ヨソヤコヱ と日本教の間にある関係について考えました。wikiによれば、日本教について次のようにあります。
山本七平は『日本人とユダヤ人』で日本人は自分が日本教徒であるという自覚を持っていないが、日本教という宗教が存在し、それは血肉として日本人自身も自覚しないほどになっているので、日本教徒の日本人を他の宗教に改宗させることが可能であると考えるのは「正気の沙汰ではない」という。山本によれば日本教とは、神ではなく人間を中心とする和の思想である。
奥山によれば日本教に絶対はなく、絶対者を知らない日本教徒は相対の世界に生きており、日本教の最大の特徴は「相対化」であると述べる
動画1
日本教の主張は、日本人は「人間を中心とする和の思想」と「絶対者を知らない相対の世界」にあるということです。
このような世界観はどうみても ヨソヤコヱ から来ています。2015年にヲシテ文献を知り、ひたすら「ヰクラムワタ ヲ ネコヱワケ フソヨニカヨイ ヨソヤコヱ 」の意味を探ってきました。意味は大体次のようだと解釈しました。
人の肉体に備わる器官によって「(何となく)わかる」物や事をネコヱ(音素)として母音子音にわけることによって、24音韻で折り返す48音韻を作った。
ヰクラ(5つのクラ)とムワタ(6つのワタ)が具体的に何なのかはよくわかりませんが、唯識論にある五蘊六識六根と比較して「肉体に備わる器官によって「(何となく)わかる」としました。「何となくわかる」とは岡潔が云った第2の心による「わかる」です。無私の心でまわりを見渡し、何となくわかる物や事について人の耳で聞き分けられる最小単位の音、つまり音素(ネコヱ)にわけて ヨソヤコヱ (48音韻)を作ったということです。
図1 出典:48音韻図(日本ヲシテ研究所)横軸が5つの物を母音で表し、縦軸が10の事を子音で表す。
管理人も図1について、何故このような仕組みを作ったのか不思議でした。表音文字も用意文字もそれなりに良いと思っていました。ところが長く考えているとヨソヤコヱには次の特徴があるとわかってきました。
- ヨソヤコヱには、超越的な何かが存在しない。本質的に神仏がない。
- ヨソヤコヱを元として思考(第1の心)する人は、他の言語を話す人が持つ超越的な何かをも物や事の内と整理する。つまり、日本人にとって、如何なる宗教も単なる物事の一つであり、取り替え可能である。
- 一見すると、ヨソヤコヱには”私わたくし”というものが入っていない。
1.は冒頭で示した「絶対者を知らない」そのものです。2.の「すべてを物と事の内に整理する」というのは相対を意味します。3.はよく考えるとヨソヤコヱが思考(第1の心)そのものの現れですから、私心そのものです。
まとめると、ヨソヤコヱを元として思考(第1の心)する人は、物や事を受け止めて生きることそのものが私心であり、超越的な神仏というのは単に私心の内に整理するということです。これが小室直樹氏が指摘している「人間の都合が神仏に優先する」ということです。
では、他の言語を話す人はどうかということです。2019年7月18日「還元主義 を疑うこととなった切っ掛け」 より引用します。
還元主義の最大の欠点は、「わけること」によって最初に自身を含めないから、自身のことがわからないことだと考えます。
- 自と他をわける
- 他を他1と他2にわける
- 他をさらにわける
- 自とは何かはわからない
最初に自に向かわねば何もわからないまま。でも自をわけてわかるのは骨格や筋肉、神経組織、感覚器官でしかありません。
自分を除いた相手をブラックボックスとして扱い、わけることによりわかるというのが還元主義です。しかし、わけられたものもまた、ブラックボックスです。このブラックボックスは延々と続きます。終端は、岡潔が云った「自然数の1は決してわからない」に至ります。
動画2
還元主義の最大の欠点は、自己を除くことで、自己を超越的な何かと同じ位置に置いてしまうことと、対象がいつまでもブラックボックスのまま、決してわからないということです。
因みに右検索欄にて”日本教”を検索いただくと、20件過去記事が出ます。
2017年1月23日『日本教 「日本人には神様はない」、「何者にもなり得ない」 ことの意味』
2020年9月4日「日本語 の話者がいなくなれば、人類は滅びる」
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