前回ご紹介したヒトとは、ヲシテ文献では次になります。
- ヒトとは、ヒ、フ、ミ、ヨ、イ、ム、ナナ、ヤ、ココ、トのヒトであって、成長する存在。
ヒトはアとワの間にあって、ウ(渦:物質)でできていて、少しずつ成長する存在だということです。ところで、岡潔は「目覚めた人」について、次のように述べています。【5】目覚めた人より。
第2の心を自分と自覚した人を目覚めた人と云い、そうでない人をねむっている人と云うとよいと思います。目覚めた人のことを仏教では仏、大菩薩と云い、日本では天つ神と云います。中国で聖人と云われている人には目覚めている人が多い様です。
とても傲慢なことを書きます。
管理人が数学者岡潔を知ったのは2015年ころと記憶していましたが、正しくは、 2013年10月15日「時は金なりTime is money.」の本当の意味からでした。記事の総件数は367個でした。そのころから、”時間とは何か”という疑問をもとに自然科学の間違っている点について考察を始めました。やがて、岡潔が言うところの”2つの心”に関心が移ってきました。そして、仏教の関連で善導大師に関する記事を出したのが2019年10月21日「ヲシテ文献 にあるヰクラムワタとヰツイロの関係について」の記事でした。記事の総数は15件でした。「2つの心」をキーに検索すると初出が
2016年7月9日の『数学者岡潔「数は量のかげ」・・・・本当は天地が逆だろう 他2題」で、総件数は91件でした。
このような経過とともに、やがて人は第1の心によりわかっているのではないと自覚しました。つまり、人は言葉でわかっているのではなくて、第2の心によるということです。過去記事は、管理人がヒトとは何かを次第に自覚してきた経過を示すものと言うことです。
2つの心は、ヲシテ文献の示すタマとシヰに当たります。
- タマは心の本体であり、シヰは”欲しい欲しい”のシヰ。強いるのシヰ。生命維持の欲求
ヲシテ文献のタマとは、仏教で言うところのBuddhaであり、善導大師の名付けた”覚”です。それは感覚であり、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚です。
2021年4月19日『「 仏 」はヲシテ文献にある「ア」の部分であるようだ』
ここでわかるのは、”目覚めた人”というのは何も特別ではなくて、万人皆等しく”お世話になっている”のです。岡潔が言ったように、これがなければ、一切は存在しないのです。
ですから、ヲシテ文献のヒトは、目覚める所から始まると言ってよいと感じます。
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