば、アインシュタインの相対性理論について、次のように述べています。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

二つの次元を持つ幾何的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面をあらわす。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面だ。君はその面をとり変えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギーの量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギーを見るだろう。

下線は管理人による。注)ある科学者は時間を含むエネルギー[MLT-2]と別の次元軸上でのエネルギー(真のエネルギーE)を区別しています。時間[T]は量ではありません。

図1 別の次元軸を真のエネルギー値を持つE軸と呼び、時間を含むエネルギーを運動Pと呼ぶ。

簡単に書けば、彼は数式E=mcについて、空間(物質的自然:ここではM軸と呼ぶ。)は別の次元軸からの投影による映像である旨を述べています。物質は観測者に対して運動すると次第に質量が見えなくなる(次元を失う)ことを意味しています。物質がエネルギー(運動)に転換したのではありません。下線を読み替えると次になります。

物質は運動Pに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質も運動Pも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

相対性理論の前提である光速度不変の原理を言うためには、光速度がわからねばなりません。光速度がわかるためには、その前に時間がわからねばなりません。参考(相対論物理学者に捧ぐ その4)また、時間は運動から作るので、自然科学の全体は循環になっているのでした。

図2 自然科学は循環「空間にある物質の運動→時間→光速度に置き換え→(時間・空間)を定義→空間内にある物質の運動」

人の感覚でわかるのはです。物には量があり、事には質があります。は物の量のかげです。また、数は事の質のかげでもあります。つまり、時間は事の一種である運動Pから作るので時間は量ではありません。ついでながら、事の質の内に、角度があります。時計という物の運動による角度から時間を作りますので、時間は10進数による12の倍数になります。

 

ここまではわかっていたのですが、最近、気になりだしたのがハイゼンベルクの 不確定性原理 です。参考「量子力学Ⅰ/不確定性原理

うまく説明できませんけれど、ある科学者の言葉の下線の部分をそのまま置き換えると次になります。

ΔxはΔpに転換するし、その逆にもなるというが、本当はΔxもΔpも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

そのままでは意味不明ながら、E=mcについて、質量mと時間を含むエネルギーはトレードオフ?の関係にあります。また、不確定性原理について、ΔxとΔpもトレードオフ?の関係にあります。いずれも似通った関係にあることに気付きます。

いずれも、空間が映像だと考えると納得できる部分があります。

空間が別の次元軸からの投影による映像であるならば、映像が動画として見えるためには、空間での現象は離散的にならざるを得ません。また、映像であるが故に、2つの値が同時に決定できないのです。それは巨視的な世界であっても、微視的な量子力学の領域においても似た性質を持つはずです。(現時点ではかなり曖昧な表現です。)

不確定性原理も相対性理論における光速度不変の原理も、そもそも”原理”などどいうものではなくて、映像である空間の性質に過ぎないと考えます。

 

当サイトでは空間とは何かについて、別の次元軸が原因とする境界空間モデルを出しています。境界空間は、量的質的にありませんが、(別の次元軸方向への凸凹による)ポテンシャルはあるという模型です。そして、境界空間では近接作用はあり得なくて、遠隔作用になります。ご参考まで。

gif1 2種類の液体の境界面は量的質的に存在しないが人の五感でわかる。境界面を空間に拡張したのが境界空間仮説。

以下は別の次元軸が存在する傍証だと考えます。

  1. 不確定性原理
  2. 間違いではあるが上記の通り相対性理論も
  3. 電磁気現象におけるポテンシャル
  4. 核力におけるポテンシャル
  5. 重力のポテンシャル
  6. 重力レンズ効果(一般相対性理論によらない)

 

ある科学者の云った「アルバート・アインシュタイン教授の数式は数学的には正しいのだけれども、誤った結論に達した。」というのは、とても深い意味があるとわかってきました。

 

ついでながら、空間が映像の投影面(ex.液晶画面)ならば、画素(ドット)は原子(陽子・中性子・電子)に相当します。の一種の”波”である素粒子群(孤立波)と”量子と場の理論”は画素未満の存在とその理論に過ぎません。

例えばオレンジで言えば以下です。

写真1

映像→オレンジ(物質)で、3原色による画素は原子(陽子・中性子・電子)に相当します。

写真2 写真1の部分を拡大。画素と隣の画素の間に相関はないし、画素にオレンジの本質はない

画素と映像であるオレンジとは無関係です。ですから、画素に相当する原子の配列とオレンジの間には関係がありません。原因はオレンジを映し出す空間にあり、空間の原因は別の次元軸(真のエネルギー値を持つ実体が存在するE軸)にあります。

原子未満の素粒子群を場の量子論で記述してもオレンジとは何の関係もないのは当然です。当代一流の物理学者もこの点をわかっていないようです。何度も書いてきたように、写真1が何であるかを人は(数学を含む)言葉でわかっているのでは無いからです。

このことは如何なる数学を用いた理論でも同じです。”AIがあるではないか”と言われても同じです。AIに多くの柑橘類の画像を学習させた上で、写真1をして「下駄」と回答させてもよいです。それが「오렌지」でもよいのですから、「これは下駄である。」と学習させても何ら問題はありません。何なら我が子に小さい頃から間違った単語を覚えさせることは可能であるのと同じです。人は物や事を言葉でわかっているのでは(決して)ありません。

以上、わかりにくい例えで申し訳ないです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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