遠い昔、学生の頃に聞いた アイヌ のおばあさんについての話です。当時、ある会の方達と交流があり、その内の男性が小学生の時に経験したことについて話したことを未だに覚えています。
その男性は、北海道出身で小学生の頃、同級生に アイヌ の方がいて、同級生のおばあさんは教育を受けられなくて、数は10本の指で足りるほどしか数えられなかったとのことでした。それより多い数は”たくさん”という表現だったそうです。また、体毛が濃くて女性でも背中に生えていたそうです。
差別が酷かったということの話ではなくて、何となくそういう人もいるのだなという感じで覚えていました。
2015年頃に数学者岡潔の言葉から「人には心が2つある」との理解が進みました。散々書いてきたことですが、もう一度書きます。
- 第1の心。ヲシテ文献でいうシヰであり、生命維持の欲求。この”わかる”の語源である”わける”ことによりわかる。還元主義。意識を通し言葉で言える。
- 第2の心。ヲシテ文献でいうタマであり、心の本体。この”わかる”は、映像として何となく”わかる”のであって、意識を通さず言葉で言えないが、それが何であるか”わかる”。
言葉は互いに規定し合うことにより成り立つ循環です。ネットワークであり、外のない内です。
図1 言葉は互いに規定し合うことにより成り立つ循環・ネットワーク、外のない内
ですから、人は物や事を”わけることによりわかっているのではない”ということです。ですから、第1の心(タマシヰのシヰ)によりわかっているのではありません。岡潔が云うように第2の心(タマシヰのタマ)がなければ一切は存在しません。
アイヌのおばあさんは、教育を受けられなくて10までくらいの数しか数えられませんでしたが、よく考えたら自身も同じでした。
日頃、幾つかのサプリメントを飲むのですが、2個か3個出す必要があるサプリはほぼ何も考えずに出せます。しかし、例えば6個出す必要があるサプリは、意識して数えねば出せないようです。
少なくとも管理人はそうですし、家族にしても同じだそうです。パッと見て何個かわかるのは3個ぐらいまでです。つまり、アイヌのおばあさんは知識・教育という面(シヰの働きを訓練したという意味)では私たちと異なってはいても、心の本体である第2の心(タマ)は同じだということです。
大事なのは教育によって伸ばすべきは知識だけではなく、タマの働きだということです。意識を通さないが、パッとわかるという面が重要と感じます。それが具体です。私たちは常日頃、具体の内に生きています。現代はあまりにも抽象に偏っています。第1の心(シヰ:生命維持の欲求)が肥大化しすぎています。2つの心がうまく統合される必要があると強く感じます。
図2 弧理論による社会科学。2つの心が乖離すると病む。
「間違った思想の洪水」とはこのような状況を言うようです。岡潔「このままだと人類は滅んでしまう。」
現代でも人身売買(子どもの誘拐等)が行われています。奴隷制度があると言うことです。生命維持の欲求の主体と被害者です。篠原常一郎氏・坂東忠信氏「ガーガーおばさんは人型の何かを喰っている。」
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議会で「我々には日本の教育が必要」と答弁されたのは、1980年代です。
本格的に日本の教育を受けられるようになったのはこの答弁以降と思われます。