日月神示 ひふみ神示の読み方について

当サイトでは、 日月神示 (ひふみ神示)を研究の参考にしています。当初は、何故か気になる存在ではありましたが、その理由はわかりませんでした。

何となく納得したのは、「」の文字が頻出するからでした。何と394か所もあります。(ひふみ神示全文のサイトで検索しました。) 気(キ)はヲシテ文献において大変重要な言葉です。(キ)は東西南北の東(ヒガシ)であるとともに、日が昇る方角として、(キ)はパワー、エネルギーという意味があります。

岡潔の「時間という計量的なものはない」という言葉をきっかけに自然科学の問題点を調べつつ、岡潔の””は、ヲシテ文献にあるタマシヰのタマと関係あることがわかりました。まとめたのが以下です。

図1 上段が心の本体(情:第2の心=無私の心)、下段が(第1の心:私心)時の現在と過去に対応

そして、2021年に仏教のBuddha(仏)、善導大師の”覚”と”他力”の意味がわかり、日月神示に頻出する”気づけ”という「気づきを促す」言葉が「仏教の他力の向こう側」にあたることがわかりました。

結局のところ、 日月神示 (ひふみ神示)はヲシテ文献のフトマニの流れをくむ訳ですから、日月神示はヲシテ文献に示される語句の意味合いを踏まえて読めば、ある程度わかってくるはずと考えます。過去の参考記事です。

ほかの考察と合わせて、得たのが下図です。

図2 人類の立ち位置は”ワ”にあるから、クニトコタチさんが丑寅の金神にあたる

多分に管理人の妄想なのですが。”ヒトハノモノ”ですけれど、精神性の欠片もない物質主義の現代において、我々の立ち位置はにあります。建国を宣言したクニトコタチさんの位置(ア)が丑寅の金神にあたります。

 

こうして、日月神示を読むにあたって、ヲシテ文献にある考え方を基本に置いた方がよいかと考えます。

因みに、冒頭の全文サイトにて、「神」の文字は何と4,339回使われていることがわかります。多分、最多でしょう。では、ヲシテ文献での”神”はどのような意味として使われているかが問題です。

ヲシテ文献において、カミとは「つながり、もたらし、生じさせる」でした。フトマニにある中央部「ア・ウ・ワ」と組み合わせることで、カミの意味がわかります。 「カミ」を書き下すと以下になります。

「ア」と「ワ」はつながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。ヒトは「ア」のもの。ヒトは「ウ」なり。

弧理論による解釈と同じ次図になります。

図3

弧理論には前提があります。

  • 自然は別の次元軸(E軸という)からの投影による映像(M軸という)である。

この考え方を図にしたのが図3であり、カミの定義そのままです。ですから、ヲシテ文献にある「カミ」とは、宇宙ができる仕組みそのものであり、カミの働きによってヒトが創られ、宇宙ができているのです。

ここに”超自然的な何か。超越的な何か”、いわゆる宗教的な神仏など存在しません。カミとは宇宙ができる仕組みと働きを示し、ヒトを生じさせる仕組みを言います。ただし、心の仕組みと働きを成す何かは在るが、しかし、それは決してわかりません。確かに在るが決してわからないのです。意識を通し言葉で言えるものではない何かです。


補足2022/7/28 宇宙の中心である”ア”と”ワ”について。ヒトハノモノであっても”ア”は仮に言い表したにすぎません。アとはワの如し、ワはアの如しです。決してわかりません。聖書の「在りて在りたるもの or アルファでありオメガである」と言い表してもかまわないのです。言葉は形式だからです。言い換えると「人は言葉でわかっているのではない」ということです。さらに言うならば、人は第1の心でわかっているのではありません。まず、第2の心でわかるというのがなければ、一切は存在しません。


で、ヲシテ文献にあるカミ、例えばアマテルカミさんのカミは、カミの仕組みをわかっていて、カミの働きに基づいて動けるヒトを指します。これをトのヲシテと言います。そして、カミの仕組みと働きをわかっている方々による治世をカミの世と言います。これを忘れた人による治世を人の世と言います。その切り替わりになったのが神武天皇の時代からです。

図4 初代人皇はタケヒト(神武天皇)

図5 信仰の対象の最たるものがお金

 

以上のように、日月神示(ひふみ神示)を読むにはヲシテ文献が示す語句を理解した上で、解釈するのがよいと考えます。勿論のこと、日月神示はほとんど意味が汲めないのが現状です。安易に予言だとか何とかの解釈に流れない方がよいです。

 

ところで、「一つの王で治める」という語句が気になります。王とは何かを調べると以下です。

  • 君主。天命を受けて統治するもの。強い支配権を世襲するもの。王座を占める者。実力で第一位にある者。

これでは、「一つ」の意味が通りません。「一人」と表現すべきです。あえて「一つの王」となるには「王」が「者」でないことを示すはずです。どうも、先般の記事と関係がありそうです。

  1. 2022年5月23日 岡潔 の間違った点について
  2. 2022年5月25日 宗教 間の対立は無意味
  3. 2022年5月30日 宗教の限界  宗教が言葉の数ほどあること自体が限界を示している

1.岡潔は心の本体を”情”としました。それ以前に第2の心は「意識を通さず言葉で言えないが、しかし、何となくその趣がわかる」としました。言葉で言えない心の本体を”情”だとして決め打ちしたのは間違いです。

2.言葉は形式です。互いに規定しあって成り立つ循環でネットワークです。かつ、外のない内です。(第1の心は)すべてを覆っていますが、外へは一切出ていません。

言葉は形式ですから、世界中に多くの言葉があります。そして、言葉の数ほど宗教があります。宗教の数が多いのは言葉で言い表しているからです。各々の宗教が「わが宗教こそが唯一無二だ」と主張しているのは、「すべてを覆っているが、外へは一切出ていない」ことに気づいていないからです。

3.ですから、言葉の数ほど宗教があること自体が宗教の限界を示しているわけです。

各々の宗教は何がしかのことを示していることはわかりますが、教理経典も言葉です。外のない内です。ですから、「唯一無二だ」と決め打ちすることは、岡潔の間違った点と同じだと言えます。そして、教理経典を詳しくすればするほどに、教理の全体は抽象へ向かって、何もわからずじまいになります。2つの心の乖離こそが病の原因です。

 

弧理論では、何かを主張しているのではありません。

2つの心の仕組みと働きがE軸とM軸との関係から説明できることを示しているにすぎません。宇宙の中心は2つあります。アとワです。このアとワも仮に呼んでいるだけです。それはアルファとオメガであっても、問題ありません。互いに規定しあって成り立つ循環でネットワークで、かつ外のない内である言葉によって、説明できる最も簡単な仕組みと働きを提示しているだけです。

 

そこで、言えるのは「王」とはどこかの誰かを指す言葉ではなくて、仕組みと働きを指示さししめしているのではないかということです。 それならば、「世界一つに丸めて一つの王で治める」という意味が通じます。

この宗教もあの宗教も外のない内であり、如何なる言葉もアで始まり、ワで終わる内に収まります。この仕組みを「王」というならば、納得です。それをA宗教、B宗教、C宗教より優先で「日月の”神”を唯一無二とせよ」では、まったくの出鱈目になってしまいます。別の言葉で説明するしかないです。そのような理由で選んだのが「一つの王で治める」だと考えるならば、合理的です。

 

人がわかるのはです。物と事を言葉の成り立ちに組み込むことが科学の第一歩です。

岡潔が紹介しているアンリ・ポアンカレの話は示唆に富んでいます。未だ、未解決なままである問題(創造の仕組み)を本記事は示していると考えています。

宗教を戦争の道具としている連中は許せないです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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