仏教の 他力 については、何度か記事を書きました。ところで、2010年より研究を始めてから、どこの誰だかわからないものの、「支援を受けている」と感じてきました。このお話は家族にのみ話していました。ここへ来て、この支援が 他力 ではないかと思うようになりました。
というのは、数学者岡潔が言った言葉から、自身の経験と 他力 は同じだろうと思ったからです。【7】創造のメカニズムより。
行為だけに付いて云いましたが、内面的なものについても同じ事です。例えば私本を書いている。本を書こうと思って原稿を書きます。その時、大体こんな事を書こうと思って書き始める。そうすると文章になって現われる。それを良く読んでみて、そしてその時始めて、自分は、こう云う事を書いたのかと分る。
俳優の台詞のように、始めから用意していって、その通り人の話しを、台詞を用意して行ってするのではなく、人が本を書くのは書く前から分っているのではなく、書いて了ってから読み合わしてみて分る。
で、これも何処まで自分がしているのか、何処までして貰っているのか、どこからしているのかはっきり区別はつかない。はっきり自分がしているんだと云えることは、この、一旦、文章になったのを読み直してみる、この時は意識を通して読みます。
そしてこれで良いんだと思ったり、ここは直さなければいけないと思ったりする。その辺まで来ればもうはっきり自分がしてるんですが、何もないものが文章に現われていくところは、一体どこまで自分がしているのか、どこまでを造化がして呉れているのか丸で境目がない。
下線は管理人による。岡潔の言葉は個人的な経験です。管理人の経験について、かねてより他人に話すようなものではないと考えてきました。しかし、岡潔の話を読んで、創造の過程は個人的であっても記事にすべきと思えたのです。
創造の過程は次の通りです。
- わからないものに関心を集め続ける。
- いつしか、努力感のない精神統一に至る。(注:この文意では誤解を招くので訂正→弛緩と関心が必要という意味。緊張と集中の真反対。)
- やがて、情的にわかる。
- 情的にわかるものを知的に言い表すことで、文化はできてくる。(注:情→知→意の順に起きる。)
(注:この「情的にわかる」から「知的に言い表す」までは突然にほぼ瞬時に起きます。これが 他力 と考えます。別の言い方では「気(キ)づかされる」です。自然科学者にあるのは緊張と集中であって、弛緩と関心はほぼありません。)
「わかり方」について。わかるの語源は”わける”(還元主義)ですが、人は言葉でわかっているのではありません。言葉は互いに規定し合って成り立つ循環でネットワークで、外のない内です。岡潔はわかり方について、2つ示しました。
- 第1の心 物の理、理解、意識を通し言葉で言える
- 第2の心 何となく、その趣が直にわかる 意識を通さず言葉で言えない
例えば、これが何かを言葉で表します。
写真1
すると次図を得ます。
図1 スプーンは洋風の匙で、匙はスプーン
写真1が何であるかを言葉で言い表すには、究極のところ”物”とは何かを説明しなければわかったことになりません。突き詰めると言葉の要素(アルファベットや”あいうえお”などの音素)はブラックボックスですから、ブラックボックス自体に意味はありません。重ねて言いますが、人は言葉でわかっているのではありません。第1の心でわかっているのではないと言うことです。
ここで、わからないものがわかるとは、図1に言葉を加えるということです。仮にわからないXがわかったという状態は次です。
図2 機知の言葉を使ってXを言い表す
たとえXを言い表すことができても、言葉の全体は、互いに規定し合って成り立つ循環でネットワークで、外のない内であることに変わりがないのです。
そして、”わからないものに関心を集め続ける”という行為の当初、意図していた事の他に「して貰っている」が出てきます。これが、岡潔が言った「創造のメカニズム」による説明の経過です。参考記事
- 2021年12月9日 ” 他力 ”とは創造の仕組みを言う
勿論のこと、管理人に研究の成果があるとの意識がなければ、このような「支援がある」などとは他言できません。管理人が成果と考える内容は過去記事を参考に。ただし、”自然は別の次元軸(E軸)からの投影による映像(M軸:物質空間、物理空間、物質的自然、あるいは宇宙)”だという前提があります。また、これらが多くの人に認められるものかはわかりませんが、主なものをあげます。
- 境界空間の仮説
- 空間は量的質的にない
- しかし、人の感覚でわかる
- 人の心でわかるのがE軸上にある2種類の何か
- これをアとワと言う。しかし、アが何かは決してわからない(アとはワでない何かであり、ワとはアではない何か:循環の構造を持つ この組み合わせは何でもよい 例えばαとω)
- 映像である宇宙の中心はE軸上に2つある(球面の中心は一つ。空間の中心はE軸に二つ)
- アとワの境界が空間(ウ)
- ウはウズ(渦:物質)のこと
- アとワはポテンシャルであり、決して交わらない
- E軸の真のエネルギーの意味(2種あるアとワにかかるエントロピーは決して増えない)
1.は今年出した空間とは何かを説明する模型です。岡潔の「(空間は)量的質的にない」という条件を満たします。しかし、人の感覚でわかります。10.のE軸上にある真のエネルギーの意味については、日課のウオーキング中、本当に突然、瞬時にわかりました。
こういった経験は、発散トーラスについての考察時でした。発散トーラスの種類が4つあるとわかったのも瞬時でした。
図3 発散トーラスは4種ある
一方で、1.の境界空間の模型は、研究開始以前からの長い年月を通して次第に形成されていった発想です。原点は、引力と斥力の実験にあります。
動画1
続いて、渦とサイホンを作りました。
動画2
そこから、二層型の浮沈子に発展しました。
動画3
その次に、二層型で逆さまの渦による模型を作りました。
動画4
gif1
そして、漸く境界空間の模型に至りました。
写真2 境界空間の模型
人の感覚でわかるのは灯油と水です。灯油と水の境界面は感覚でわかりますが、面は量的質的にありません。これの次元を一つ上げたのが境界空間の仮説です。本当に人の心でわかるのはE軸上にある2種類の何かアとワだけだと言うことです。
アワ(泡)は岡潔の「自然数の1は決してわからない」に近いモデルです。
写真3 1はゼロではない粒子 ゼロは1ではない粒子
基本粒子(陽子・中性子・電子)には内部構造はありません。観測される多数の素粒子群は、物ではなく事(孤立波:ソリトン)です。粒子と運動Pは一つの実体の異なる面に過ぎません。粒子には量があり、運動Pには質があります。
別の次元軸(E軸)にある何かが泡構造(大規模構造)を形作っていると考えます。アワの原因がウ(渦)だということです。
写真4 大規模構造(アワ)の部分がウ(渦:銀河系や太陽系)
- 場と量子の関係では物の量と事の質の関係をうまく理解できません。つまり、自然科学は間違っています。”事”である素粒子の運動を計って質量に換算するのは明らかにおかしいです。ハーモニカの音の強さをマイクで拾って音の質量を求めるのと同じです。
実は、どこの誰だかわからないというのは、地球上の誰かなのか、どこか他の惑星の誰かなのか、はたまた人ですらないのかもわかっていません。
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