この記事は個人的な感想です。「 接する 」とはどういうことか、考え続けてきました。その結果、近接作用はあり得ないと結論しました。その延長として、(管理人の頭の中において)「 接する 」という状態がイメージできないことに気づきました。気づいたのは3年くらい前です。
経緯です。2013年頃から主に単極誘導モーターに働く力の作用反作用について実験を行いました。
gif1 外側電極が反作用で向こう側に振れてから円板が回り出す。単極誘導には「回す」機構がない。本質的な回転運動(回る)
gif2 外側電極が反作用で捻れてから水銀の渦ができる
様々な実験を注意深く観察すると、電極間で力が生じているようです。それから「接する」とは何か考え続けてきました。その結果として、近接作用はあり得ないとの結論に至りました。検索すると65件の記事があります。主な過去記事です。
- 2014年6月11日 鐘がなるのか 撞木がなるか
- 2014年11月28日 「接する」ということ
- 2015年6月15日 接触 : 「接する」とは何か?接点で何が起きているのか?
- 2019年2月12日 遠隔作用と 近接作用 接するとは?
- 2019年10月7日 映像における「 接する 」ということ
数学者の岡潔が山崎弁栄上人の言葉をひいて述べた事に、「自然は心があるために映写される映像に過ぎない」があります。【3】西洋の唯物主義
その他ヲシテ文献などを元に考えると自然は別の次元軸からの投影による映像だとの結論を出しました。自然が映像だとすると近接作用はあり得ないことになります。
写真1 映像としては、金属球が接しているとわかるが、画素レベルでは金属球など無い。画素に映像の”接する”はない。
ずっと、考え続ける内に「どうも”接する”という状態がイメージできない」ことに気づきました。写真1の様に2個の球を(頭の中に)イメージします。2個の球は接しているとするとき、接する部分をイメージしようとしてもどうしても無理です。実に不思議です。
気づくに至った切っ掛けは、ある科学者の言葉からです。
たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。
下線は管理人による。この言葉は、観測事実に対する量子力学の基本的解釈が間違っていると指摘しています。ある科学者の他の言葉と併せて考えると”物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない”ことがわかります。物と事は、別の次元軸上にある実体の異なる面だという意味です。
図1 物質(物)と運動(事)は一つの実体の異なる面に過ぎない。
この言葉で引っかかりを感じたのは、「心で描けない状態」と「抽象的な数学」です。”接するとは何か”を追求すると「心で描けない状態」にたどり着きます。つまり、ある科学者の言葉の通りだった訳です。心で描けないとわかると「抽象的な数学」につながります。数学は論理の上では正しいです。しかしながら、心で描けない抽象は、どこかで不都合が出る場合があるようです。
管理人の結論です。
- まず、心が2つある。
- 自然は2つの心があるために、別の次元軸(E軸)から投影される映像(M軸)である。
- 映像において、近接作用はあり得ない。
- ヒトは、物と物が”接する”状態をイメージできない。
- 何故なら心にその仕組みと働きがないから。
物理現象が映像ならば、マクロでは連続と観測されますが、ミクロの現象が離散的、確率的に現れることは納得できます。
gif3 マクロな現象は連続と感じる
gif4 ミクロの現象は不連続に確率的に観測される
また、”波”は物ではなくて”事”です。素粒子(孤立波:ソリトン)は粒子ではなくて”波”です。すると、(自然が映像ならば)ある科学者の言葉の通り「電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だ」と判断できます。これが心で描けない状態ということです。
- 電子と”電子波”は一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 電子と光子は一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 電場(電子に付随する力)と磁場(電子の運動に付随する力)は一つの実体の異なる面に過ぎない。
- 電場は物に付随、磁場は物の運動で(事)。単極と双極の関係にある。E軸-M軸での位相がM軸の位相として現れている。
ということで、電磁波は物と事の振動現象と言うことになります。まだ、ちょっと疑義がありますが、概ねこのような感じです。力には2種類あることになります。物に付随する力と事に付随する力です。※1
ともかく、管理人自身としては「接する」という状態をイメージできません。読者の方はいかがでしょうか。
※1 補足:これは重要です。物に付随する力とは重力:求心力(収束)です。物の運動(事)に付随する力は遠心力(発散)です。
図2
言い換えると、重力の加速度と遠心力の加速度を言います。何故か重力の加速度と遠心力の加速度は差し引きできます。同じ加速度だとして相殺できるならば重力は遠心力か?ということを疑問に思っています。そこから図2にたどり着きました。
前に書きましたとおり、自然科学は物と事の区別がなく、ごちゃ混ぜです。だから、「同じ事」である熱力学的エントロピーと情報エントロピーがどういう関係にあるかの考察が進められないのだと感じます。
正直、自然科学者、ことに物理学者たちはヒトの心の仕組みと働きにあまりに無頓着です。物理学以前に基礎がないと感じます。
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