とても興味深い動画がありましたので、メモします。
動画1 小林秀雄入門!文系の天才と理系の天才による歴史的対談!二人が語る人生の極意とは?【人間の建設】【小林秀雄】【 岡潔 】【スケザネ図書館】【書庫】
G・アダムスキーが「弛緩と関心」と呼んだことと同じ事を、 岡潔 は次のように述べています。
【4】 禅の非思量より。
わからないものに、まだわかってないものに、関心を集め続ける。
『Xに関心を集めつづける』
そうすると『Xの内容が段々明らかになって来る』。Xと云うのは、わからないけれども心の中の1つの地点です。「あれっ!」て云う。そこに関心を集め続けるということは、これは『妙観察智』の働きとされている。そうすると内容がだんだんわかって来る。これも妙観察智の働き。
このあとの方の働きを指して弁栄上人は、この智力は『内容を啓示』する働きがあると云ってる。
【27】 西洋人の創造の解説27より。
「精神集中をつづけていると、いつしか努力感を感じない精神統一になっている」
これが創造の形式ですね。数学における『創造』の形式。-略-
が、全然わからんものだったら、それを捜し求めると云うより、関心をXに集めると云った方がよいでしょう。わからんものに関心を集めるということはナンセンスです。出来やしません。これはね、そういうものと云う時には『情的にわかってる』。発見されると云うのは、それが『知的にわかる』。
だから情的にわかると云うのは、普通わかるというのは知的にわかると云う意味ですが、その基礎に、情的にわかると云うことがある。わからなくてわかる、わかってわからない。わかつてわからないと云うのは、わからなくてわかる。しかしそれを言葉に云うこともなにも出来ないから、わかってわからない。そういうわかり方をする。そういうわかり方を人がするから創造ということが有り得る。これが情というもの、あるいはその情を心と云ってもよろしい。
文字の強調は管理人による。
岡潔の一連の講演をまとめると、次のようになります。
わからないものXに関心を集めつづける。いつしか努力感を感じない精神統一になっている。そうして、情的にわかってくる。そういうわかり方したものを知的にわかるようにする。
これが岡潔の伝えたかった創造です。この一連の心の動きというか実践をG・アダムスキーは弛緩と関心と呼んだのです。
で、冒頭の動画ですが、人による創造、あるいは新しい知見を得る、発見というものの前段として「考える=かむかふ」ということの意味を小林秀雄と岡潔との対談で述べられているのです。
「考える=かむかふ」の基礎は素読だということについてです。 管理人は過去記事に示したとおり、幾つかの資料の中から気(キ)になる語句、あるいは短い文章について何度も何度も、繰り返し考え続けます。本当にしつこく考え続けます。正直、サラッと読んで「うん。わかった。」というのはまるっきり嘘です。
”考え続ける”という作業は、実際の所99.5%位は復習に過ぎません。ところがある時、ふっとわかるのです。そのわかり方は、いわゆる還元主義(わけることによりわかる)というわかり方ではないわかり方をします。これが創造であり、新しい知見なのです。すぐに言葉で言い表せる場合もありますが、暫く言葉を選ぶ必要がある場合もあります。
個人的なことながら、管理人は随分昔から、家族には次のようなことを伝えてきました。
「意図的に奇をてらったものの考え方や、言葉を使っているのではない。いろいろ考え続けた結果だ。」過去記事に中島敦の山月記を例に挙げています。 そして、最近では、この「考える」という作業、即ち”わからないものに関心を集め続ける”のは、”待ち受け”の状態だと。
この考えは、対談で言うところの”個性”と合致します。そして、直近で仏教用語である”他力”について記事を書きました。この”待ち受けの状態”こそ、他力です。
- 2021年7月3日 日月神示 は”他力”を説いている
- 2021年7月7日 唯識論 は”繰り返し”になっている。だから間違い。
答えは向こうからやってきます。
以上の考察を図にしました。
図1 自然科学には創造の手がかり、仕組みがない。
参考記事。2016年11月7日「 縄文哲学の骨子と自然科学の欠陥、並びに弧理論の考え方との比較について」
図にある文献や資料には、人の創造や智力の仕組みと働きが述べられています。
- ヲシテ文献(ホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニ)
- 古事記・日本書紀(シラス・ウシハク)のシラスの意味
- 岡潔の(情・知・意) 情から知の過程
- 日月神示の気(キ)づく
- G・アダムスキーの弛緩と関心
記紀の原書であるヲシテ文献によれば、本来、古いにしえの天皇が持っていた指導力の源泉はトノヲシテ()でした。これが記紀にはシラス(知る)に変化し、現在は呪術的な祈祷へと変化してしまいました。”わからないものに関心を集め続ける”様子は、外見的に祈祷しているように見えるのかも知れません。
ついでながら、ある科学者の自然科学に対する問題点をあげておきます。
たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。
正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。
だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。
君たちの科学は一本の低い枝を知識という全体の樹木に変えていて、そのために科学がひどく複雑になっているんだ。そこでこの科学が実用面で応用されると、できあがった装置は手が出ないほどに複雑になるんだ。
君たちにとって最も必要なのは、自然の基本法則または事実がまったくかんたんだということを発見することだ。
自然科学の進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる原因は、物理学の量子力学の解釈に問題があるからです。
科学全体は抽象へ向かっています。検証不可能な理論が山積みな状態を問題だと感じないのはどうにも解せません。
実験の事実をそのまま数学に置き換えざるをえなかったのは仕方のないことなのですが、ある科学者の云うように別の次元軸を考慮すれば、簡単であることがわかったはずだと確信します。
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動画でご紹介された対談「人間の建設」あとがきに関してです。
「脳科学と心理学の違いについて調べました。脳科学と心理学の違いとは?その本質を知ろう!」には次のようにあります。
まず脳科学と心理学の違いを考えるときには、心理学の研究テーマである心をどのように定義するのか?というのがとても重要な課題になります。心理学では「人間の行動を引き起こす心理作用が心である」と捉え、「人間はどのような行動をした時に、どの様な心が働いているのか」ということを研究します。
反対に、脳科学や神経科学は「心」ではなく「脳や神経」を研究対象としています。そのため、具体的に分かりやすい物質を研究対象としているというわけです。「人間の行動を引き起こすのには、人間の中にある何らかの物質や、身体的変化によって起こっている」ということです。行動を引き起こすのには、脳の電位変化や神経伝達物質やホルモンの移動があると考えています。大きく分けると脳科学と心理学の違いは、「行動を引き起こさせる原因である心」でみるのか「行動を引き起こさせる原因を脳でみるのか」の違いといえるでしょう。
岡潔は2つの心について、「心理学は(人に心が2つあることを)知らない。」と述べています。当然のこと脳科学も同じです。だから、あとがきの作者である脳科学者は極浅いことしか書けません。脳科学者は、人の行う創造という実践がどのように行われるのかわかっていません。
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